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夕日が遠く沈んでゆく。
藍と紺を緩やかに混ぜた夜の帳が、焼けるように激しい太陽の朱い残照をゆっくりと食んでいた。
その光景は美しく計算されたグラデーションにはない不揃いさで、見る者に不安を覚えさせるほどに幻想的だった。

「きれい…」

我知らず吐息を漏らしながら、ユーフェミアは僅かな時間のみ許された自然の色彩を愛でていた。
彼女は年頃の少女らしく、美しいものをこよなく愛する。愛らしいものを見れば思わず微笑みを浮かべる。
そうした嗜好を視点としても、エリア11は彼女に愛されるに相応しい土地だった。
一年を彩る寒暖の差が常にユーフェミアに新鮮な美を見せるだろうし、本国から遠く離れた場所では日常の端々に思わぬ驚きがある。

「ねぇルルーシュ、エリア11はとても…とても良い所ね」

言いながら、彼女の脳裡に兄の言葉が蘇る。
以前兄は、エリア11でルルーシュ達が命を落としたことをイレブンの所為だと言ったことがあった。
彼らの仇を討つのだと。
しかし、ユーフェミアはどう考えるべきか分からなかった。
ルルーシュを喪ったことはとても悲しい。例えば彼らを殺したという人物が目前に現れれば、自分は憎悪を覚えるのかも知れない、しかし。

「ルルーシュ、エリア11では遠くの山が淡い水色に見えるの。
貴方に尋ねたら、理由を教えてもらえたのかしら」

エリア11は美しい。イレブンは…どうなのか、ユーフェミアはまだ知らない。

(ねぇルルーシュ。貴方は少しは自分で考えろと怒るかもしれないけれど…。
教えて欲しいの。ルルーシュ、貴方はこの土地を…ここに住む人たちを、愛していた?)

彼女の問いに、答えは勿論返らない。













夢中天 17









16時55分。
カレンは静かに自分の心音を聞いていた。
家の者たちは当然、扇たちも今カレンが何をしようとしているのか知らない。知らせていないのだから無理もない。
理由は幾つかあった。「ゼロ」が信用できないということ。まず間違いなく彼との接触を咎められるだろうことについての懸念。扇たちを巻き込まないための用心。
そして、それらの全てと相反する高揚感。
わざと大きく息を吐き、重く沈黙した携帯電話を見遣る。「ゼロ」は連絡手段について言明しなかったが、先日の経緯からも恐らく電話での通信があるだろうことは想像に難くなかった。
グラスゴーで見慣れたような、しかし細部は全く一致しない計器類が薄暗くカレンの表情を照らし出す。
その表す意味を一つ一つ思い出しながら、カレンは只管息を整えていた。
そして、約束の時間ちょうどにカレンの電話は重い空気を振り払うように振動を始める。
予想通りの事態に、しかし僅かに神経を尖らせつつ通話ボタンを押した彼女の耳に届いたのは、先日と何一つ変わることのない落ち着き払った機械越しの声だった。

「待たせたな。合流のためのルートを指示する」

素気ない程用件だけの第一声に一瞬反駁しかけて、カレンは言葉を呑みこんだ。
合流、とゼロは言った。何かを尋ねられるとしたらそのときで良い。その時に尋ねることができないとしたら…今質問を口にしたところで応えがあるはずはないのだ。
思いつつもやや不機嫌に声を聞くカレンの心中を察することもないまま、声は流暢に説明を続けた。
それは以前緑髪の少女が戦場からシュタットフェルト家まで辿った道を正確に逆行するものだったため、音声のみでの説明であるにもかかわらず不安を覚える必要はない。
説明が終了するとほぼ同時に、通話はその開始と同じように呆気なく終了した。
















「ゼロ」がカレンに示した合流地点は、彼らの第二の運命が始動を確実なものとした旧ビル街から僅かに場所を移しただけの廃墟の一点だった。
無論その正確な位置を音声だけで伝えることは困難を極めたため、現在C.C.がカレンを迎えに出ている。
嘗て世界でも有数の技術を誇っていた日本人の作ったその建物は、ブリタニアからの直接の攻撃を受けていないため未だしっかりとした建物の体裁を保っていた。
とはいえ、人の使わない道具はやがて劣化する。建築物はそれが顕著であり、くすんだ色の砂埃が積もったそこもいずれ風雨に打ち倒されてしまうだろうことは明白だった。
しかし、ルルーシュはそこを今後とも拠点の一つとして利用するつもりは然程なかった。金にあかせた作戦をとることが可能な今回、彼は地下鉄の廃線を動線とした利便性の高いゲットーの数か所に秘密裏に手を入れつつ、租界にも幾つかの拠点を用意している。それは公明正大な取引で手に入れた不動産ではなかったが、そのことが逆にブリタニアの目から「ゼロ」を守っていた。
弱肉強食を旨とするブリタニアに於いて、強者たる一部の人間はあらゆる行いが黙認されている。それはあまりの悪趣味ゆえに一般に感知されることを憚られることも例外ではない。つまり、そういった裏事情専用の斡旋屋が存在する。そして、彼らは何よりも情報の漏洩を禁忌としていた。
明日は我が身ということを重々承知している連中の連帯感は強い。そして、彼らの客は当然やんごとない身分の者も含んでいる。
しかし、このような手段でごまかしが効く段階はやがて過ぎ去ってしまうだろうことは明確だった。
情報と財力は強いが、どちらも現実のものではないという弱点を孕んでいる。幾らそれらを有していても、場合によって単純な力はその何倍もの効力を発揮する。
考えながら、ふとルルーシュは懐かしい気分になった。学園でお嬢様としてのカレンとは話す機会もあるが、演じていない彼女と会話を交わすのは久しぶりなのだ。
勿論今回も「ゼロ」としての接触は何度かとったが、あれは会話と呼べるような上等なものではなかった。
恐らくカレンは苛立っているだろう、それを想像して微笑みを浮かべかけたところで、重い駆動音が近づいていることを悟る。
ルルーシュとしての時間は終わり、ゼロの舞台の幕が上がる刻限だった。













告げられた通りのルートを辿って暫く、出迎えらしい既知の少女と合流することは然程困難ではなかった。
退屈そうにカレンを待っていた少女は薄暗い地下に同化できそうな黒を基調とした服装だったが、その流れるようにつややかな特徴的な色彩を有する頭髪が彼女の存在を闇の中に投じることを良しとしなかった。
若干の緊張を孕んで彼女と接触し、その淡々とした案内に導かれて辿りついた先に、カレンは自らを招待した人物の姿を認める。
カレンたちの到着に気付いていたらしく視線をこちらに投げているその姿は、今更ながら随分と常軌を逸した、奇矯なものだった。
硬質につるりとした質感を思わせる仮面に不信感を嫌でも刺激されつつ、紅毛の女戦士は小さく息を呑む。

「お招きいただきありがとう…とでも言うべきかしら?」

意図したよりも皮肉な響きを有した第一声に、しかし期待したような応えは返らない。その代わりとでもいうように、静かに佇むゼロはその仮面の下で僅かに微笑んだようだった。カレンをここまで案内した少女がにやにやと厭らしい笑みを浮かべているのを眼の端に捉え、一先ずこの女とは上手くやれそうにないという予感を抱く。尤も、以降があればのことだが。

「今回君に担当してもらいたいのは、「リフレイン」密売組織の実効的壊滅だ。秘密裏に動いているようだが、その組織力は侮るべきではない。KFとの交戦の可能性もあると言っておく」

この場でゼロが初めて口にした言葉は上記の通りだった。簡潔にまとめられた内容を理解しながらも、カレンは心中酷く憤慨した。
確かに力を欲した。戦うことを望んだ。しかし、紅月カレンは唯々諾々と、流されるように他者の駒になるためにここまで来たわけではない。激情のまま口を開こうとして、不図。
それと分からないほど僅かに首を傾げたゼロがこちらを見つめているような気がした。表情を窺い知ることが出来ないため定かではないが、その雰囲気はカレンからの言葉を待っているようにも思える。
意識して憤りを押し殺し、カレンは脳内で自らに問う。
恐らく質疑応答に潤沢な時間は用意されていない。まず、何を知りたいのか。
「ゼロ」の正体。情報源。行動理念。そのどれもが必要な知識だった。
考えて暫し、問いを発した声はその心境に反して震えることなくゼロに届いた。

「何故、私を?」

カレンにとって渡りに船ともいうべき「ゼロ」の出現。勿論それが悪意ある誰かの罠でないことを前提条件とせねばなるまいが、現在カレンの騎乗するKF一つとっても簡単に用意できるものではない。
彼らは…彼らの目的が己と一致すれば、彼らの力がカレンにとって大きな意味を持つことは明確だった。
だからこそ、ゼロが日本解放戦線のような大手レジスタンスではなく無力な一日本人に過ぎないカレンに声を掛けたことが不可解に思える。
短い問いに答える声は、やはりとても短かった。

「強いからだ」

はっきりと紡がれた声は、カレンにとっては納得できない内容を告げた。

「強い…私が?」

「強い者、力ある者でなければ願いを叶えることは出来ない」

言った声は何の感情も孕んでいなかったが、それは微力ながらも日本人であるため戦ってきたカレンの神経を酷く害した。

「それじゃブリタニアと同じね。力のみを礼賛するような男が弱者の味方を気取るつもり?」

ゼロの声は何処までも冷静で、その言う言葉も間違っているとはカレンは思わない。
むしろ、真理だとすら思える。幾度、力を欲して枕を濡らしたか既に数えることもできないその夜のことを忘れたわけでもない。
しかし、だからこそカレンは僅かな失望を感じていた。
何故という理由はないが、不可思議なゼロという存在に対していつしかはっきりと言葉にできない理想を抱いていたのかもしれない。
それがどのような形のものかも分からないまま落胆だけを感じながら、しかしと意識を一新させる。
力が全てを決する、それは憎むべき構図だが一つの現実でもあるのだ。ならば、カレンはカレンの理想のためにゼロを利用しなければならないのではないだろうか。
そう思ったからこそ、カレンはこれ以上の質問を望まなかった。
ゼロの指示に従ってエナジーフィラーを交換し、彼の示す場所へ移動を開始する。
それは、一つの変革と呼ぶにはあまりにも事務的な作業の連続だった。

















暗夜。
ゼロの奇妙な漆黒の衣装は周囲の闇と同化し、先刻あれほど目立った少女すら気配を殺して沈黙するにあたって、カレンは自分一人が招かれざる闖入者として佇んでいるような気分になっていた。
人目を避けて移動した燃えるような深紅のKFは、既に身を隠すべき十分な暗闇を得ることもできずに夜空を背景に雄々しく立ち尽くしている。
とはいえ、通るものの一人もいない倉庫街にあってその事実は実際には然程の不便ではなかった。
目的地と教えられた建物からは辛うじて他の建物を盾にすることで隠れている(と信じたい)。
当然ながら見張りが立っているだろうことは想像に難くなかったが、そこはゼロに思うところがあるらしく、カレンは合図があるまで待機と言われていた。
二、三言葉を交わしてゼロについて行った少女にはその「思惑」に心当たりがある様子で、呆れとも感心ともつかない微妙な表情をしていたことを思い出す。

(ゼロ…と、あの女。2人しか会っていないけど、どのくらいの規模の組織なのかしら)

自らに託された新型KFから察するに、力のないセクターだという印象は持てない。
カレンたちのような弱小グループでも構成員は数人を数えるのだから、「ゼロ」率いるグループが数人の団体だとは思えない。つまり、今回の作戦はカレンに対する警戒のため、少数での実行に踏み切ったということだろうかと思うが、それにしてもトップ自らの危険行動かと思うと疑念が残る。

(あの仮面が「ゼロ」ではない?…いや、彼がゼロであることは多分間違いない)

先ほど失望を感じたとはいえ、彼から不思議な威圧感を感じている自分がいる。勘で全てを判断するのは危険だが、この推測は外れていないと思った。
思案に沈みかけるカレンに、小さく明滅する光が届けられる。それがゼロからの合図であることを思い出した彼女は、出来るだけ駆動音を抑えて彼らの元に向かった。考えるのは後でも良いのだと自分に言い聞かせながら。






閉じたシャッターの前、見張りと思しき男が2人泡を吹いて倒れている。
携行していたらしいロープで彼らを縛りあげるゼロを視界に納め、カレンは少し意外な思いがした。
反政府行動をとっている人物に対して失礼だが、彼はその外見から荒事に慣れているようには思えなかったのだが、銃を持っていたらしい成人男性を何の音も立てずに2人昏倒させるとは尋常一様の使い手ではない。

「やるわね」

褒めたつもりの言葉はしかし、緑髪の少女に失笑されて終わった。ゼロはというと気まずそうにしている…ような。良く分からない。
気を取り直したらしい彼は、紅蓮を見上げて簡潔に言った。

「現在、この中でリフレインの取引が行われている。存分に暴れてくれ」

特別鍛えられたようにも思えない男の細い腕が指し示すシャッターに、カレンは強い一瞥を投げる。
十分に起動させることも出来なかった紅蓮の動作に不安がないわけではなかったが、その扱い方に関しては夢にまで見るほどに何度も説明書を紐解いた。
大丈夫、心の裡に数回繰り返して、カレンは長い爪を有する右手を持ち上げた。

(お兄ちゃん、私、頑張る)

強い感情とは裏腹に、出来る限り繊細に右腕を振りおろすと、静寂の中に耳を覆わんばかりの轟音が反響する。その音が消えるのを待つまでもなく、カレンの足元に先ほどの轟音に比すれば軽い、しかし十分に殺傷能力を有した銃声が突き刺さった。

「何奴!始末しろ、急げ!!」

野太い男の声が倉庫の中に反響し、それに応えるように弾丸が紅蓮を目掛けて飛び交うが、それらは言葉通り束になってもカレンの足を止めることすらできなかった。ランドスピナーが切り裂くように細い声をあげ、カレンの繰り出すスラッシュハーケンが主に敵の銃火器を打ち砕く。初めて駆ったKFは、グラスゴーとは比すべくもないほど従順にカレンの希望を叶えた。どれほど緻密な操作にも、予想以上の精度で応える。
それに対して、カレンの敵にとって戦場はこれ以上ないほど混迷を極めていた。
今まで目にしたこともない紅のKFは、当然のような顔をして彼らの攻撃を跳ね返す。それだけならば生身でKFと相対する愚かさを嘆くこともできたが、紅に輝く悪魔は信じられないほどの精度で味方の持つ銃器を破壊していった。
銃器の破壊の際の火薬の暴発に巻き込まれる者や自ら発した弾丸の兆弾を身に受ける者、既にそこには戦力となるものはいなくなっていた。

「ご苦労だったな」

温度を忘れて生まれたような涼やかな男の声を受けて、カレンは小さく頷いた。
今日の行いが自らの求める理想に沿っているのかは分からないまま、それでもこれ以上リフレインで傷つく日本人が減ればいいと願いながら。
その時、静止した紅蓮のものではないランドスピナーの駆動音が鋭く響き渡った。素早く音源を確認すると、白を基調としたKFが紅蓮銃口を向けている。素早く身を翻そうとしたところで至近距離にゼロたちがいることに思い至り、十手型のナイフで放たれた弾丸の軌道を逸らす。
戦場を移すために勢いをつけて敵のKFに体当たりをかましながら、カレンは機体に対する信頼が高まっていることを感じていた。
敵のKFはナイトポリスの物であり、操縦者が少なくとも自らより数段熟達していることは相対してはっきり分かる。にも拘らず、カレンに敗北の恐怖はなかった。
勝てる、そう思うからこそ彼女はここで装備の一つを使用することを考えた。輻射波動。紅蓮の主要武装であるからこそ一度試しておきたかった。今回ゼロには戦場では派手に暴れて良いと言われている、試さない手はない。
そう断じて誘爆の危険性があるものがないか、ざっと周囲に目を走らせ…そこで、呼吸を忘れた。

(お母さん!)

先ほどまで暴れ回っていた主戦場をから場所を移した先には、リフレインの使用者たちが十数名思い思いの楽園を彷徨っていた。
口々に何か呟く…若しくは歓声を上げる彼らが何について話しているか知る必要はない。それらは全て、例外なく彼らがまだ日本人だったころの、今となっては儚い希望の形だった。
気をとられて暫し、とは言え数秒に満たない間隙をしかし敵は見逃すはずもない。金属同士のぶつかり合う不快な音が割れんばかりに響き渡り、カレンは漸くここが戦場であることを思い出した。
形に出来ない感情が胸の奥からせりあがって、つい先刻まで手足のように扱えたKFの動作がぶれる。

「どうしてよ…どうして、貴女は何かに縋らないと生きていけないの!」

乱れたカレンの心境を表すように乱雑になった紅蓮が大きく腕をふるって、敵KFの胸を叩く。
しかし明らかに決定打に欠けるそれはより耳障りな金属の悲鳴を奏でるだけだった。
と、その時。

「カレン!?」

薬に侵されたはずのカレンの母が、金属音すらかき消すほどの真摯さで虚空に叫ぶ。
それに思い切り意識を逸らしたカレンは、再度敵の打ち出すスラッシュハーケンを辛うじて打ち返した。
ゼロたちの時と同じだ。避けることが出来ない。
そこに母がいることがカレンにとっての大変な足枷になっていた。

「どいて…逃げてよ!何も出来ないんでしょ…逃げてよ!」

叫びながら、カレンは忌々しくて仕方がなかった。何も出来ないのにそこにうずくまる母も、そんな母親いらないと思いながらも思うまま戦えない自分も。
攻撃を受け流すように、しかし出来る限り母親を守れるように。その制限と自らの迷いに絡めとられたカレンはいつしか追い詰められていた。
冷静にならねばいけないと何度自分に言い聞かせても、母親が気になって仕方ない。今は紅蓮の装甲が敵の攻撃を悉く無効化してくれているが、このままでは後はない、そう思った時、カレンは母の声を聞いた。

「カレン、大丈夫よ。怖い人たちが来ても平気。お母さんここにいるからね。ずっと、カレンと一緒にいるからね」

(えっ…)

見ると、カレンの母は先ほどと同じように蹲っている、が、それはカレンが思っていた姿勢ではなかった。
この瞬間までは分からなかったが、彼女は腕の中に誰かを守っている。誰か…子供一人分程の空間を、必死に抱きしめていた。時折あがる轟音に肩を脅えさせながらも、腕の中の「誰か」にこの上なく優しく語りかける。
それは、日本が戦場になった時の彼女の姿だった。

「カレン、お母さんがいるからね。ここにいるからね」

(まさかお母さん、その為に)

あの恐ろしい夏の日、母はカレンに傍にいると約束してくれた。
それを守って、リフレインに侵されてなお彼女は「カレン」を守ろうとしている。

「私、私馬鹿だ…!」

涙がこぼれそうになるその瞬間、カレンは敵が再度構えた銃口を眼の端に素早く捉えた。
考えるよりも早く銃口を逸らすが、放たれた弾丸は跳ねて母の元に向かう。

「嘘!お母さんっ」

絶望に染まった声が倉庫に反響する。目を閉じることも出来ないままのカレンが見たのは、彼女の母を背にかばった、こんな時でも奇妙な仮面の男の姿だった。
逸れた弾丸は彼の二の腕を大きく抉り取り、肉を毟り取られた傷口からは赤黒い血が流れ落ちる。
その衝撃に短く呻いたゼロは、しかし次の瞬間にははっきりとカレンを見上げて言った。

「その程度の腕に紅蓮を預けたつもりはない。…大丈夫だ。終わらせろ」

その瞬間、カレンを拘束していた何かが音を立てて壊れた。
素早く機体の向きを変えると、数秒前まで良いように翻弄されていた敵のKFを左手でしっかり掴み持ち上げる。何か喚いているようだったが、それによって何かを感じることはなかった。

「さよなら」

言うと同時に、力の限り地面に叩きつける。反動で敵KFの足が紅蓮の頭の上まで跳ねたが、それで敵の動きは最後だった。無残なまでに潰れた金属を油断なく見遣り、危険がないことを確認してコックピットから飛び降りる。

「お母さん、ゼロ!」

母は未だにカレンを守り続けていた。大丈夫、そういう声に合わせて涙ながらに頷く。
そしてゼロは、相棒の少女に叱られていた。

「何を考えているんだ」

「仕方がないだろう。不可抗力だ」

「もっと安全な方法があったはずだ。なかったというのなら、その場合は私に言え。お前よりはマシだ」

語気の荒い少女に詰め寄られながら、何処に携行していたのかまっ白い包帯を思いのほか器用に自らの左腕に巻きつけている。見る見るうちに鮮血に染められるそれを見ていて、カレンはいつかのことを思い出してやる瀬ない気分になった。

「…ゼロ、」

声をかけたは良いが続ける言葉を見失ったカレンに、彼女を見上げたゼロがいつになく穏やかな声で言った。

「カレン、私の考えは変わらない」

その言葉に、謝らねばならないと思っていたカレンは息を呑んだ。
手早く応急処置を済ませたらしいゼロは、マントの内側に余った包帯をしまいながら続ける。

「強者でなければ願いは叶わない。しかし、戦うことができる、力を有する者がそうでない者の幸福を願う、そういった形で愛する者が救われれば良いと、そう思っている」

それが作戦前の質問に対する答えだと気付いた瞬間、カレンは思わずゼロを見つめなおしていた。
綺麗事だと、カレンでさえそう思う。しかし、事実彼は見知らぬ筈のカレンの母親を庇って決して軽いとはいえない怪我を負っている。ゼロとはどういった人物なのか。カレンはこの時、再度自らに問うていた。

「ゼロ…私、やっぱり貴方を心から信頼できるかどうかは分からない。
だけど、信じてみたいと思う。…見極めるための機会を、これからもくれる?」

カレンの言葉を聞いて仮面の男は、僅かに驚いたのかも知れない。息を呑む微かな気配が空気を震わせて、そして彼は静かに右手を差し出した。
その手は彼自身の血に汚れていたが、カレンには酷く神聖なものであるように見えた。



















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