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ギルフォードは若干困惑していた。
というのも、敬愛してやまぬ主君である麗しき姫君・コーネリアからの下命が原因である。
曰く、ゼロの情報を可能な限り集めるべし。
これが不可解な企業・要人の相次ぐ倒産及び失脚に関する情報収集であることは彼も了解していたが、そもそも件の事案について「ゼロ」の情報を集めるという行為が彼には理解できなかった。
不審な世情については正規の方法で調査を進めているし、それとは別に裏から手を回して何が起こったのかを調べさせてもいる。また、調査対象が今も意気軒昂であれば得られないような些細な…もしくは重要な情報も、彼らが既に失脚しているということもあり通常に比して大量に集まっている。
それを見る限り、確かに失脚した連中は致命的ではないが明確な失敗を古くから重ねており、早晩衰退してもおかしくないような状態だった。勿論、その時期が偶然一致したとはギルフォードとて思ってはいないが、それにしても熱心に「都市伝説」の情報を集める様はどこか現実的でない様に感じられる。
しかもネットで広まってしまった都市伝説は、今や何処が源流であったかもわからないような混迷ぶりを見せているのだ。不確かな、無闇やたらと重複する、いつも何処かで聞いたような、それでいて突拍子もない噂話を蒐集する彼は、拭いきれない疲労を感じて息を吐いた。











夢中天  16









カレンは最近、成績が上がった。
そもそも子供のころから優秀だった頭脳は休みがちな状態でも上位をキープし続けていたので、今のようにほぼ毎日登校するようになってからは学業に不安を覚える要素は何一つないとすら言ってもいい。
しかし、それはカレンが学業に集中しているということを指し示すものではなかった。むしろ授業中の集中力は著しく落ちている。理由は今更述べるまでもなく、ただ只管待つことに疲れ始めているからだった。
そもそも「彼ら」が必ず接触を取って来るだろうという確信は今なお揺らいではいないが、その時期も方法も分からない現状、彼女は常に緊張状態を強いられている。
また、疲労と共に湧きあがってくる疑念が嘗て仮定した罠の存在を強く意識させていた。
以前、あの忌々しいシンジュクでカレンにサザーランドを与えた兵士が、カレンの命を救った「誰か」と立場を同じくしているという保証はない。また、それらが結託してカレンを陥れようとしている可能性もある。
カレン本人には大した力はない(と本人は思っている)が、彼女の父はそうではなかった。唯一の実子が反政府行動にのめりこんでいるということは彼にとって致命的な傷になる。それを自らの利益と考える人間がいてもおかしくはないのだ。
ブリタニアとはそういう国だ。

(…いけない、神経質になりすぎてる)

そこまで考えて息を吐く。
カレンは熟練ではないとはいえ、戦場を駆けたことがある戦士だった。だからこそ、時を待つということを同年代の少年少女よりは幾らか心得ている。
焦らないこと。冷静であること。変化を見逃さないこと。そして、決して期待しないこと。
何も起こらないことが当然であると思えなければ、何かを待つ作業は辛すぎる。そして、経験からそれを知っている彼女をしても、現状はあまりにも酷だった。

待って待って、その晩。
カレンは非通知と表示される自らの携帯電話を凝視していた。









それは彼女が学校から帰り、夕食を済ませて全ての柵から解き放たれた時間のことだった。
その時カレンはいつものように演じる自分に疲れていたし、天賦の才があるとしか思えない研ぎ澄まされた義母の嫌味に辟易していたし、弱弱しくもいつも自分の傍にいる実母に苛立ってもいた。
何かが、否何もかもが堪らなくて息を吐きかけた瞬間、通学鞄に放り込んだままだった携帯電話がけたたましく鳴り響く。一瞬眼を瞠ったカレンは、しかし呼吸を整えるとゆっくり電話を手に取り、表示を確認した。
非表示。
別に登録したところからしか掛ってこないという日常を送ってはいない(登録しては後々困るような処からの連絡もときにはある)が、この時カレンはただでさえ感じている緊張が弥増すのを感じた。
既にコールはかなりの回数を重ねているように思えたが、この呼び出しが相手から遮断されることはないと何故か確信している。
深呼吸ののち通話ボタンを押すと、それはあまりにもあっさりと彼我の空間を繋げた。

「…もしもし」

カレンの押し殺した声が定番の言葉を吐き出す。
電話に集中しすぎて他の物音が感じられず、まるでこの電話だけがカレンと世界をつないでいる蜘蛛の糸であるかのように思えて僅かに頭を振った。溜息は吐けない。それはせめてもの矜持とはったりだった。待ち続けていたことを、神経をすり減らしていることを悟られてはいけないと自身を強く律する。

「待たせたな、紅月カレン」

返った声はカレンの内心を見抜くように余裕に満ちてそう告げる。しかし動揺してはいけない。カレンの状況では待って当然なのだ。相手のペースに乗せられてはならない…。

「初めに訊くわ。あなたは誰?どうしてこの番号を知っているの」

「無意味な質問だな」

冷徹なまでに透き通った声は、いかにも機械越しであるらしく肉声としての響きは然程感じられない。
頭の中心を急速に冷やされているような、同時に沸点を遥かに超えて熱し続けているようにも思えてカレンは戸惑う。違う。動揺してはいない。

「そうかしら。あなたが私を知っているならなおさら…信用できない相手とは話はできない」

「それが無意味だと言っている。私が誰なのかを知ることも、情報源を特定することも私自身を信用することとイコールにはならない。
人が他者を信ずるには、その行動を判断の基準とする必要がある」

「だとしたら、なおさら」

「力が欲しいか」

言いかけた言葉を遮る通話口から零れた声に、カレンは息を呑む。
その問いかけはあまりにもカレンの本心と一致しすぎていて、だからこそ即時の返答ができなかった。
言葉にすら出来ない。この気持ちを伝えるには心の臓を抉り取って見せなければならないのではないかとすら思う、それは痛いほどの渇望だった。

「ブリタニアが憎いか」

「…憎いわ」

畳みかけるように問われて、カレンは今度こそ返答を口の端に乗せた。小さな声だった。
長らく押し殺し、押しつぶされてきた感情は低く地を這うように空気を震わせる。

「ならばたたかえ。…明日、16時。二度目の戦場で待っている」

言うが早いか、通話は何の余韻も残さず途絶えた。腹の底から長い息を吐いたカレンは、初めて自分の指先が凍えるほどに冷え切っているのに気付く。
二度目の戦場、と相手は言った。カレンが今までに駆けた戦場ならば既に大小併せて数えるべくもない。しかし、今回に限ってはそれが何処であるか彼女には確信があった。
謎の人物との接触を持つようになって二度目。無力感に打ちのめされた彼女を誰かが救ったあの場所。
それはカレンにとって、力への熱望の象徴ともいえる場所だった。











電話を切った後、ルルーシュの表情には何の変化もなかった。一切の変化を見せないまま、冷たく沈黙した自らの携帯電話を見つめる。高度な暗号化が実施された先ほどの通信が誰かに傍受されていることはまず考えられないが、彼の心を重くしているのはそう言った心配ではなかった。

「賽は投げられた。しかも投げたのはお前だ」

言い放つC.C.の瞳は酷く冷たく冴え切っていた。魔女とも呼ばれる少女はその整った外見と突き放すような口調から時に無機質なまでの冷たさを持つと誤認されるが、その実自らの相棒と認めた魔王に対しては慈愛に満ちた対応を常としている。それが傍目から見て分かりやすいか否かは別として。
今回の声もまたそういった彼女なりの愛情にあふれた言葉かも知れないし、少年の選んだ道筋を冷静な眼で見つめる観察者のものであるかもしれない。
判ずることができないままに、しかしその言葉は若干ルルーシュを追い詰めた。
彼の愛情の形はいつも決まっていて、その愛する者たちが平穏に笑顔で暮らせることを哀しいほどに願ってやまない。しかし、今回彼はその主義に反してカレンを戦場に引き摺り込もうとしているのだ。
無理に感傷を切り捨てた瞳をC.C.に向けて、ルルーシュは自室の扉を開けた。
保母でないC.C.はその後を追わない。扉が閉まると同時にベッドの上で膝を抱えて、チーズ君が今この場にないことを僅かに嘆いた。

(ルルーシュ、全ての運命をお前が背負うことは出来ない。
そして、カレンは自分の生き方に決着をつけることを望んでいる)

C.C.が思うに、今のルルーシュは多すぎる可能性の中で誰も傷つけないでいようとするあまり眼が眩んでいる。甘いと思う。しかし、その甘さが堪らなく愛しかった。









階下。
気分を落ち着けるための紅茶を用意しながら、ルルーシュは自らの甘さを噛みしめていた。
C.C.の言うとおり、自分だけでは何もできないということは「以前」と何も変わっていないのに最近の自分は無駄にもがいてばかりいる。
カレンは弱くない。彼女が人生を賭けて、誇りのままに闘うことを望んでいることも知っている。
そのうえでカレンには戦場から遠く離れて、やがて齎される幸福を待てというのは傲慢というほかなかった。しかも自分一人でそれを為す力もないくせに。
ルルーシュの持論である、たたかって明日を得るという考えは今も変わってはいない。それには傷付けられる覚悟と同時に傷付ける覚悟も含まれると分かっていた。

(覚悟を改めねばならない。傷付ける覚悟を)

ルルーシュの瞳に、冴えた光が宿る。そう、甘えは許されないのだ。
忘れてはならない、今笑顔でいてくれるシャーリーを、たどたどしくも学園生活を送るロロを、そして副総督としての第一歩を踏み出そうとしているユフィを殺したのが自分だということを。
考えながらも半機械的に作業を続けていた両手が、いつもと変わらぬ味の紅茶を淹れた、その時。
背後から、小さな物音がした。

「お兄様…?」

こちらの様子を窺うような優しい声は、いつ聴いても愛しさを呼び起こすに十分な妹のそれだった。
ナナリー、呟いた声がやや掠れていたように思えて、ルルーシュは内心臍を噛む。
そっと近づいて出来るだけ優しく、細心の注意を払って妹の手をとると彼女は淡く微笑んだ。

「良い香り…。ミレイさんから頂いたお茶ですか?」

「ああ、そうだよ」

紅茶の香りを褒めたナナリーは、しかしそれを所望している様子ではなかった。話の糸口、他に言いたいことがあるのだとその表情は語っている。促すように柔く握った手に力を入れると、ナナリーもそれを察して握り返した。

「何か、気にかかることがお有りですか…?」

それは確信しているに違いないが、あくまで質問の形を崩さない声だった。話せることなら聞きたい。でも逃げてくれても構わない。そんな彼女なりの優しさを感じて、自然ルルーシュは頬に笑みを浮かべた。

「ナナリー、優しい世界ってどんなものだと思う?」

質問に質問で返した兄を、盲目の妹は責めなかった。むしろこれこそが答えだとすら思う。
優しい世界。それはナナリーの好む言葉だった。優しい世界でありますように、願ったことは一度ではない。しかし具体的に聞かれると、それはとても答え難いものだった。明確なビジョンがないわけでも具体的な説明に困るわけでもなく、そのまさに正反対。
ナナリーにとっての優しい世界は、今自らの手をそっと握ってくれる温度そのものだった。
掌から流れ込む温かさには、兄がどれだけ自分を愛してくれているかも同時に伝わるようで、ナナリーは時に泣きたくなる。涙に乗せてこの愛情を身体の外に逃がしてやらないと内側から壊れてしまうのではないかと思うくらいに深い愛情が彼女の胸には宿っていた。
しかしそれを言うことは憚られたので、ナナリーは用意していた言葉を告げる。曰く。

「みんなが笑顔でいられる、そんな世界だと思います」

言って、微笑む。優しい世界であればいい。いつでもみんなが、とりわけ兄がいつも微笑んでいられればいい。その意識が伝わったのか、兄の表情が綻んだように思えた。

「そうだな。きっと、そんな世界になるよ。お前の眼が見えるようになるころにはきっと」

「本当ですか?」

「本当だよ。俺はお前に嘘は吐かない」

いつか交わしたような会話だった。
それがいつのことだったかルルーシュは覚えていた。

(そう、嘘は吐かない。笑顔にして見せる)

心中、決意を新たにする。傷付ける覚悟を決めたのなら、決して傷付けない決意も同時に胸に誓えばいい。
矛盾しているのは重々承知の上で、最上の結末を目指さなければ、この詮無い約束に喜んでくれた妹を守り通すことは出来ないのだから。勿論妹だけではない、弟も、友人たちも、そして自らの嘗ての親衛隊長も。

(力を借りるぞ、カレン…!)









翌日、16時丁度。場所は「瓦礫の前」。
他の誰に説明しても、今この場所を寸分違わず伝えることは出来ないとカレンは思う。
先の戦争で荒れ果てたままの廃ビル街…否、既にここは街ではない。ただの前時代の墓場だと思った。その墓場の、とある一点を指定するなど普通に考えれば正気ではない。
しかしカレンは今ここに立っている。

「時間通り。感心だな」

突然声がして、カレンはその方向を仰ぎ見た。そこには、何とも奇天烈な格好の人物が自分を見下ろしていた。つるりと光沢のある仮面に、細身の体を覆い隠すような漆黒の衣装。同じ色のマントをまとったその人物を、一笑に付すという考えは彼女には浮かばなかった。
理由はただ一つ。響いた声が、昨日の電話越しのそれと同じだと思ったからであり、それは思い返せば嘗てカレンにサザーランドを与えた男の声とも似通っている、様に思える。(残念ながらこの場所で名を呼ばれた時、その声の記憶はあまりのショックに思い出せない)。

「あなたが…ゼロ」

言って、カレンは狼狽した。それは彼女の抱く印象、ひいては妄想に過ぎない。
現実の前に一人の少女の確信など何の意味も持たないと知っていながら、馬鹿なことを言ったと思った。
しかし、その考えは眼の前の人物にあっさりと覆される。

「その通り。私はゼロ。ブリタニアを憎み、弱者の味方を標榜するもの」

言葉が何の抵抗もなく頭に入り、カレンは自らのその警戒心のなさに呆れた。
意識を奮い立たせて再度疑念を喚起し、きつく「ゼロ」を睨みつける。

「ゼロ…何故、私をここに呼んだの」

「具体的な目的は、これを渡すためだ」

言って彼が投げてよこしたのは、一冊の分厚い冊子だった。辞書もかくやというほどのそれには、懐かしくも愛おしい、祖国の言葉が綴ってある。

「紅蓮弐式…操作説明書」

表紙にはそう書いてあり、ページを捲るとその掲題の通り何かを操作するための手順が只管続いている。
軽く眼を通し、視線をゼロに戻すと彼はじっとカレンを見つめていた。

「君に預けているKFを操るための手引きだ。近日、あれを使う」

言われて息を呑む。緑髪の少女が置いて行った、見慣れぬ兵器。期待と胸騒ぎを携えて見上げたことは数度では足りないあれを、自分が使うのだと何処かで感じてはいた。
しかし、釈然としない。カレンの勘違いでなければ、あれは強い。それを、少し言葉を交わしただけのカレンに託してしまう相手の考えが読めなかった。
しかし、カレンが発した問いは別のことに関してだった。

「あれを使って…何をするつもり?ブリタニアに勝てるの、あれで」

「逸るな。言ったはずだ、私は弱者の味方であると。
あれを使って、情報面だけでは崩せない現実の悪を討つ」

「話が違うわ!ブリタニアと闘うって」

激したカレンの声を、あくまで冷静なゼロの声が遮る。

「何のためにブリタニアを討つ」

「日本のためよ!」

勢い込んで言うカレンに、ゼロは薄く笑ったようだった。
眦を釣りあげる彼女に、細身の男は悠々と声をかける。

「間違っているぞ、紅月カレン。
君が闘うのは日本の、ひいては日本人のためだ。ならば、敵は国家としてのブリタニアに限定されない!」

はっきりと言い切られて、カレンは小さく怯んだ。正直に言うと、男の言う「国家としてのブリタニア」という表現に胸を衝かれてもいる。彼女は一学生としてブリタニア人に交わりながら生活している、そのことを玉城あたりに揶揄されることもあるが、それでもカレンは出会う全てのブリタニア人を憎むことができなかった。
しかしブリタニアに感じる憎しみは、憎悪は決して偽者ではない。そのことを眼の前の男の言葉の中で言い当てられたように感じた。
男の声は続く。

「日本人を蝕む支配体制以外の害悪…リフレインという薬を知っているか」

「リフレイン…いえ、知らないわ」

何故か、男の言葉を最後まで聞こうという気持ちになっている自分に戸惑いながら正直に答える。

「リフレインは麻薬の一種だ。使用者に心地良い幻覚を見せることを売りとしてとある階層に広まっている。心地良い幻覚の内容は、過去最も幸福だった時の記憶。過ぎた黄金期の幻の回復。
受け入れられそうだとは思わないか、日本人に」

カレンは男の声に、隠しきれない程の動揺を受けた。過去に縋る様な惨めな真似をしたいとはカレンは思わない。だけど人は生きてゆかなければならないのだ。カレンのように喘ぎながらでも生きていける人間ばかりではない。蝕まれようと、空虚と理解していようと、例え虚構でも失った望みを手の内に感じるというのはどれほどの甘美な陶酔だろうか。
無残に奪われた幸福を弄ぶその薬に、カレンは心の底から怒りを感じた。

「決行は一週間後。17時に、起動した状態の紅蓮の内部にて待機。
詳しい作戦内容は別途説明する」

ゼロは、それ以上の説明をしなかった。
悠然と歩いて去るその背中に追いつくことは容易いように思えたが、そうする気はカレンにはなかった。
これ以上何かを聞いても返答がないだろうことは分かっている。また、この話を断っても昨日までの鬱屈とした自分に戻るだろうということも。
正体不明の男についていくことに対する不安が消えたわけではない。しかし、これが罠で命を落とそうと、それが紅月カレンの生き方だと納得できるような気がした。
何故なら、あの男はカレンと同じ怒りを感じている。そして、方法は分からないまでもカレンの手をとってくれたのだから。































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