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 想うだけで、愛するだけでひとを殺すことが出来れば良いのにと、少女は願ってやまない。



夢中天 48



 目に映るものを理解できない、そんな表現が相応しかったのかもしれない。だがミレイにとって、眼前の映像は表現を選ぶことも出来ないほどの衝撃だった。
 普段であれば能面のように原稿を読み上げるニュースキャスターの無表情も普段通りであるように見えて全くそうではない。彼女もまた、ミレイと同じように現実を把握できていないだけだった。ただ、彼女の優秀なプロ意識が思考を置き去りにして、自身を原稿を読む機械に変えている。この際、滑舌の悪さも発音の誤りも看過されるべきだった。それほどまでに、世界は震撼している。
 生徒会室に設置されたテレビを見詰めるその部屋の主は、瞬きをするという筋肉の動作を意識して思い出した。馬鹿な話だが、一度目を閉じて再度世界を認識すれば、今自分が見ているのが夢なのだと気づけるのではないかと思って。
 そうこうする間に、壇上であれこれと世界に向けて発信していた優雅な青年は恭しく上座に視線を向けた。

「それでは、新皇帝…ナナリー陛下のお言葉を」

 優美な動作に促されるように、僅かな音も立てずに車椅子が画面の中を移動する。洗練されたデザインの中に最新の機能を搭載したその車椅子は、介助も必要とせずに壇上中央にぴたりと停止した。それと同時に彼女の斜め後ろに下がったシュナイゼルはまるで訓練された犬のようでもあり、ながく他者に使えることに慣れた従僕のようでもあった。
 会場から動的なもの全てが失われて静止画のように静まり返って暫し、車椅子の少女は可憐と称して余りある淡い色の唇を開く。

「優しい世界でありますように」

 自らの名を名乗ることもせずに祈りのような尊い言葉を零した少女は、皇帝の称号よりも聖女と呼ばれるほうが相応しかった。声の余韻が消えるとともに、水を打ったような会場が歓声に沸く。
 それで漸く世界が時間を取り戻したことを実感したミレイは、傍らで自身と同じくテレビ画面を食い入るように見つめていた後輩から縋るような視線を向けられていることに気が付いた。

「会長あれ、あれ、ナナリーですよね!?」

「リヴァル…陛下、よ」

「え、でもおかしいですよ! だってあれナナリーですよ! ルルーシュは、ルルーシュは知ってるんですかこのこと、ってかあいつ今何やってるんだよ!」

 彼の困惑は察するに余りある。ランペルージ兄妹の境遇を知っているミレイでも混乱する状況なのだから、何も知らずにただ同級生との友誼を深めていた彼からするとたちの悪い冗談にしても出来が悪すぎた。
 途中から質問ですらなくなった自身の言葉に混乱を煽られたリヴァルの瞳には、明らかな不安が宿っている。それが知らず知らずのうちに立場ある人物に無礼を働いていた可能性に怯えているのではなく、何か得体のしれない状況に巻き込まれたかもしれない友人を心配してのものだと分かってしまうのだから居た堪れない。

(ルルーシュ…)

 自主性溢れるアッシュフォード学園生徒会の頭脳たる彼は、何時どんな時でも厳しい現実を切り抜けてきた。心配しなくても大丈夫。そう自らに言い聞かせるが、いつもの不敵な笑みを思い出すことが出来ない。くっと形の良い唇を噛んだ瞬間、制服のポケットの中でミレイの携帯電話がその場にそぐわない軽快な音を立てた。びくりと震えた指先をどうにか制御して取り出したそれは、たった今思い描いた人物からの着信を告げている。
 言葉もなくリヴァルと視線を交わしたミレイは、一つ呼吸を飲んだ。これに応答しても良いものか。
 ミレイはランペルージ兄妹の「事情」を知っているが、リヴァルはそうではなかった。ルルーシュはこの暖かい空間で皆に慕われる副会長として連絡を寄越したのか、あるいはもっと別の立場…本来の、彼の立場でそうしたのか。後者であった場合、部外者であるリヴァルに聞こえる位置で電話に出ることは出来ない。
 ミレイの逡巡に構わず、着信音は続いていた。

「会長…」

 リヴァルが発した呼び声は、常の彼からすると嘘のように掠れている。しかし、決して聞き逃してはならない何かを含んでいた。
 ただならない現状は、テレビ画面からも認識してるはずなのに、ただの高校生でしかない彼が「ルルーシュ」に関わろうとしている。それをはっきりと理解したミレイは、鳴り響く着信音に応答することを決めた。
 無論、放課後のこの時間であれば基本的にミレイが生徒会室にいることを把握しているだろうルルーシュの抜け目のなさも視野に入れて、のことではある。

「…ルルーシュ?」

『会長、ニュースは見ましたか』

 迷いを含んだ問いかけに返った言葉に、ミレイは自身の判断が間違っていなかったことを知らされてほっと息を吐いた。今更ながら握りしめていた手に浮かんだ汗に気付いて、自らの緊張を思い知らされる。

「今、生徒会室で見てるわ」

 言外にリヴァルがそこにいるのだと知らせるが、通話先の空気は変わらない。お見通しだとでも言いたげな雰囲気に、ミレイは今度こそ地に足がついたような気分になった。
 こうやって突然連絡してきたということは、彼にとってもこの事態は予想外だったということに他ならない。しかし、そうであっても正しい現状の理解は怠ってない様子が彼は大丈夫なのだと告げている。ルルーシュは色々と放っておけない部分も多いが、こうやって落ち着いている以上は彼を信じていればいい。

「大丈夫なのよね?」

『ええ、まあ』

 短く応える声には余裕まで滲んでいる。事情は分からないが、本当に状況は然程悪くないのかも知れなかった。
 ミレイの知る限り、ルルーシュにとって最も優先されるべきは妹ナナリーの安全と幸福だった。ブリタニアという国家の頂点である「皇帝」の座にナナリーが就いた今彼女の安全は…恐らくひとまずは、確保されている。幸福については、あの少女はルルーシュが傍についていてやればそれ以上を求めるとは思えなかった。
 無論、この状況をルルーシュが招いたとは考えられない。そう考えるにはあまりにも変化の規模が大きすぎた。利用されている、そう考えるのが妥当だろう。しかしその一方で、この状況をルルーシュ自身も利用しているというところか。
 つい先日まで同じ学舎で肩を並べていたことが嘘のようだが、突き付けられた現実は飲み込むほかに対処できない。もしかするとロロと名乗った転入生が今回のことに関わっているのかも知れないとも思ったが、それは確認しなかった。いずれ、きちんと目を見て説明して貰うことにする。

「分かってるでしょうけど、気を付けて」

『当然』

 ひとまず落ち着いたとはいえ声の固さが取れない自身とは異なり、ルルーシュのそれはまるで普段通りだった。大丈夫だと、再度思う。自分がそこにいないのが悔しいが、恐らくルルーシュは今一人ではない。そのことに安堵する自分の気持ちをかの副会長は知らないのだろうと思と悔しさとはまた別の感情が滲むが、それもまた別の話だ。
 ミレイの雰囲気が解れたことを感じ取った傍らの気配がぐっと息を飲んだので、視線で「大丈夫」と伝える。じれったいと言わんばかりに唇を噛み締めた彼を後でどう宥めようと思ったところで、そんなことに気を回す必要はないのだということに気が付いた。
 副会長が連絡した相手は生徒会長様なのだ。些事煩事に頭を悩ませるのはらしくない。

「あ、ルルーシュ? リヴァルが話したいことがあるらしいから代わるわ」

『は? ちょっ、会長!?』

 ミレイが彼を心配していること、詳細な説明はなくとも無事を告げればひとまず納得すること。それらを正確に予測していたらしいルルーシュは、しかし彼女が動揺を隠せないリヴァルを押し付けることまでは予想しなかったらしい。それまでとは打って変わって慌てたような声音に溜飲を下げた生徒会長様は、いたずらっぽくウインクしながら携帯電話を心配顔の後輩に押し付けた。その所作があまりにも普段と同じでリヴァルが少し落ち着きを取り戻したのも、まぁ思惑通りではある。

「ルルーシュ! お前、あのニュースなんだよ! ナナリーが皇帝って、あーもう、訳わかんねえよ!」

『分かってる、リヴァル落ち着け』

「落ち着けるかっての! お前ほんと大丈夫なんだろうな…」

 困惑も顕に叩きつけるようだった口調が、俄かに勢いを失う。それは言いたいことを口にしたことで得られる安堵からではなかった。何を言っていいかもわからず、何を告げられても理解できないような気がする、そんな困惑がリヴァルから言葉を奪う。

「なぁルルーシュ、突然留学とか言い出して、お前、今どこで何やってるんだよ」

 絞り出すようになってしまった声は、冷静に見れば実に情けないものだったろう。しかし自らの振る舞いの拙さを意識するにはリヴァルに与えられた衝撃は大きすぎた。息を詰めて返事を待つと、電話の向こうで彼の友人は暫し言葉を選ぶような間をとって口を開く。

『…リヴァル、全て終わったら、アッシュフォードに帰る』

 あ、こいつ説明省いて丸め込む手に出やがった。
 付き合いの長いミレイはもちろん、二人でつるんでよろしくない所に出入りしていたリヴァルにも麗しい声の主の思惑は筒抜けだった。隠し果せるはずもない。

『それまで、お前が生徒会を守ってくれないか』

 音楽を奏でるように優美な声で紡がれたのは、リヴァルにとって聞き覚えのある言葉だった。
 かつて彼自身の口から聞いたそれは、非の打ちどころもないほど誠実な響きを有している。
 むろん騙されてやるリヴァルではない。彼は舞台俳優のように希う声で、きっといたずらを思いついた悪ガキのように唇を歪めているのだ。それは、この目に見る必要がないくらいには確実なことだった。
 きっと帰ってくるからそれまで待ってくれるかい、そう祈るように言いながら、本当は「まさか俺が帰ってこないとでも思っている? 本当に?」と皮肉に現状を茶化している。だから、応えるリヴァルの声が友人の無事を神に願うような真摯なそれになるのも仕方がないのだ。

「きっと無事で返ってくるんだよな!?」

『ああ、約束する。それまで、アッシュフォードを…頼む』

「わかったよルルーシュ!」

『お前ならそう言ってくれると思っていた!』

「…」

『……』

 ふ、と笑ったのはおそらく同時だった。張りつめていた緊張の糸がゆるゆると解けて、肩に籠った力が抜けると同時に小さな笑いは二人だけの爆笑に変わる。弾けるように笑うのはリヴァルだけで電話口のルルーシュはくつくつと肩を揺らすように笑っているのだろうが、それが恰好を気にする彼の抱腹絶倒の形だった。
 状況も分からないのに、いつもサイドカーに乗せていた友人がいつもと変わらない悪ふざけをしてくれるのが嬉しくて少しだけ痛い。その様子を見遣っていた想い人が肩を竦めているのが目に入って、彼女が自分たちを「馬鹿ねえ」と笑っているのが分かった。

『リヴァル、ありがとう』

 笑みを収めて告げられた声からはふざけた色合いは抜けていた。おかげで、ミレイの気持ちが痛いほどわかる。
 ルルーシュは賢いのに馬鹿だった。茶化したまま電話を切ってしまえばいいのに、それが出来ないくらいには大馬鹿だった。そして、そんな彼と友人でよかったと思うリヴァルも同じだ。どんぐりの背比べだ。

「今度付き合えよ」

『分かってる。サイドカーの準備をしておいてくれ』

「ん、じゃあな」

 ぴ、と少し間抜けな音で通話が切れて、結局リヴァイは具体的なことは最後まで何も聞けなかった。しかし、知りたくてたまらないことは伝わっているのだからこれ以上を求めるのは間違っているのだろう。
 ルルーシュは下らない話が出来るくらいには大丈夫だし、次の約束は自然に交わされたし、何より彼はまだリヴァルの友人だった。もう十分だ。









 通話を終えて、ルルーシュはあの優しかった空間を思い出してほんの少し目元を緩めた。
 こうして何食わぬ顔をしてミレイやリヴァルに連絡を取っておきながら、その実彼はシュナイゼルの行動の素早さに対応が遅れたことを痛感している。
 昨日、ルルーシュのコードが完成した。
 その感覚はコードの完成を感じ取ったC.C.とルルーシュを以てしても上手く表現できない。ただ、欠けていたものが満ちた…否、満ちて初めてそれまでが「欠けていた」と認識するような、自分の足元から影が伸びていなかったのだと唐突に気付かされたような、そんな感覚だった。
 ともあれ、その事実で皇帝の崩御を知った彼は、密かに各方面への手配を進めた。あくまでも「密か」であることに努めたのは、シュナイゼルは即時には動かないだろうとの予測があってのことだった。
 次期皇帝として誰もが相応しいと目しているのは第2皇子シュナイゼルその人だが、穏便にことを運ぶにはオデュッセウスが邪魔になる。否、凡庸で争いを好まない性質の第1皇子は邪魔にはならないかもしれないが、彼を出世の足掛かりにせんと目論んでいる有象無象を片付けるにはまだ「皇帝」の影があった方が好ましいはずだった。それが、既に口出しを出来ない状態にあるならばなおのこと。
 それゆえ、シュナイゼルは暫し皇帝の崩御を隠すかと思われたが、蓋を開けてみれば彼は翌日早々に次期皇帝の擁立を全世界へ発表していた。しかも、恭しいまでの態度で「新皇帝」として紹介されたのは「行方不明になっていた不遇の皇女」だった。そこに策謀の匂いを感じないものは誰一人としていないだろう。
 つまり、ナナリーはまた利用されたのだ。醜い、権力という名の黒い渦を制御するための人形として。

(ナナリー、待っていてくれ)

 再度ゼロの仮面を用いるようになったルルーシュは、しかし慈しむべき妹に対する愛情を多少なりとも失ってはいなかった。ただ、自身の行動の全てを彼女への想いだけで決定しなくなってはいる。そうしなければならないほどに最愛の妹は未熟ではないとルルーシュは知っていた。更に言えば、この世界に目覚めた魔王たる彼は実に強欲なので守りたいものが両手いっぱいに増えていて、ナナリーのためだけに動けなくもなってもいる。
 とはいえ、これはあまりにも酷かった。あんまりだと言わざるを得ない。必ずや助け出してやると胸に誓うには十分すぎる事態だった。
 そう思えばこそ迂闊には動けない黒の騎士団総帥は、胸中に可憐な少女の無事を祈る。周到なシュナイゼルが全世界に公表した以上、ナナリーの安全は暫定的にであれ保たれていると見るべきだ。ならば、早期に決着をつけるまで。

(きっと救い出して見せる)

 脳裏にナナリーの微笑みを思い描くその行為が魔王のモチベーションを高めているのだと知っている魔女は、共犯者の細い肩がふるふると震えるのを唇を笑みの形に歪めて見守っていた。
 複雑怪奇な思考回路を有する彼は、その実結構わかりやすいところもある。今回のことで言えば、どうせ友人の声を聴いてほっこりしたついでに暖かい学園生活を思い出し、無理やりそこから引き剥がされた妹を思って決意を新たにしている、とでもいったところか。最近は彼を甘やかす楽しみも覚えてきたのでその形の良い頭を引き寄せ抱きしめて柔らかい髪を存分に撫でてやってもいいのだが、それは今度二人きりになった機会に譲ることにした。
 C.C.も命は惜しいし、ルルーシュはこれから紅蓮の鬼神に慈悲を乞わなければならないのだから。

「…で、ルルーシュ? 勿論状況は説明して貰えるのよねぇ?」

 瑞々しい少女の声はいっそ優しいと表現しても良い響きを有していた。だが、黒の騎士団総帥の親衛隊長たる彼女は、その主ほどにはポーカーフェイスが得意ではない。あの仮面で特技はポーカーフェイスです、といって何割の人間が納得するかはまた別の話だ。
 つまり、我らが守護神ことカレン様は朗らかな笑顔の端々を怒りに引きつらせて愛すべきゼロが説明を口にするのを待っている。ここで間違えてはならないのは、彼女が求めているのが言い訳ではないことだ。ここを見誤ると後々痛い目を見ることになる。

「カレン…」

 珍しく窮した声を上げるルルーシュに、カレン同様説明を求める意欲を隠していなかったシャーリーとロロは、目に見えて勢いを失った。ぐっと息を飲んでお互いに視線を交換した彼らは、鏡に映したように全く同じ表情で押し黙る。
 大きな目を心配で滲ませながら「知りたいけど困らせたくないな」と顔一面に押し出した二人は、まるで打ち合わせでもしたかのようにぴったりと息が合っていた。やたらと仲が良いような気がしていたが、ここまでとは知らなかった。
 一方で、広大過ぎて果てが見えない懐の深さを有する神楽耶は、場違いなまでに楽しげに微笑む。彼女は垣間見たゼロの素顔や「ルルーシュ」「枢木の友人」といった要素から既に我らが総帥の素性を理解しているが、それにしても彼の妹が皇帝として紹介されているこの状況でなお涼しげな風情を崩さないのは流石という他なかった。

「あら、わたくしはルルーシュ様が伏せるべきだと思ったことなら無理には聞きませんわ」

「ダメよ! いい、ルルーシュ? あんたってば放っとくと一人で何でも抱え込んで、誰も彼も助けようとして、危なっかしいったらないんだから!
 私はあなたと同じ道を行くと決めたの! ルルーシュの敵は私の敵! 全員ぶっとばすためにも、分からないままじゃ居られないわ!」

 一言ずつ怒鳴りつけるように言われて、ぐうの音も出なくなったルルーシュは助けを求めるようにC.C.を見遣る。

(ばかめ、それでは火に油を注ぐだけだ)

 そう思ったが、教えてやるつもりはない。自身に突き刺さるカレンの視線が「やっぱりアンタは何か知ってんのね!?」と言いたげなのには薄い笑みを返してやるが。
 ルルーシュの愛情は枯れることなき源泉のようなもので、受け取るものが多くなったからといって自分に向けられたそれが少なくなったとは思わないが、ちょっとくらい優越感を味わってみても罰は当たるまい。

「良いじゃないかルルーシュ。この程度のことなら、教えてやればいい」

 とびっきり優美に笑みを浮かべて「この程度なら」を強調してやる。そうしておいて、これ以上の秘密はお前と私二人だけのものだ、と耳元で囁いた。これには流石の神楽耶も反応を隠せず、いつもの微笑みがより深くなる。どういうことですか、と口にしないのは彼女の慎み深さゆえか、或いは沈黙にこそ逃れられない重圧があると知ってのことか。

「ルル…?」

「兄さん…?」

「ルルーシュ、全部白状してもらうわよ! 全部! そのピザ女が隠してることも、洗いざらいね!」

「おお恐ろしい。どうするルルーシュ? このままでは知られてしまうぞ、お前と私の秘密のアレとかコレとか…いや、これ以上はいくら私でも口には出来ないな」

 相棒の流儀に則って演出過多気味に慄いて見せると、予想通りほぼ全員から鋭い視線で貫かれた。半分くらいは本気で煽りすぎたかもしれないと思いながら、それでも「以前」の記憶を有する魔女は己がことながら呆れるほどに浮かれている。
 かつて同じように妹が敵対した時、C.C.は軽々しくルルーシュを慰めることが出来なかった。C.C.同様ルルーシュの傍にいることを許された枢木も、なによりルルーシュ本人もそれを望まなかったあの時に納得と寂寞を飲み込むのに苦労した記憶が思い出される。
 それが、今となっては赤裸々なまでに心情を明らかにすることを許され、むしろそうしないことをこそ責めるような視線の中で右往左往しているのだ。ナナリーには申し訳ないが、必ず助けるから今だけは許してほしい。

「C.C.、いい加減に…!」

「で、ルルーシュ様。結局、何股ですか?」

 我慢の限界とばかりに声を上げた黒の騎士団総帥の声に被さるように、控えめで上品な声が質問を落とす。
 瞬間、全ての雑音が抹消されたように室内は静寂に包まれた。いつもと変わらぬ穏やかな微笑みを浮かべた彼女は、数回瞬きを繰り返して揃えた指先で唇を隠し、小さく首を傾げて見せる。それは、あどけないといっても良い仕草だった。

「あら。少し、はしたなかったでしょうか」

「咲世子…」

 ルルーシュを慕う者たちに信頼すべき同胞として彼女を紹介し、咲世子自身が挨拶を述べて以降ずっと黙ってにこにこしていたものだから、ルルーシュは彼女に対しての警戒を怠っていた。
 篠崎咲世子は信頼すべき心根と能力の持ち主だが、一風変わった性格の持ち主でもある。忘れていたわけではないが「新皇帝」の即位とその対応に追われていて、意識が十分ではなかった。
 がっくりと肩を落としたものの、これは一種の好機かもしれない。狙ったわけでもないだろう発言に雰囲気が変わったことを利用して、その声にゼロの仮面を張り付けたルルーシュは厳しく言葉を紡いだ。

「ともかく! 事実として、皇帝は死んでいる。この情報は確かだ…問題は、ナナリーだ。
 ゼロの正体に勘付かれたつもりはなかったが、現実問題としてナナリーはシュナイゼルの掌中にある。必ずや、奪還する」

 目的を明確にすると、不満を顕にしていたカレンがぐっと息を飲んだ。その瞳は誤魔化されてはやらないぞと息巻いているが、ルルーシュは今更彼女に出生を隠すつもりもない。

「力を貸してほしい」

 意図したものではなかったが、その一文は酷く丁寧な発音になった。人にものを頼んでいるのだから当然と言えば当然だが、侠気溢れるカレンはこの声に弱い。喉の奥でくぐもって声にならなかった唸りを飲み込むと、その代わりとでもいうように大きな息を吐いた。

「今更そんなこと言わないで。当たり前でしょ、ルルーシュ。
 でも、全部終わったら話して貰うわよ。C.C.が隠してることも、貴方がどうでもいいと思ってることも洗いざらいね」

「ただの昔話でしかないが、それでも?」

「バカね、それを知りたいのよ。貴方の思い出話はすべてが終わってからのご褒美だとでも思うことにするわ。
 だから約束して。絶対に一人で戦わないこと」

 腕組みの姿勢からはそれで我慢してやろうという彼女の意図が明確に伝わる。C.C.を除いては最古参だという自負があるのか、カレンはそれが他のメンバーの総意であるような言葉の選び方をした。親衛隊長の強引な優しさに感謝した総帥は、しっかりと頷くことで応える。
 何とか…なんとなく、場を収めたルルーシュは、実に素朴な様子で呟いた咲世子の声と答えを返す神楽耶のそれを無視した。

「それで…結局、いかほど?」

「あら、これからも増えるかもしれませんもの。今数えても無意味じゃありませんこと?」

 










 優しい世界でありますように、そう言った白百合のように嫋やかな少女の声を思い出して、シュナイゼルは背筋に慣れない感触が走るのを感じた。
 まだ輪郭に幼さを残すナナリーに暴かれて以来、これまで生きてきた世界が偽りだったかと疑うほどに、目に映るもの全てがシュナイゼルにとって新しい。それは、強烈なまでの悪寒もそうだった。否、この感覚こそが新たな…真実の、世界の全てといっても良かった。
「ブリタニア第2皇子」として他者の願いを調整し、妥協点を見出して実現することだけを行ってきた道具のような以前の自分であれば、彼女の声音に潜んだ色には気付かなかっただろう。しかし、他でもない彼女自身に感情を植え付けられたシュナイゼルにとっては、それは目に見えないことが不思議なほど明確なものだった。
 シュナイゼルが認識する強者の一例として、前皇帝を一言で表すなら「英雄」という言葉が相応しい。
 彼はブリタニアの版図を過去最高までに押し広げ、一代で他の追随を許さない強国へと育て上げた。その陰で泣く者も多いが、踏みにじったものの多さこそが彼を覇者たらしめている。後世の歴史家が彼を称えるだろうことは想像に難くなかった。しかし、とシュナイゼルは思う。

(それだけだ)

 偉大な強者だった父は、それだけの男だった。シュナイゼルは「第2皇子」としてもシュナイゼル自身としても、彼に及ばない部分の方が多い。それでも、近年の統治を余所事として捉えていた前皇帝の隙を狙うことは不可能ではなかった。前皇帝に「勝てる」と思ったわけではない。ただ、主導権を己が掌中に移す道筋は模索可能だった。
 さらにいえば、たとえ彼に挑んで敗れたとして、シュナイゼルは全く恐怖しなかっただろう。ただ第2皇子として彼の統治を「好ましくないもの」として排除しようと動き、第2皇子として力及ばず敗れ、第2皇子として命を落とす。死やそれに付随する苦痛に対して、第2皇子たる彼は恐怖を覚えなかった。そういうものなのだと納得して逍遥と受け入れる自分の姿は想像に難くない。
 しかし、ナナリーに対してはそうではなかった。ナナリーは彼を「第2皇子」として遇さない。これまで誰にとっても有効だった傀儡の外側に、彼女は焦点を合わせなかった。
 彼女の前で、シュナイゼルは己というものを持たない矮小な「シュナイゼル」でしかない。
 ナナリーにその内面を暴かれて、シュナイゼルは如何に自身が空虚だったかを思い知らされた。そして、彼女はその抜けるように白いしなやかな指先で、ぽっかりと空いた空洞に恐怖や蔑みを詰め込んだ。その時の小鳥のさえずりのように愛らしい声音を思い出すだけで、体内の血液全てが凍りついたような息苦しさを感じる。
 新しく作り変えられたシュナイゼルの内側には、ナナリーに与えられたものしか入っていない。
 だからこそ、あの子守歌よりも優しい祈りの声がどのような心情のもとで吐露されたのか手に取るように分かった。
 冷たくなった息を意図して吐くと同時に、懐の通信機が静かに着信を告げる。そこに表示された名前を見て、シュナイゼルは許しを請うように車椅子の少女に視線を向けた。

「どなたです」

「…コーネリアです」

「そう、コーネリアお姉さま…。
 ではきっと、ユーフェミアお姉さまもいらっしゃるんでしょうね」

 呟き程度の声で言ったナナリーは、小さく頷いて応答の許可を出す。
 第2皇子としての仮面を被りながら通信機に耳を当てたシュナイゼルは、会見以降からずっと感じている恐怖がより大きくなったことにその身を震わせた。
「不遇の皇女」としての外観を崩さないナナリーが「シュナイゼルお兄様」あるいは「コーネリアお姉さま」と呼ぶとき、そしてそれ以上にユーフェミアを姉と呼んだとき。他の誰から見ても、少女は可憐で愛らしく無垢な存在に見えただろう。
 しかし彼女に与えられたものしか持たないシュナイゼルは、誰よりも正確に彼女の心情を汲み取ることが出来た。彼女の心中は、慈愛などに溢れてはいない。他のありとあらゆる感情の存在を許さないほどに彼女の発言を彩るものが大きすぎて、一見空虚であるようにも見えるがそれもまた異なっている。
 ナナリーの柔らかな声音は、絶望的なまでの憎悪で染め上げられていた。
 




 



「なぜです兄上!」

 声を荒げるコーネリアを見遣って、ユーフェミアは酷く冷静な自分に驚いていた。
 新皇帝として紹介された少女がその地位に相応しくないことは誰が見ても明らかとしか言いようがない。しかしコーネリアが当惑するのはそれだけが理由ではなかった。
 清らかに微笑んだ新皇帝は、コーネリアが追う事件の当事者だった。エリア11に送られ、自らが就任するはるか前に命を落としたと聞いていた彼女が突然現れてブリタニアの最高位に即位したのだから、彼女の驚きは当然といって良いだろう。
 それを理解しながらも、ユーフェミアは傍観者のような静謐な心持で現状を俯瞰していた。
 ナナリーの登場は、突然すぎるのではないか。しかし、この居並ぶすべての者の意表を突くやり方はユーフェミアにとっては馴染み深いものだった。
 苛立つ声を聴きながら、濡れたような漆黒を思い出す。それは一つには、優しい世界を願った少女の兄の頭髪の色だった。自身と比べて活発だった妹をこれでもかというほどに可愛がっていた彼が、体の不自由なナナリーを一人にしただろうか。

(いいえ)

 心中に問いかけるまでもなく、即座に否定する。
 彼はナナリーの傍にいたはずだ。そうでなければ、今日にいたるまでナナリーがブリタニアの目を逃れて生きていけるはずがない。無論、彼女を匿う存在もあっただろうが、そもそも彼女の兄がいなければ…ナナリーだけでは、ブリタニアに逆らって守護するほどの利用価値を見出すのは困難だった。

(ルルーシュ、貴方がナナリーを守っていたのね)

 それは、困ったことがあるたびに心中で彼に語りかけていたユーフェミアにとってひどく自然な推測だった。
 だからこそ、もう一つの可能性が脳裏に翻る。困ったときに語り掛けたくなるひと、弱者を…例えばナナリーに代表されるような、弱者を決して見捨てぬ存在。幼かったルルーシュと同じようにユーフェミアの心根を信じてくれる、その人に心当たりはないのかと。
 姉に言えば馬鹿げた発想だと笑われることは分かっていた。
 しかし、本来であれば怜悧な合理主義者の彼がろくに会話を交わしたわけでもないユーフェミアを信じて日本人を託してくれた、そのことことが馬鹿げた現実ではなかっただろうか。

(ルルーシュ、貴方が)

 ユーフェミアに弱者を任せ、いかなる手段を用いてかナナリーをブリタニアの頂点に押し上げた。そう思うのは、経験が浅い小娘の夢想なのかもしれない。しかし、それを半ば以上事実だと信じている自分をユーフェミアは自覚していた。
 だとすれば、彼はこの先に何を求めているのだろう。

(ブリタニアの改革…? すべての人を守れる優しい世界を、ナナリーの手で実現させる?)

 そう考えて、胸中の違和感に頭を振った。その発想はおそらく間違っている。
 万が一中からの改革を求めたとして、彼であれば敵を作ることも多いその役目は自らの手で行うはずだった。そして、それ以上の根拠としてユーフェミアはゼロの声を思い出す。彼の冷静さに潜んだ苛烈な色は、中からの穏やかな変革を是とするものではなかった。
 あの諧謔めいたつややかな仮面には、破壊こそが相応しい。

(破壊を是とする彼が、わたくしに求める役割)

 それがある筈だった。ない筈がない。
 彼はユーフェミアに確かに何かを託したのだ。行政特区に残った日本人の命と、旅だった民の未来と、それ以外の何かを。
 形にならない輪郭を追いながら、ユーフェミアは総督の執務室を辞した。これ以上ここにいても、得られるものは何もない。
 繊細なヒールが奏でる足音を響かせて歩む副総督は、脳裏に去来する問いの答えをどこに求めるべきか考えなければならなかった。回答を有する黒衣の人物は、ユーフェミアの問いには決して答えないだろう。否、彼に答えを求めるようではいつかの約束は永遠に果たされないのは分かり切っていた。行政特区が効力を発したあの日、辛辣で的確で、誰よりもユーフェミアを認めてくれていた教師だったゼロはその役目を終えている。ユーフェミアはあの日、彼の生徒ではなく一人の為政者になった。
 そうである以上彼には頼れない。しかし、ゼロが終始教えてくれたのは個人としては無力なユーフェミアの現状だった。それは明確に胸の中に焼き付いている。

(今のわたくしが何を考えても、自分一人で答えは出せない)

「副総督!」

「あ、はい」

 知らず眉根を寄せていた彼女は、若木のように瑞々しい声に呼ばれて振り向いた。思考に没頭しすぎていたせいで誰がなぜ自分を呼ぶのかも分からず素っ頓狂な返事になってしまったのに、呼び声を発した青年はふっと小さく息を吐く。笑われたのだ、と気づいて頬に朱が上った。照れ隠しにむっとした表情を作ると、笑みを引っ込めた彼は妙に畏まって見せる。それがポーズだと分かってしまうのは、彼と随分親しくなった証拠といったところか。

「すみません。次の間でお待ちしておりましたが、お声掛けいただけなかったので」

「…忘れてました。ちょっと、考え事をしていたんです」

 自らの騎士として就任した名誉ブリタニア人の彼は、総督の執務室まで同行することが許されていない。ユーフェミアが退出する際に声を掛けるべきだったが、本当にすっかり忘れていた。
 わざとらしく作り上げていた真面目な表情を崩したスザクが普段通りに優しく微笑みかけてくれることに肩の力を抜いたユーフェミアは、ふと自らの騎士の瞳を覗き込んだ。新緑のような鮮やかな色が、驚いたように何度か瞬きする。

「あの、副総督…?」

 他に誰がいるか分からない場所では彼は堅苦しい敬称を崩さない。それを幾分か煩わしく感じながらも、瞳の奥を覗き込むのをやめられなかった。現実の一言で片づけるにはあまりにも多くのものを見せつけられた彼は、しかし陽光のような暖かさを失っていない。
 その彼が…幼かったルルーシュの友人だった彼が、新皇帝の即位に何も感じていないということがあるだろうか。

「スザク、ルルーシュの連絡先を教えてくれますか?」

「…できません」

 残念ながら駆け引きは得意ではないので直に頼んでみたが、あっさりと断られる。短い答えにはいろいろな裏が含まれているが、意味は拒絶でしかなかった。不敬と処罰されてしかるべきのそれに、ユーフェミアは酷く納得する。
 ルルーシュの友人は、こうでなければならない。

「では、元気で過ごしているかだけでも確認できますか?」

「副総督、自分は…ご希望には添えません」

 いっそ苦しげなまでに言葉を紡ぐスザクに他意はないのだと告げたいが、あまりにも白々しいので止めておく。スザクも自分と同じだということが分かれば十分だった。
 ナナリーの即位に驚いていないわけではない。しかし、その裏に確実に信頼できる「誰か」の影を感じ取っているから無暗やたらと動く必要性を感じていない。
 自身の推測が確定事項に変わるのを感じたユーフェミアは、探る視線を引っ込めてゆっくりと瞼をおろし、再度持ち上げた。
 行政特区の責任者になった自分、その傍らに立つスザク。恐らく全てはゼロ…彼の、思惑のとおりに。それを理解した瞬間、ユーフェミアの胸に様々な感情の波が去来した。泣きたくなるほどに切なくてたまらなく幸福なそれが落ち着いた後、沸き起こったのは一種の闘志だった。

「スザク、やられっぱなしは癪に障ると思いません?」

「は? え、何が?」

 話題と雰囲気の転換に戸惑うスザクが目を白黒させるのを見遣って、ユーフェミアはいたずらっぽく笑った。
 自分に未来を見据えさせ、将来を模索できる立場にスザクを置いて、安全な場所にナナリーを配する。このまま黙っていれば、彼の思惑通りの世界が出来るのだろう。事実、今のところ世界は彼の指先が指し示す通りになっている。だが、今がすべてではないとユーフェミアに教えたのもまた、彼なのだ。

「ね、今日の予定は全部キャンセルです。行きたいところがあるんです」

「いきなりそんな! キャンセルって、え!?」

「大丈夫! 今は皆新皇帝即位でそれどころではないでしょう? さ、わたくし達これから忙しくならなくちゃ!」

 これは勘だが、世界情勢は今日を境に忙しく動き始めるだろう。うかうかしていたら、いつの間にかすべては終わってしまうに違いなかった。そうなる前に、ユーフェミアはユーフェミアの、スザクはスザクの未来のために…そして二人とも、守るべき全ての人のために働かなくてはならない。
 そうでなければ、自分にも彼にも胸を張れなくなる。

「まずは、研究室に行きます!」

 そこにはゼロが示唆した未来という名の力がある。これも彼の思惑の内かと思うと悔しいが、与えられた材料で想定以上の答えを出すのは必ずしも不可能ではないとユーフェミアは知っていた。
















       















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