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「ロイドさん、この作戦…本気ですか!?」
「だろうねぇ…あの方からも特にコメントはないし…」
 同じように曇った顔をした二人は、一枚の命令書を見詰めて肩を落としていた。内容は簡潔に、彼らの擁するKFと枢木スザクに対する出撃命令のみを記している。司令官は特になし。つまり、研究機関がその成果を実戦に投入するようにと言われているのだが単騎駆けにしても状況が悪すぎた。
「特にコメントはないって…でも、殿下はエリア11にいらっしゃるのでしょう?」
「そーなんだけどさぁ、エリア11にはちゃんと総督がいるからねぇ。宰相閣下とはいえ直接の戦闘指揮に口出しはしないみたいなんだよねぇ」
 何の気なしに聞こえるが、その実ロイドがはっきりと言葉を選んでいることはセシルにも分かった。口出し出来ないのではない、『しない』だけなのだと彼は言っている。実際、政治的な問題を言えばここでエリア11が中華を撃退しても一時的に版図を奪われても、然したる問題はなかった。撃退すればそれでよし、出来なければブリタニアには中華への攻撃の口実が与えられる。ランスロットにしても、莫大な費用をかけた研究の成果は数値として残してあった。ここで失われたとしてもそのデータそのものが更なる発展に繋がる可能性は大きい。つまり、どうなってもシュナイゼルの懐は痛まないのだ。
「でもそれじゃスザク君は…」
「お手上げなんじゃないの。あぁ、僕のランスロットが…」
「…言いたいことはそれだけですか」
「他に何を言えるって?」
 きつくロイドを睨みつけたセシルは、しかし継ぐ言葉を持たずに視線を落とした。この命令書をスザクに見せれば、彼は二つ返事で快諾するだろう。否、命令である以上軍人の彼に拒否権はない。当然ともいえるその事実が彼女の胸に暗い影を落としていた。







夢中天 40 






「これより黒の騎士団は中華・澤崎に対して制圧行動を開始する。キュウシュウに向かうのは私とC.C.およびカレン、ロロの4名。残ったメンバーは、各地のレジスタンスの蜂起から市民を守って貰う」
 神楽耶を別室に移して早々、仮面の男は平然と指示を出した。明確に示された方針に、しかし団員の一部は未だ動揺を隠しきれない。彼らの声を代表するように、憮然とした表情の玉城が重い口を開いた。
「しかしよぉゼロ、なんつーの? 今まで好きなように俺たちをいたぶってくれたブリキ野郎を守って、日本人同士で戦うってのはよぉ…」
「忘れるな。我々はレジスタンスではない…正義の味方だ!」
 表情の見えない仮面の男に言い切られた玉城は言葉に詰まる。傍から見れば冗談のような光景だが、ゼロはその言葉に説得力を持たせるだけの働きをしてきた。その理想は玉城だけではない、団員の誰もが賛同しうるものだったが、ここに来て彼らの意志に揺らぎが出ている。
(無理もない。今、レジスタンス達の当初の望みの結集とも呼べる状況に手が届きそうになっている)
 仮面の下で冷静にそう断じたルルーシュは、しかしそれを認めるわけにはいかなかった。現在の戦力ではブリタニア本国に勝利することができない、それだけが理由ではない。例え今ブリタニアに勝利してもそれでは何も変わらなかった。強者が武力で自由を、権利を奪い取り…弱者の頭を押さえつける。その現実を変えるためにはエリア11だけではなく世界を巻き込んでことを起こす必要があった。
「…ゼロ、我々はお前の理念を信じてここまでやってきた。しかし、この道の先に何があるか、それを示して貰いたい」
 張り詰めた空気を裂いたのは、凛とした藤堂の発言だった。ゼロは玉城に向けていた視線を藤堂にひたりと据える。言葉の通り、かつて中佐の地位にあった男の眼差しに既に迷いはなかった。ただ、指針を求めている。
 彼のその表情を見たゼロは、そっと口元に笑みを浮かべた。その問いを待っていた。実際の行動のための理想を、理念を掲げ続けていたがそろそろ団員たち一人一人が未来をその脳裏に描かなければならない。しかし、黒の騎士団総帥が自らそれを言い出したのではただの押し付けになる可能性があった。これまでの絶望の中で思考停止した彼らが、どのような未来を望むべきか、求められて口にするのでなければ本当の意味で受け入れられることはない。
 機が熟したことを知ったゼロは、普段通りの声を発した。
「弱者が虐げられることのない社会をこの国に…いや、世界に作り上げる」
「はあ!?」
 ゼロの言葉が終わるや否や、玉城が理解できないとでも言いたげな声を上げる。
「ちょ、ゼロお前正気かよ!?」
 いっそ呆れた風情の玉城の発言は、団員全ての感想といっても良かった。指針を求めた藤堂ですら、ゼロの発言の真意を掴みかねてやや呆然としている。唯一、壁に背中を預けて成り行きを見守っていたラクシャータだけが小さく肩を震わせていた。無理もない、とゼロが言葉を重ねようとする前に、我慢が出来なくなったらしいカレンが低く言葉を紡ぐ。
「玉城…! もう一回言ってみな…!」
 それは決して大きな声ではなかったが、居並ぶものの背を凍らせるには十分すぎるほどの威力を有していた。彼女の声に同調するように、ロロもまたその大きな瞳を冷たく凍てつかせている。
 心中息を吐いたゼロは、軽く右手を挙げて彼らを制した。黒の騎士団に意志の不統一は許されない、しかし発言の全てを殺すようでは意味がない。カレンたちもそれを理解していないわけではないため、ひとまず渋々といった体で肩の力を抜いた。緊張が緩んだことに背を押された藤堂が、固い声を発する。
「…いいだろう、ゼロ。我々の未来は既にお前の手中にある」
「感謝する」
 重苦しいとすら言える藤堂に応えたゼロの声は普段と何ら変わりなく、そのことが逆に黒の騎士団総帥の決意を皆に知らしめた。現実感のない、夢物語にも考えないような未来図が、しかしゼロが本気だという事実一つで「将来」の選択肢になる。その現実を、団員たちは一人残らず思い知らされていた。
「ふぅん、面白い男だとは思ってたけど、予想以上だね」
 言葉通り楽しげに目を細めたラクシャータが、煙管を軽く上下させる。その気負ったところのない声は記憶にあるものと全く変わらず、思わずゼロも仮面の下で表情を緩めた。無論彼女について知っていることはその性格だけではなく、むしろ高い技術力の方が鮮烈なイメージを残している。それを今度も遺憾なく発揮してくれたことに対してゼロは畏敬の念すら感じていた。
「ラクシャータ、今度の作戦は貴女の協力なしには成立し得なかった。礼を言わせて貰おう」
「別に〜? それよりも、例のデータ…あれの出所を聞きたいところねぇ。フロートユニットの概念と現物…それだけじゃない、現在の技術力ではカバーしきれないエネルギー効率の計算書、あんなものどこで手に入るって?」
「企業秘密、といわせていただこう。必要なのはニュースソースではない、それをいかに使うかだ」
 小首を傾げて無表情なゼロの仮面を見詰めていたラクシャータは、言葉に反して回答を望んでいる風情ではなかった。彼女の瞳はこの場での回答などではなく、もっと別のものを求めている。それに応えるだけの準備をしてきたゼロは、改めて強い意志をにじませる声を発した。
「国内の勢力に関しては藤堂に指揮を任せる。日本人と対立するのではない、あくまで目標は弱者の保護であることを忘れるな。
 これより、作戦を決行する!」









 ユーフェミアは自身の無力を嘆いても何も始まらないことを痛いほど思い知らされていた。それでも、ことここに至っては己が無力を呪わずにはいられない。自らの騎士にと望んだ男が死地に赴くのを黙って見守るしかない、それは無力と呼ぶことすらおこがましく感じられた。
(スザク、必ず生きて帰って)
 願いながら見つめる先には暗雲が立ち込めている。今回の作戦は副総督の同席は許可されていなかったが、ユーフェミアは半ば無理やりアヴァロンに乗り込んでいた。今作戦の、否、姉の狙いは分かっている。地の利を有し天候を味方につけた中華・澤崎軍の士気は高かった。正面からそれに当たっては、いかに優勢を誇るエリア11駐留軍とて無事では済まない。それだけではない、国内の不穏分子が動きを見せているという報告も上がっている以上、全ての勢力をキュウシュウだけに向けることはできなかった。つまり、コーネリアは攻めあぐねている。
(だから、スザクに敵の意識を集めようとしている)
 フロートユニットは目新しい。そして、ランスロットは能力のみを見れば他のKFとは別物と呼べるほどの性能を誇っていた。囮としてこれ以上のものはないが、それだけに敵の攻撃は苛烈を極めるだろう。万が一、姉の援軍が間に合わなければスザクの命は風前の灯といっても良かった。
 個人的な感情でいえばユーフェミアは作戦に反対したいが、戦術的必要を説かれれば知識のない彼女は沈黙するほかなかった。そうでなくとも、上位にある総督が作戦を決断した以上口出しの余地はない。
「ランスロット、発艦します」
 オペレーターとしてのセシルの声が静かに空気を震わせる。握りしめた指先が白くなるのを見詰めながら、ユーフェミアはじっと息を潜めているしかなかった。
 分厚い雲をかきわけて飛ぶランスロットは、いかにも強く凛々しい風情を保っている。暗い空を背景に舞うその姿に息を吐きかけた副総督は、しかしモニターの一つに映しだされた情報の一つに目を奪われた。そこには、現在のエネルギー状態が克明に表示されている。
(…早い!)
 KFの知識に暗いユーフェミアには、ランスロットのエネルギー効率がどのように計算されているのかは分からない。しかし、適地を目掛けて飛ぶスザクの乗機がすさまじい勢いで動力を失ってゆくのは目に見えて明らかだった。
「中華の介入の口実は澤崎の存在…と言いたいところだけど、日本解放戦線が合流してるからなぁ。さぁて、ランスロットだけでどれだけやれるか」
 軽く眉根を寄せたロイドが珍しく不機嫌な声で呟く。キュウシュウの戦力をスザク一人で叩くのは不可能だが、その口実だけを狙うにしても分母が大きすぎた。やれやれと言いたげに肩を竦めた彼の言葉があまりにも絶望的で、副総督はきつく瞼を閉じる。
(違う、見届けなくては…。スザクは必ず帰ってくる、わたくしがそれを待たなくてどうするというの!)
 自らを鼓舞して見やった視線の先、モニターが映しだすのはあまりにも厳しい現実だけだった。








 地上に降り立つと同時に、既に赤い光をその身に宿した刀身で敵を両断する。足の下に感じる大地の存在にこれほど安堵したのは初めてのことで、スザクは我知らず息を吐いた。それと同時に、オープンチャンネルで通信が入ったことを告げるアラートが短く響く。応答すると、画面に映し出されたのは痩身の男の姿だった。
「私は澤崎。…こちらに向かってくる君は、枢木の息子か?」
 男の声に、スザクは小さく息をのんだ。枢木の息子かと問われれば、答えは一つしかない。しかし現在の自分は、そういった柵を離れて、戦闘を終わらせるためにここにいる。逡巡したスザクが選んだのは、彼の問いに対する答えではなかった。
「…降伏してください」
「君は日本独立の夢を奪う気か」
「なら、正しい手段で叶えるべきです」 
 淡々と答えた瞬間、スザクの脳裏に穏やかな学園の光景がよぎる。妹を慈しむ兄、一心に兄を慕う妹。スザクが求める理想、最も美しい人間のあるべき姿。それと同時に、ここに来るまでに聞いた幼馴染の言葉が呼び起こされた。
『俺は世間を騙して嘘を吐いて、法まで犯して生きている』
『とんでもない悪人だな』
(…違う…)
 天候のせいで周囲は薄暗く、目標となる建物が不気味に聳え立って見える。それを目指しながら、スザクは痛みを堪えるように表情を曇らせた。
 自分の言葉が正しいはずのルルーシュを否定する。正しい手段を取るべきだ、それがルールだ。ルールは絶対的なもので、守られなければならない。それと同時に、現実としてのブリタニアをスザクは既に知っていた。ルルーシュ達は弱者であり、その上一部の人間にとっては目障りな存在だろう。正直に名乗り出れば彼らに命の保証はなかった。だから息を潜めて生きている、ルールを破っていることを承知の上で。
(違う、ルルーシュ達が悪いんじゃない!)
「君はそうやって我が侭を通すのか。理念なき正義だ」
「違います! それは」
 正義こそ、ルールこそ理念であるはずだ。そうでなければならない。
 正しいことを選べば、皆がそうすれば優しい世界は出来上がるはずだった。言い募ろうとした瞬間、背後から衝撃を感じてスザクは息を詰まらせる。それと同時に手から滑り落ちたVARISを敵の攻撃が打ち砕いた。しかし、自身の重要な武装が失われたことよりもスザクにとっては揺らぐ意志の方が重く感じられる。半ば以上本能的に建物の陰に身を隠すと、冷えた呼気を自覚せずにはいられなかった。
 自身の友人が間違っているとは思わない、決してそうは思えない。妹のために泥だらけになりながら、罵詈雑言を浴びせられながら一人で生活を支えていた幼いルルーシュ、何も分からないままに湿気とカビしかない場所に押し込められて、それでも兄を信じて愛らしい笑みを浮かべていたナナリー、彼らはスザクにとって正しい人間の象徴とすら呼べた。しかしルールは彼らを守らない。
「違う…だけど、それがルールなんだ…!」
 血を吐くような声が寂しいコックピットの中にこだました。








「スザク君、どうしたの!? エネルギーを戦闘と通信に集中して! スザク君!?」
 澤崎とスザクの会話はアヴァロンでも拾っていた。然程重要な何かを告げていたわけでもないそれは、しかしスザクから見事といってよいほどに冷静さを奪っている。戦闘に普段のキレを見せないスザクは、みるみる内に窮地に立たされていった。脱出のための最後の頼みの綱とも呼べるフロートユニットも破壊されセシルとロイドに緊張が走る。
「スザク君、聞こえる!?」
『分かっています…それがルールなら、従わなくてはいけないんです』
「はあ!? ちょっと、キミ何言ってるの!」
 指示に応えるでもないスザクは、一機また一機と敵を倒していた。精彩を欠いているとはいえ、機体の能力とスザクのそれは簡単に他者に引けを取るものではない。しかし、そうしながら彼が吐いた傷つくことすらできずに締め上げられるような息苦しさに満ちた声は、ユーフェミアには聞きおぼえがあるものだった。
(これは…わたくしと同じ。何も出来ず、立ち止っていた時のわたくしと…!)
 そう思った瞬間、ユーフェミアは堪らずセシルの手から通信機を奪い取った。
「皇女殿下!?」
「何!? 今度は何なの!」
 突然の副総督の暴挙に慌てる技術者たちをよそに、ユーフェミアは力の限りに声を発する。
「枢木スザク! ルールがなんだって言うのです!」
『皇女殿下…?』
「守れないルールなら、壊してしまえば良いんです!」
『それでは彼らと同じです!』
 突然戦闘に関係のない遣り取りを始める二人に、ロイドとセシルは顔を見合わせた。やや錯乱状態に近かったスザクの意識を呼び戻せたことはありがたいが、状況は大きく動いたわけではない。見守ることしかできない二人の前で、ユーフェミアは怒りに似たものを感じていた。
「同じで何が悪いんですか! 彼らだけじゃない、誰だって同じです! 大切なものを守るために生きてるんでしょう、戦っているんでしょう! スザク、貴方が守りたいのはルールですか、それともその先にある人々の笑顔ですか!」
『皇女殿下…! しかしそれでは戦いは無くならない! ルールに従わなければ、無法のままでは誰も守れない!』
「なら! わたくしが作ります! あなたが、皆が大切なものを守れるルールを!!」
 まだ幼さの残る頬を興奮に紅潮させた彼女が言い放った言葉は、皇位継承権に対する挑戦状でしかなかった。それをオープンチャンネルで言い放った少女に、セシルは言葉を失う。一方のロイドは、スザクとランスロットの状況を危惧するばかりでその発言の重大さを無視してモニターを見つめていた。その間にも、スザクの茫然としたような機械越しの声がアヴァロンの一同の耳を打つ。
『皇女殿下、それは…』
「作りましょう、スザク。あなたとわたくしで、大切なものを守れるルールを。…だから、生きて帰って」
 そう言ったユーフェミアの視線の先では、既にエナジーフィラーが終わりの時を告げようとしていた。ここまでずっと負け知らずともいって良いランスロットも、残された稼働時間はあと数分といったところか。それが分かっていながら、ユーフェミアの心に絶望はなかった。敵は多い、スザクは戦うことも逃げることもできない。
(それでも…これが終わりだとはわたくしは思わない)
 姉の援軍が間に合うかもしれない。スザクの利用価値を認めた敵が彼の命を取らないかもしれない。そうではなくても、どんな方法だってかまわなかった。
「ねえ、スザク。わたくしたちが作る未来はルールだけの厳しい世界じゃない、もっと優しい世界だって…そう信じても良いでしょう?」










 通信機越しに聞こえる声に、スザクは漸く自身の主の本当の姿を見つけた気がしていた。まだ年若い、幼いとすらいってよい年頃の少女のどこにこれだけの強さがあったのかと聞きたくなる。真摯な人だと思ってはいた。どこまでも懸命に、自分に出来ることをやり遂げる人だと。しかし、彼女の強靭さはそれだけではなかった。現在言葉を交わした女性は己が手の中の温かいものだけを大事に包み込むのではなく、理想を勝ち取るだけの強さを持っている。深い靄の中から引きずり出されたスザクには、漸く望んだ世界の姿が見えた気がした。それは「ルール」の一言で切り捨てられないものを守れる世界。
 少なくとも、己が愛する者を弾劾する必要のない未来。
「…ありがとう、僕は…今の言葉だけで救われた」
 吐きだした声が自らの胸の内に沈み込むようで、スザクは低く笑う。正しく生きるつもりでいたのに、結局は自分の願いを無視できなかった。肯定したいものを認めてくれる、それだけでこれほど心が軽くなるのだと思い知らされては自身の身勝手さを知らずにはいられない。
(馬鹿だな、僕は)
 きっとルルーシュがここにいればそう言って叱られるだろう。もしくは、笑われるかもしれない。だから言っただろうこの石頭、そう微笑んでほしかった。本当に馬鹿みたいだと思う。
「すみません、最後まで迷惑をかけてしまうけれど…学校の友人には、僕は転校したと告げてください」
『スザク?』
「エナジーフィラーが切れました…見えてるでしょう? それから、ロイドさんとセシルさんにお礼を言わなきゃ」
『死んじゃうつもりですか? それで良いんですか』
「良いも悪いも」
 真面目な声で言い募る彼女に、スザクは苦笑した。敵の真っ只中で動力が切れて、どうやって生きて帰れというのか。無論そう願ってもらえるのは嬉しいが、それだけで奇跡は起きない。惜しむらくは、想像していたほど穏やかな気分にはなれないことだった。全ての苦痛から解き放たれると思っていたのに、その寸前で輝かしい未来を思い描いてしまった。そこに手が届けばどれほど素晴らしいだろうと、そう思ったままで死ぬのは辛いがそれもまた仕方がない。諦念に包まれて目を閉じた瞬間、伏せた瞳が感じたのは身を襲う衝撃ではなく苛烈なまでの赤い光だった。
『良い様だな、枢木スザク。所詮お前の限界はここまでか』
 周囲に響き渡ったのは、宿敵とも思った仮面の男の声に相違ない。慌てて見上げた先には、悠々と宙に浮かんだ黒い巨体と、それにつき従う燃え盛る炎を体現したかのような紅のKF、そしてどこかそれに似た雰囲気を有した漆黒のKF。それら全てがランスロットを見下ろすように緩やかに降下していた。
「ゼロ…! 貴様!」
 状況は最悪という他なかった。ただですら中華・澤崎の勢いは強い。そこに今やエリア11の一部で絶大な支持を誇るゼロが参戦するとなると、スザクだけでなくブリタニア政庁そのものの危機と判断せざるを得なかった。これまでにゼロとまともにやりあえたのはランスロットだけだったが、今となっては指一本動かすこともままならない。しかし、屈辱とも無念ともつかない激情に奥歯をかみしめたスザクの耳に届いたのは、あまりにも場違いな朗らかな声だった。
『ゼロ…! 来てくれたのですね…』
 明らかに彼の訪れを歓迎するユーフェミアの声に、彼女の騎士は耳を疑う。正義の味方を名乗ったところで、否、そうであるからこそ余計にゼロは目障りな敵でしかなかった。その彼が、最先端技術であるはずのフロートユニットを実装したエース級を従えて戦地に降り立った以上、ブリタニアサイドとしては決して安堵の息を吐ける場面ではない。
 それらの状況を十二分に理解したゼロが、どこか楽しげな声を発した。
『ほう? 皇女殿下、ブリタニアにとって私は招かれざる客であると認識していますが?』
『さあ…わたくしに分かるのは、貴方はきっと自分の守りたい人を救うのに中華の手は借りないだろうということだけです。違いますか、ゼロ?』
 別の人物の声を借りれば政治的な駆け引きを思わせただろうその言葉は、ユーフェミアの唇から零れおちるというだけでひどく涼やかな印象を伴っていた。無論、そうは言えどもスザクの背には冷えた汗が流れる。
 張り詰めた空気を破ったのは、ゼロの低い笑みだった。
『…良いでしょう。皇女殿下、仰る通り私は中華の傀儡としての独立に価値を見出してはいない』
 言いながら、騒然とする中華の軍勢をゼロは見慣れない禍々しいほどに赤い光で焼き尽くす。先ほどまぶたの裏に感じた物の正体を知ったスザクは短く息をのんだ。まだ現状の理解が追いつかない。
『私はこのまま中華を…そしてその威を借りる澤崎を海に追い落とす。そこにブリタニアの力が必要ないということをとくとご覧いただこう』
 そう言い放ったゼロの言葉を合図に、彼の部下たちは矢のように虚空を駆ける。迷いのないその姿は、彼らを敵と目するスザクですら喝采を送りたくなるほどに潔かった。









 結論から言うと、キュウシュウ戦役と呼ばれるこの事件の最大の勝者は中華だった。しかし、大宦官がその野望を果たしたのではない。そうではなく、彼らに抑えつけられた憤懣を爆発させた中華の民たちが、上層部の目が外に向けられている間にクーデターを起こしたのだ。
 ただでさえ大宦官はエリア11に関連する失策が多かった。クロヴィス撤退の時も動きを見せては頓挫し、その度に軍備を整えては再度の出兵を狙う。今回は澤崎という名目と日本解放戦線という勢いを得てはいたものの、度重なる徴税に人々の不満はピークに達していた。しかし、長きにわたる為政者への恐怖心が人々の心を竦ませているのもまた事実。膠着と疲労の狭間にある中華の民に、道を指し示したのは一人の武官だった。
「どこからか」入手した大宦官のこれまでの汚職の全てを世間に問い、黒の騎士団の猛攻にうろたえる上層部の姿を見せつける。ただそれだけのことで、中華はあっさりとひっくり返った。
 予定していた援軍がクーデターに阻まれて次々と打ち倒されていく中、大宦官にも彼らに頼った日本解放戦線にも、翼を得た紅蓮に立ち向かうことはできなかった。
 









「よく知っていたつもりだが…この貧乏性め」
「資源の有効活用だよ。流行ってるだろ、エコ」
 眼下では完全に勢いを失った中華の軍勢と、元日本解放戦線が惨めとすらいっていい戦況を展開していた。そもそもカレンとロロに匹敵する力はなかったが、足元が崩れてしまった今となっては一方的と呼ぶにもあまりある。漆黒の仮面を外したゼロは、薄く笑みを浮かべたまま彼らを睥睨した。
「中華のクーデターは必ず成功する…そうなるようにここまで情勢を組み立ててある。そして、そうなった以上引き金としてのキュウシュウ戦役は世界に知れ渡る」
 それは、ブリタニアの絶対性を欠くと同時にそれまで地方の一レジスタンスでしかなかった黒の騎士団の名を世界規模に押し上げるための一手だった。「以前」はブラックリベリオンという舞台があったが、ルルーシュは今回はそれを回避するつもりでいる。そうである以上、なんらかの対策が必要だった。
「黒の騎士団の認知度を上げるために、中華を呼び込んだ…日本解放戦線は撒き餌か」
「その方が確実だからな。どうせ害にしかならないなら、有効利用すべきだろう」
 じわじわと中華を追い込み、抜き差しならなくしておいて日本解放戦線を投げ込む。ルルーシュは今回、その化学反応を冴えた目でじっと見つめていた。そして、さらに言うなら中華には星刻と天子がいる。「以前」のオデュッセウスとの婚約発表の時期を考えても、現時点で内々の密約があったことは想像に難くなかった。普段は冷静な星刻の弱点を衝いてやれば、彼らを躍らせることもまた容易いといって良い。そうやって中華を利用しつつ、彼らの奥深くに楔を埋め込む。 それだけではなく、枢木スザクもまた今回のキュウシュウ戦役で何かを得たらしかった。否、むしろユーフェミアが一皮むけたというべきか。どちらにしろ、ゼロにとってもルルーシュにとっても悪くない状況だった。
「良く役に立ってくれたよ、日本解放戦線は」
 そう言って笑みを深めた魔王を、魔女は目を細めて見詰めていた。

















       















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