inserted by FC2 system --> --> --> --> --> --> --> --> --> -->
















 重いような軽いような、何とも表現し難い音が空高く広がったその瞬間、ルルーシュは自身が酷く感傷的になっていることに気付かざるを得なかった。祭りの開催を告げるその音は、花火と呼ばれるものではあっても夜空を彩る美しいものではない。それも時間が遅くなってからのプログラムには組み込まれているが、今学生たちを沸き立たせているのは昼花火、所謂段雷だった。
 日常が、学園祭という名の非日常に切り替わるその重低音に歓声が上がる、それを聞きながら副会長はそっと瞼を伏せる。本来なら、この音はシャーリーも一緒に聞いているべきだった。しかし、彼女は今は遠くゼロの私室で普段と変わりない一日を過ごしている。それを哀れだと思うのは間違いかもしれないが、やりきれない感情は如何ともし難かった。





夢中天 41





 感傷、それはそれとして。
 漸く鳴り止んだ通信機を傍らに置いて、副会長はがっくりと肩を落とした。間もなくホールで演劇部の芝居が始まる。全てとはいかないが、それでも多くの人がそれを見に行くだろうと思われた。つまり、学園祭全体の運営を任されたルルーシュにとって暫しではあれ息を吐く時間が出来る。ホールで行われる舞台の進行は基本的にそれぞれの部活動で行うため、運営側で関与する内容は少なかった。それゆえに、体力的にも安心だろうということで生徒会からはカレンが出向いている。彼女は最後までルルーシュの傍を離れることを渋っていたが、結局は儚い風情で微笑みながら運営本部を後にした。カレン不在の間は兄を守ってみせると息巻いていたロロも出店の巡回に出かけているため、その場にはルルーシュ一人が残される形になっている。呼気に乗せて疲れを吐き出すと、背後の扉が軽い音を立てて開いた。

「お疲れ様、ルルちゃん。結構うまいことやってるじゃない?」

 機嫌のよい猫のような表情を浮かべて見せるのは我らがアッシュフォード学園生徒会長その人だった。ゆったりとした歩調で副会長の傍らまで歩を進め、無造作に並べられた通信機の一つを手に取る。愛しむようなその手つきが、彼女の人柄を表しているようだった。

「そう言っていただければ何よりですが…結構疲れてますよ、これでも」

「ふふ、そうでなくっちゃ! 良いじゃない、いっぱい楽しんで、いっぱい疲れて…良い思い出になるわ」

 言いながら目を細めるミレイの表情は、既に過ぎたものを慈しむそれになっている。彼女がよく口にする「モラトリアム」の意味を理解しているルルーシュは、些かもどかしい気分を噛み締めた。いつかの思い出にするために、綺羅を飾るためにミレイは日々を演出している。それは、彼女が将来に明るい展望を持てないことの証拠だった。心が疲弊したときに思い起こす宝物を作ろうとしている。それ自体は悪いことではないが、厳しいことを言えば順序が逆だった。楽しかった、その思い出が拠り所になるのは良い。しかし、拠り所にするために毎日を演出するのは少し寂しいことであるように思えた。

(俺たちのためだ)

 愛情深すぎる彼女の心理を、ルルーシュは理解していた。彼女はランペルージ兄弟の危うい立場をこれ以上ないというほど分かっている。彼らを庇うのは祖父の打算であり、余力があるからそうしているにすぎなかった。アッシュフォードがこのまま衰退すれば、いずれは廃嫡皇子などという爆弾を抱えておくことも難しくなる。そうなってしまえば、ルルーシュとナナリーは権力に対する供物にならざるを得なかった。ミレイは、その未来を回避するために実家に発言力を持たせようとしている。そして、そうする場合の彼女の武器は自身しかなかった。年若く見目麗しい彼女には、縁談という手段がある。相手を愛せるかどうかは別として。
 かつて、ミレイは伯爵家であるロイドとの縁談を進めていた。しかし、彼女から皇子としてのルルーシュの記憶が消えた途端、彼女は自分の未来を己が手で掴み取っている。その姿は、こうして学園生活を演出しようとするそれよりは余程活き活きしていた。無論、お祭り好きは彼女の本質だろうが。

「…会長」

 口に出してから、言うべきか暫し迷った。ことは秘密裏に行わねばならない。そのためには、普段と異なる様子など誰にも見せるべきではなかった。しかし、短く息を吐いたルルーシュは過たず声を発する。ミレイが己が進路を選んだように、自身も望む未来へと向かわなければならない。そのためには、彼女の沈んだ顔など見ていることは出来なかった。
 
「なあに、ルルーシュ」

「そう遠くない未来、俺はここを離れます」

 突然といって良い発言に、ミレイは瞬きを一つ落とした。そのまま小首を傾げて何ごとか言おうとした彼女は、しかしルルーシュの瞳にこれ以上ないほどに真摯な光が宿っているのを認めて口を噤む。一先ずは静寂を選択した生徒会長は、手にした通信機を指先で所在なく撫でるという仕草で話の続きを促した。

「このままでは未来はない。俺にも、ナナリーにも」

 そこで言葉を切ったルルーシュは、ミレイの瞳をそれまでと違う意味で覗き込む。言葉に出して「貴女にも」というのは憚られる。それは彼女がこれまでに固めてきた決意を無碍にする行為に感じられた。しかし、本来であれば音にして問いかけてしまいたいものでもある。貴女の望みは今見据えている未来とは違うものでしょう、と。少なくともルルーシュはこのまま座して得られる未来になど興味はなかった。
 視線の意味を正しく理解したらしいミレイははっきりと逡巡の気配を纏う。それは廃嫡皇子の暴挙に惑う貴族の娘のものではなく、夢物語を疑う大人のものでもない。近しい者の危険を憂う女性そのものの態度で眉根を寄せた彼女は、たっぷり数秒の戸惑いの先で瞼を伏せて短く息を吐いた。そして次に姿を見せた瞳には、普段のミレイらしい輝きが戻っている。

「いいわ。止めても聞かないのがルルちゃんだものね。何をするかは聞かない」

 ゆるく口角を上げるミレイに、ルルーシュは何でもないような表情を返す。普段通りの、何事にも興味がないと言いたげな、それでいて心中に何を企てているか分からない複雑な微笑。見慣れたそれに満足げに頷いたミレイは、ふと真顔になって声を潜めた。

「…ナナちゃんは」

「ナナリーにはまだ何も。ただし、手は打ってあります」

「でしょうね」

 得たりと頷く彼女は、それ以上のことを聞こうとはしなかった。まさかルルーシュが国家転覆を狙っていると気付いている筈もないが、アッシュフォードとしては看過できない話題といって良い。それをこうもあっさりと聞き流してくれるあたり、ミレイの決意がどこにあるかは切ないほどに分かり切っていた。無論、だからこそ全てが不安定なこの時期にことを漏らすことが出来る。
 甘くもなく、さりとて苦いだけでもない心中を噛み締めるルルーシュをよそに、ミレイは大きく伸びをして見せた。ん、と小さく漏れた声は普段と何ら変わりはない。

「そっか、皆それぞれちゃんと考えてるのね。ルルちゃんも、シャーリーも、ニーナも。ちょっと寂しいかな…。
 ま、でも私もまだまだこれからよね!」

 晴々と言う彼女の言葉に、ルルーシュは鋭く視線を走らせる。本音を言えば、ミレイに伝えたいことの全てを告げられてはいなかった。しかし、包み隠さず何もかもを話すのは計画のためは勿論、彼女のためにも良くない。そうである以上、ルルーシュとして拘れる部分はもう無いといって良かった。
 なので、ミレイの言葉に注意をひかれたのは純粋に友人としての興味からだけではない。

「会長、ニーナがどうしたんです?」

 さり気なく言葉を紡ぐと、ミレイは意外だとでも言うように片眉を上げて見せた。そこには既に先程までの寂寞の影は微塵もない。

「なぁに、あの子まだ言ってなかったんだ? 珍しく自分で話したいって言うからもうてっきり聞いてるかと」

「ニーナが、俺に…ですか? 残念ながら最近は顔を合わせる機会もなかったので」

 怪訝な顔を見せるルルーシュに、ミレイはゆったりと目を細める。それは、獲物が罠にかかった時の捕食者の笑みにしか見えなかった。ふふ、と低く笑う姿が嫌に様になっている。

「へぇ、顔を合せなかった…どうしてかしらねぇ?」

 楽しげに零れた声に、ルルーシュは自らの失言を悔やむ。どうせ欠席しがちなのは分かり切っているし、その理由めいたものも先程の話題で話していた。それゆえに油断していたが、目の前の女性は面白いことは決して見逃さないという特質をもっている。そして、やや冷めた副会長を自らの遊びに付き合わせる機会を常に狙っているのだ。

(しまった…)

「つまり、ルルちゃんは連日のサボりを認めたってことよね?」

 口調は質問の形をとっているが、それは既に命令に等しかった。つまり、次の企画は手を抜かずにちゃんと参加しろ、と。項垂れたルルーシュは、深いため息を一つ吐いた。それが返答の意味を有していることは、付き合いの長い彼女には十分伝わっている。よし、と頷く姿は実に晴々としていた。

「…それで、会長。ニーナの話って」

 話を促そうとした声にミレイが口を開こうとした瞬間、運営本部の扉が開く。小柄な人影が二つ見えたと思うが早いか、そのうちの一つは跳ねるように軽快にルルーシュに走り寄った。

「兄さん、お待たせ! 出店には何も異常はなかったよ。なんかモグラたたきだけ妙に異様な雰囲気になってたけど、それはそれなりに繁盛してるみたいだったし」

「そうか、お疲れ様」

 言いながら頭をなでてやると、一仕事終えた弟は嬉しくてたまらないといった風情ではにかんだ笑みを浮かべる。よしよしとあやしてやりながらもう一方の人影に目をやると、それは先程までの話の主題となっていた女生徒だった。その表情を見て、ルルーシュは心中笑みを深める。ミレイの話を聞いてから、もしかすると、という心当たりはあった。否、むしろそうなるようにことを運んではいたがそうそう何もかもが思惑に沿う筈もない。

(怖いくらいだな)

 現在、ルルーシュの意図は悉く達成されている。それはまさに恐ろしいほどだった。それと知らない小柄な少女は、ルルーシュに視線を向けると一瞬だけ言葉に詰まった。その仕草は普段のニーナがよくやる引っ込み思案な逡巡と似ていたが、本質が全く異なるものだということは彼女の瞳を見ればすぐに分かる。希望と熱意に燃えている、意欲的な輝きはそれまでの彼女とは別人のようですらあった。
 言葉を詰まらせたのは感極まってのことだったらしく、一旦口を開いたニーナの勢いは限界まで水をたたえた堤が決壊する時のそれに近い。

「ルルーシュ、私…わたし、貴方にお礼を言わなくちゃいけないの。あの時ルルーシュが勧めてくれたから、準備もたくさん手伝ってくれて、それで私漸く会えたの。ううん、それだけじゃない。あのね、ユーフェミア様が」

「ストーップ! ニーナ、意味が分からないから落ち着いて」

 勢い込んで話すニーナに、傍らで聞いていたミレイが大きな声を差し挟む。粗方予想は出来ていた展開に苦笑したルルーシュは、さり気なく弟の手を握ってやった。これも予測の範囲内だが、「ユーフェミア」の名が出た瞬間、既にブリタニアを敵として目しているロロは気配を鋭くしている。ニーナは自分のことで手いっぱいで、ミレイは突然の友人の勢いに驚いていた。そのためロロの微かな、それでいて明確な敵意の欠片には気付かれてはいないが、不自然さは好ましくない。宥めるように柔く数回力を込めてやると、素直な弟は肩の力を抜いたようだった。
 ルルーシュが密やかな心配りを見せている間、ミレイは慣れた調子で幼馴染に息を吐かせる。

「はい、ニーナ。順を追って話しましょうね」

「うん…。あのね、この前、技術展への発表を勧めてくれたでしょ…?」

「それで?」

 短く相槌を打った副会長には、既に彼女の話の先は読めている。ニーナの目指す研究、それが秘めた可能性は恐らくこのトウキョウ租界…否、ブリタニア全土を見渡しても比類ないものだった。しかし、彼女には専門的な研究施設も学会の耳目を集める知名度も、そして何より発言者として必要最低限の表現能力もない。そのため「以前」は極限を超えて追いつめられるまで誰も彼女のことを知り得なかった。
 だからルルーシュは、彼女に「ユーフェミアに会いたい」と相談を受けたときに、彼女の研究を世に出す助言を行っている。しかも、研究発表の成果がやや不十分な結果に終わるように小細工までして。細々とした手配は全てルルーシュ自身で行ったためニーナは発表を実施するだけでよく、しかし先進技術になれた科学者たちの注目を集めるほどでもないそれは、まさに狙い通りの結果に終わったらしかった。 
 発表が大成功ともなれば彼女は面倒な組織に召抱えられることになる。しかし、学生の努力賞程度ならその心配はなかった。それでいて「偶然」その場に居合わせたユーフェミアが興味を惹かれる内容でなければならない。困難な条件設定であるようにも思えるが、それはルルーシュが「ゼロ」としてかの皇女殿下と言葉を交わすことでクリアできる内容だった。

「それでね、発表が終わった後、ユーフェミア様から直々にお言葉をいただいたの…! ユーフェミア様の下で、ちゃんとした研究をしないか、って! ねぇルルーシュ、信じられる?」

「良かったじゃないか」

 珍しく華やいだ少女の口調は、穏やかに微笑む副会長が狙った通りのものだった。
 現在主流のエネルギーは太陽光。軍事用のエネルギーとしてはサクラダイトが利用されており、その奪い合いに腐心するものは多いが、代替エネルギーに着目するものは少なかった。現在そこに目を付けているのは、引っ込み思案な態度に天才的な才能を秘めた眼前の同級生と、「ゼロ」からその必要性を示唆された皇女殿下くらいのものだろう。互いを必要とする彼女たちは、機会さえあれば必ず身を寄せ合うだろうとは思っていた。無論、賭けとしての要素が強かったことは否定できないが、一手目をしくじれば次の手を講じればよいだけのこと。
 期待通りの結果に目を細めるルルーシュに、ミレイが僅かに物言いたげな視線を投げた。一度は宥められたロロも兄の意図を計りかねて首を傾げるが、ルルーシュはそれらを黙殺する。

「それで、これからはどうするんだ」

「うん、ユーフェミア様は学園に通いながら研究すれば良いって仰って下さったんだけど…もうなにも手に付かなくて。早く研究して、ユーフェミア様のお役に立ちたいの。だから学園は休学…ううん、やめちゃうかも」

「休学は良いとして、やめるかどうかを決めるのは早いんじゃないか。ここでしか学べないこともある」

 お題目通りの言葉だと思いながら言葉を紡ぐと、小さく瞬きしたニーナは嘘のように穏やかに微笑んだ。美しいという言葉すら過言ではないその表情は、彼女がそれまで隠していた本質を垣間見せるかのような輝きに満ちている。思わず目を見張ったのは、ルルーシュだけではなかった。付き合いの長いミレイですら、彼女のこのような笑顔は記憶にない。

「うん…そうね。ルルーシュの言うとおりだわ。
 私ね、本当はユーフェミア様に御声掛けいただいた時もどうして良いのか分からなかった。昔だったらきっと、びっくりして逃げ出しちゃってたかもしれない。
 でも、ユーフェミア様の下で研究してみないかって言われた時、シャーリーのことを思い出したの」

「!」

 思いもしなかった名前を聞いたルルーシュは息を飲むが、それに気付いていないらしいニーナは歌うように朗らかに言葉を続けた。

「今は何をしているのか…どこにいるのかも分からないけど、シャーリーはやりたいことがあるって、自分で選んで自分の道を歩いてる。きっと、シャーリーが今の自分を選んだのもこういう瞬間だったんだって、そう思ったの。
 だから…この学園で、皆と一緒に過ごして、ルルーシュに手伝ってもらって、ミレイちゃんに励まされて、シャーリーに教えられて、それで今の私がいるんだわ」








 大切そうに学園祭のプログラムを胸に抱きしめた少女を見下ろして、咲世子は普段通りの穏やかな声を発する。

「ナナリー様、お次はどちらにいらっしゃいますか」

「ええと、たしかそろそろ吹奏楽部の演奏が始まるんですって。そこに行ってみたいんですけど、お願いできますか?」

「ええ、勿論」

 短い言葉を返すと、車椅子の少女は嬉しそうに笑みを返した。通常の学園生活では友人も多い彼女だが、今日のような日には友人たちとの連れ立っての行動を好まない。日常生活では然程問題もないが、学園祭ともなるとやはりナナリーには身体的な理由もあって楽しめない出し物も多かった。互いに気兼ねしては気詰まりだろうから、と語った彼女の横顔に悲壮さも切なさも全くなかったのを思い出した咲世子は、心中そっと息を吐く。幼い主人の言葉には悲しいかな頷かざるを得ないが、それならば彼女の兄が傍に付いていてやればよいのに、とは何度思ったかわからない自身の本音だった。確かに彼は生徒会役員としての業務もあろうが、最近はそれ以外にも家を空けることが多い。
 思案に沈みながらゆっくりと車椅子を押すと、少女の涼やかな声が自身の名を呼んだ。

「咲世子さん、付き合わせてしまってごめんなさい」

「いいえ、私も十分楽しんでますから。ナナリー様も、気になることろがあればどしどし仰ってくださいね」

「ふふ、はい。お願いしますね」

 朗らかに微笑む彼女は現状に不満を感じている様子など微塵も見せない。もう少し我が侭を言っても良さそうなものだと咲世子は思うが、ナナリーにはその必要はないようだった。
 一度だけ、不覚にも彼女に「寂しくないか」と尋ねたことがある。その時少女は、ゆったりと微笑みながら頭を振った。私にはお兄様がいますから、と。その問答の場には、無論のことながら彼女の兄は同席していなかった。それでもはっきりと「兄がいる」と言った彼女は兄から向けられる愛情を掛け値なしに信じている。寄り添い合うように互いを大切にしている兄妹だとは思っていたが、最近は長い外出も多かったため少しだけ意外に感じたものだった。しかしそれも、ルルーシュが学園祭に向けてひっそりと行った小さな努力を見せられて得心させられたことを思い出す。
 彼女が手にするプログラムは、優しく可愛らしいクリーム色で装丁された特別製のものだった。ベロアを使ったそれは手触りがよいのは勿論のこと、ある程度の衝撃には耐えられるような作りになっている。結構な手間が掛けられているが、そうすることで内部に丁寧に打たれた点字が崩れるのを防いでいるらしかった。
 バリアフリーを心掛けるアッシュフォード学園でも、流石に学生が大量刷りする学園祭プログラムまで点字対応にはしない。それに一つ一つ点字を打ったのは、ナナリーの兄だった。そして万が一ある程度の人ごみに揉まれても良いように自身の手で装丁を行い、別のページには推奨する出し物と出店、そこに至るまでに最適な道順まで事細かに記しているのは見事と言わざるを得ない。
 しかし、そこまでなら咲世子もただ感心しただけだった。驚かされたことに、ルルーシュは装丁に使う材質に手触りは勿論外見の愛らしさまで求めている。彼が頭を抱えながらどれが良いか選んでいるのを傍目に見ながら、咲世子は少しだけ呆れたものだった。気を使うのは良いが、ナナリーはそれを見ることが出来ない。無論出来栄えはある程度必要だが、「どの色が良いか」などに彼女には関係ないのだ。

(ご苦労なこと)

 声に出さずにそう思った時は、材質を選ぶのはルルーシュのこだわりでしかないと思っていた。
 しかし、当日になって初めて、咲世子はナナリーの兄が何を気にしていたのを知った。本日すれ違うナナリーの友人たちは皆、大量印刷のプログラムを片手に、これ以上ないほどに愛らしく仕上がったナナリーの特別製プログラムを褒めそやす。
「可愛いね」
「凄い! いいなぁ」
 口々にそういう彼女たちは、本心からナナリーを羨んでいるようだった。その度に、幼い主人は面映ゆいと言わんばかりに微笑む。

(あぁ、そういうことか)

 ただ「点字を打たれたプログラム」を持っているというだけなら、ナナリーは彼女たちの憐みの対象にされていたかもしれない。しかしルルーシュはそれを許さなかった。持てる限りの愛情をいっぱいに注ぎ込んで、ただのプログラムでも他者に誇れるようなものとして作り上げる。そうすることで、妹が同年代の少女たちから「可哀想なナナリーちゃん」と呼ばれることがないように手を打っているのだ。
 勿論そうはいっても同情の目が向けられることはあるだろうが、不可避のものは仕方がない。考えられる限り最善の手を尽くして妹を守ろうとするルルーシュは、確かに良い兄だった。そして、その彼からの愛情をナナリーが信じていられるのならば「寂しい」と感じることも咲世子が思うよりずっと少ないのかもしれない。少なくとも、優しい手触りのプログラムを胸に抱いている間は、形になった兄の気持ちを感じていることが出来る。

「まぁ、それはそれとしてもう少し時間を割いていただいても良い気がしますけど」

「え、小夜子さん? 今何か仰いました?」

「いいえ、ナナリー様。吹奏楽、楽しみですわね」
 
 言いながら満面の笑みを向けると、車椅子の少女は小さく首を傾げたながらも頷いて見せた。その仕草は他者を疑うということをしない、清らかという言葉がこれ以上ないほどに似合うナナリーらしい。車椅子を押す手に力を入れ直した咲世子は、それまで胸を去来していた思いを捨てた。ルルーシュが傍に付いていてやれればとは思うが、出来ないものは仕方ない。
 それよりも、学園祭は始まったばかりなのだから、楽しまないと損というものだった。
















       















inserted by FC2 system