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 微かな香が焚き染められたその部屋は、日が陰るにともなって徐々に薄暗くなっていた。そこに座す少女は、手元に明かりを灯すこともなくじっと虚空を見つめている。脳裡を去来するのは、最近あらゆるメディアで名前が出ない日はないのではないかと思われる組織、黒の騎士団とその総帥である仮面の男ゼロのことだった。否、割合としてはゼロ自身のことの方が大きい。少女…神楽耶にとってみれば、黒の騎士団はゼロの使う武器の一つにしか過ぎなかった。

(ゼロ様…)

 その名を心中に呼んだ時思い出すのは、決まっていつぞやの暗い格納庫で紅蓮を挟んで対峙した時の涼やかな声だった。聞き慣れぬあの声は、ことを為そうとする意欲には満ちていたものの脂ぎった欲とは無関係に感じられた。無論、自身の感情による修正が掛っている可能性もある。しかし、彼女は自身の直感には信を置いていた。少なくとも、巷に流れる情報などという何処に根拠があるのかも分からないものに比べれば信頼性は高い。
 あの格納庫でのゼロを思い出すにつけ、神楽耶は自身の不甲斐なさを噛み締めざるを得なかった。恐らくゼロは、あの瞬間まで実効的な戦力をあまり有していなかったのだろう。そうでなければ、キョウトを丸ごと敵に回すような行為に出るのはリスクが高すぎた。一か八か、そう思わなければ取れない行動であったろうと思われる。つまりあの日からゼロは「黒衣の男」としての第一歩を踏み出したのだ。それが今や、反ブリタニア勢力の代名詞ともいえる存在になっている。それに比して自身は。

(急いてはことを仕損じる…。桐原のおじい様は色々と気を使っていらっしゃるようだけれど、他の方は考えが浅い。必ず私がキョウトを掌握できる瞬間が訪れる筈)

 深く、徐々に鋭くなる思考の奥で、神楽耶は機会を待っていた。一般的には大きな、しかし日本を救うにはあまりにも小さなキョウトという力を携えて、ゼロと合流するその日を。その為にも、今は時の流れを読まねばならなかった。







夢中天 38






「だからさぁ、問題は学園祭なわけよ!いい、上手く話題を作れたらテレビ局が取材に来ることになってるの。そしたらさ、今は来られないシャーリーにだってひょっとすると届くかもしれないじゃない?」

 生徒会室でそう熱弁をふるうのは、当然というべきか我らが生徒会長様だった。アッシュフォードはその自由な校風と現生徒会長の主義とが相俟って、イベント事には異様なまでの盛り上がりを見せる。そして今、年間を通じても最大級のイベントの時期が近付いていた。ただの学校行事と言ってしまえばそれまでだが、許されたわずかな時間を満喫することを胸に誓ったミレイにとってその意味はあまりにも大きい。更に前述の通り、現在遠く離れた場所にいるであろう学友に近況を伝えるための手段になるかもしれないとあっては力が入らない訳がなかった。

「でも会長、話題って言われても…どうするんですか」

 全ての生徒の代表たる彼女の言葉に賛同したくてもその方法も分からないスザクが、静かに目を瞬かせる。言葉もなくその様を見遣りながら、ルルーシュは彼の心中について思いを馳せていた。嘗て、マオの襲来によってスザクの過去は暴かれている。スザク自身が望まぬまま明るみに出たそれが、以降のスザクの行動に影響を与えているだろうことは想像に難くなかった。しかし、今回はマオはスザクに接触しておらず、そのため彼は胸の内に秘めた罪悪感に未だ蓋をしている状態と言って良い。

(しかも悪いことに、スザク自身は罪悪感の存在を知っている)

 そのことを思えば、澄ました表情を作った副会長の心中は曇らざるを得ない。蓋をして気付かずに存在そのものを忘れてくれていればまだしも、スザクの罪悪感を詰めた箱は嫌になるほど透き通っていていつでも彼にその残酷さを突き付けていた。それでありながら、固く閉じられた蓋が記憶の風化を許さない。ひどい話だった。

「こらールルーシュ! ちゃんと考えてる?」

 そうやって思考に沈んでいたことは、付き合いの長いミレイにはいとも簡単に見破られる。心中を隠して苦笑したルルーシュは、ふとした思い付きを口にした。

「ええ少しは。ですが、これを実行するにはスザクの協力が必要になります」

「え、僕?」

 状況を見守っていたスザクは、突然の指名にやや驚いた声を発する。彼の困惑を余所に、生徒会長は鷹揚に頷いた。

「考えていたのならよろしい。で、何? ルルちゃんの企画を伺おうじゃない」

 腕組みをした彼女は様々なことを自分流に楽しむ才能と同時に、他者の発想を柔軟に受け入れる度量の大きさも併せ持っている。目を細めて上機嫌という言葉をそのまま表情に乗せたようなミレイを視界に納めて、ルルーシュは先程脳裡を掠めたばかりの内容を口にした。

「去年やったでしょう、巨大ピザ。あれの規模を大きくしてみたらどうです。手順は去年粗方構築してますし、サイズによっては十分話題になるでしょう。
 …それに」

 言いながらスザクに視線を合わせる。状況を理解していないらしいスザクは、見ようによっては間が抜けた顔で二人の遣り取りを見守っていた。彼の表情を、とぼけているとルルーシュは思う。全く賢そうに見えない。考えなしの、子供の顔だ。

(だがそれでいい)

 深刻そうな張りつめたスザクの表情を見るのは好きではなかった。馬鹿みたいに他人のために笑っている、スザクとユフィはそれで良い。嘗てのように膿みの上にできた瘡蓋を無理に剥がすことが出来ない以上、不器用な幼馴染が自身の生き方を決めるには以前よりもなお時間がかかるだろうことは想像に難くなかった。だからこそ、それまでの繋ぎでも何でも良いからスザクには自分の存在価値を知って欲しい。それは完全にルルーシュの自己満足だった。
 無論、それを罪悪と感じる精神は既に魔王からは失われている。彼は自分の愛する者のために世界を掌の上に乗せる決意をしているのだ、今更少しの我侭を悔いる気持ちがある筈がなかった。

「今回は本職のKF乗りがいる。…しかも皇女殿下の騎士ともなれば話題性は十分でしょう」

「ええ?」

 会話と自身が漸く繋がったことを感じたスザクは、しかしまともな反応も出来ずに上ずった声を上げる。未だもう少し学園に馴染んでいない転入生のその姿に、一瞬だけ思案したミレイは直ぐに満面の笑みを浮かべた。観点こそ違えど彼女もまた自分と同じことを考えているのだと理解した副会長は、生徒会長の懐の深さに今更ながらに感心する。彼女はスザクの事情など殆ど知らないのに、彼の瞳の中に苦悩の色が存在することを感じ取っていた。

「いいわね! じゃあスザク君、学園祭の日は是非とも出席して欲しいんだけど出来るかしら? 学園祭は数日間開催されるから、その中でなら貴方の都合に合わせられるわ。
 難しいかもしれないけど、申請してみて貰える?」

「はい、あの…多分、大丈夫だと思います」

 目を白黒させていたスザクは、しかしミレイの言葉にははっきりと頷いた。普段から学業よりも軍務の方を優先する彼にしては珍しい即答だが、主のユフィは勿論のこと、彼の上司であるロイドやセシルの性格を考えればそれもまた納得できる。徐々に学園祭に向けて空気が浮ついてきた学園の向かいに間借りしている彼らが、賑やかな祭の情報を取り漏らすとは思えなかった。普段から特異なロイドの影に隠れて常識人のような振る舞いを見せているが、セシルも結構乗りやすい性格をしている。余程の有事を想定していなければ、スザクが学園祭に参加するのは彼らにとっても喜ばしいことなのだろう。
 スザクの返事に瞳を輝かせたミレイは、楽しげな視線を副会長に向けた。企画の採決は彼女の仕事だが、実務は部下に任せた方が早いことを熟知しているが故の行動といって良い。当然ながらルルーシュもそのつもりだったので、意図せず楽しげな表情が生れた。以前同じ状況だった時、ルルーシュは学園祭を心底楽しんだとは言い難い。だが、一度失われたものを再度見届けることが出来るのなら、その瞬間を楽しまないという選択肢はなかった。しかも今回はただ慈しむべき存在のロロも傍らにいる。シャーリーがいないのは残念だが、その分手土産を用意してやるつもりだった。然程美味くもない屋台の出し物を、黒の騎士団の拠点に持ち帰って温め直して食べるのも悪くない。

「それでルルーシュ、今度のピザはどのくらいのサイズにするつもり?」

「そうですね、直径12…いえ、13メートルでいかがです」

「じゅうさん? また半端な数字ね」

「じゃあ12.5…いや14メートルで」

 細部に関してはルルーシュに任せることに異存はないミレイだが、宣伝に使うには微妙な数字に思わず声を返す。彼女の疑問を受けたルルーシュは、普段であれば即決したであろう数字を微かに言い淀んだ。しかも、最終的な数字は去年のそれを大きく上回っている。数だけ見れば僅かな差異だが、単位はメートルで物はピザの直径だ。軽々しく足してゆくのは得策とは言えない。

「14メートル? それ大丈夫なの」

「誰に聞いてるんです。俺とスザクが組んで出来ないことはないんですよ」

 自慢げに笑うのは副会長だけではなく、何の相談もなしに無茶振りされたスザクも同じような表情を浮かべている。何をさせられるかも知らないだろうに、暢気なものだった。彼らの間に何があるのかミレイには分からないが、一つだけ確かなのはそういう形のモラトリアムも悪くないということか。何にせよ、やれるというのなら任せれば良かった。

「いいわ、じゃあ任せるわよ副会長! …でも、どうして12メートルじゃ駄目だったの」

 微笑んだ彼女には副会長のこだわりは見透かされているらしい。しかしそれも当然といえばそれまでだった。自分でもあからさまに過ぎたと理解しているルルーシュは、意図せず笑みを浮かべる。それがどのような種類の笑顔なのか、それは分からないし知りたくもなかった。だから、出来るだけ何でもないことのように声を返す。

「別に。ただ、敢えて言うなら…利子のようなものですよ」

 大きなピザを楽しみにしていた魔女へのささやかな感謝のしるしだと、そう言ってしまうと違和感がある。かといって侘びや贈り物でもなかった。そう、自分が彼女に払うのは精々が利子といったところで良い。一応は返事の形をしたその言葉に余計にミレイは首を捻ったが、ルルーシュはそれ以上の説明をするつもりはなかった。

 











「ああ、そのつもりで…その点は間違いない。彼らは必ず行動を起こす。そうなれば、まだ幼い主君が頼れるのは貴方だけだ。…そう、大宦官の思惑に気付いていない訳ではあるまい」

 薄暗い部屋の中で視線を固定して話す彼が、誰との密談をしているのか魔女は知らなかった。話の内容で予想はしているが、それもどうでも良い。大切なのは魔王が自分の傍で悪巧みをしているという事実そのものだった。明かりを点けないままの室内にあってはルルーシュの美しい表情を眺めることは出来ないが、冴えた瞳だけは僅かな光を拾って煌めいている。刺すように鋭いその輝きが、C.C.には随分と得難いものであるように思えた。飽くことなく見つめながら、自分のために整えられたかのようなベッドの上で膝を抱える。保身に余念がない黒の騎士団の総帥は、入念に暗号化が施された通信機を用いても長時間の密談を喜ばなかった。つまり、やがてこの部屋に割り込む無粋な回線も締め出されてしまう。それまでの僅かな間、魔女はじっと己が共犯者を見つめることにしていた。

「ブリタニアの宰相を甘く見ない方が良い。そう、計画は既に始まっている…ああ、貴方が判断を誤らないことを祈っている」

 素気ないと感じられるほどの端的な言葉を最後に、通話が切れたらしいことを感じたC.C.は立てた膝に乗せていた頬を持ち上げる。声をかける必要はなかった。真直ぐ見つめていれば、自分の中の情報を整理したタイミングでルルーシュが視線を寄越すことになっている。それはいつ決めたわけでもない二人の間のルールのようなものだった。数秒黙り込んで小さく瞬きした魔王は、ゆっくりと視線を魔女に向ける。実に分かりやすい一つの潮だった。

「随分と暢気だな」

 傍から聞けば何を指すのか分からないその言葉に、魔王は低く笑みを零す。皮肉なその表情は見慣れることはあっても見飽きることは今後も決してないだろうと思えた。

「ああ、以前とは状況が違う。態々お前にご機嫌伺いをして貰う必要はない。
 …日本解放戦線の使いどころとしてはまあ最上だろうな。精々上手く立ち回って貰うさ」

 そう言った瞳の輝きは、彼の愛するものに向けるそれとあまりに掛け離れていた。おかしな表現だが、左右に並べて見比べることが出来ればとてもではないが同一人物には見えないだろう。しかもその辛辣なまでの眼差しが見つめているのは、敵として彼の前に立ちはだかるブリタニアではなく「同胞」とも呼ぶべき日本解放戦線の将兵なのだ。今の彼を例えばカレンが見たなら何を思うだろうと考えたC.C.は、しかし即座に己が思考を笑う。決まっている、自分と同じようにこの二面性の激しい男を悲しみから守ろうと誓うだけだ。愛情を惜しまない彼と冷酷な指揮官と、どちらがルルーシュの本性であろうと構わない。それだけの決意を、ゼロの部屋に入る者たちは既に固めていた。

















       















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