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「既に済んだことだ、お前の希望通りにことは進むだろう。だがな、副総督。私がお前の決定に同意しているかどうかは別問題だ。覚えておくように」

 苦虫を噛み潰したような表情で言った総督が何を思っているか、ユーフェミアは気付かずにはいられなかった。今までであれば彼女を困らせたことについて申し訳なく思っただろう。否、今ですらその気分がないとはいえなかった。しかし、既にそれだけを考えることは出来ない。

「総督…お気遣いは理解しているつもりです。ですが、わたくしにも見据える未来があるのです」

 声音はいっそ撥ねつけるようですらあった。姉が目を見開くのも当然だと思う。だが、ユーフェミアはもう何も知らないと嘆くばかりではいられないのだ。スザクの意志を確かめることもせず彼の今後を勝手に背負った。そんな自分が、誰かの顔色を窺って言葉を選べるはずがない。無論、誰よりも親しく頼ってきた姉に対しても。

(わたくしは、甘えている)

 決然と姉の視線を受け止めながら、ユーフェミアは現実を認識した。自分は副総督で、つまり立場ある人間というべきだろう。それが、更に上位の総督に刃向かうような言葉遣いを分かって使っていた。許されると、無意識にそう思っている。そんな自分に嫌気がさすが、正しいと信じることを続けるだけでは何も変わらないのだ。姉の愛情の上に胡坐をかいてでも、副総督として許される範囲を探さなければならない。

(スザク、たった一人で戦う貴方に相応しい共闘者となるために)

 そして、誰よりも早く正確に自信の無力感を見つけて未来を見据えることを促した黒衣の男に自身の決意を表すために。






夢中天 37






 クラブハウスに入るのは珍しいことではない。当然だ、自分の所属する生徒会室がここにあるのだから、幾ら休みがちといっても教室の次に馴染み深い場所といって良かった。しかし、そう分かっていても眼前の光景はスザクを驚かせるに相応しい。分かりやすく掲げられた垂れ幕には「枢木スザクくん、騎士就任おめでとう!」の文字が踊り、ホールには所狭しと美味しそうな匂いの料理が並んでいた。それが何を指すのか、理解できないほど枢木スザクは愚かではない。だが、今ひとつ実感がわかなかった。

「スザク」

 声と同時に肩を優しく叩かれ、漸くスザクは息を吐く。どうやら失っていたのは現実感だけではなく、通常通りの呼吸の方法も失念していたらしい。それを、肩に置かれたささやかな温もりが呼び戻した。

「…ルルーシュ、」

 振り向いた視線の先では、普段のシニカルな笑みをどこかに置き忘れたかのように古くからの友人が微笑んでいる。無意識のまま、スザクの肩から力が抜けた。これまで明確に意識したことはないが、スザクにとって学園はまだ今ひとつ自身と遠いところにある。それは傍から見て分かるものではない、薄皮一枚隔てたような曖昧な距離感だった。それが、学園に立つルルーシュを介することで漸く違和感なく受け止められる。
 学園という場所はイレブンとして、名誉ブリタニア人として、そして軍人として生きてきたスザクには理解が及ばない場所だった。苦しみも悲しみも知らない、優しい人たちが通う場所。誰かを虐げていると、その自覚すらなく穏やかに微笑む人々。それでいて、悲しみに触れた友人が姿を消しても変わらず繰り返される毎日。
 それまで学園を自身から遠いものだと、守るべきものだと認識していたスザクにとって、シャーリーの休学はひどく身近に感じられた。そして、その後の皆の態度も。何が起こっても自分という個体以外のことを過去として処理するその姿は、イレブンの兵士たちの間の常識だった。遠い世界だと思っていた場所が、突然等身大の現実になる、その感覚に混乱する。それをどうにか治めてくれるのがルルーシュの存在だった。一緒に過ごした過去、離れていた長い時間、学生として妹と身を寄せ合う今。彼の足跡にはスザクに理解できないことなど何もない。無論経緯に不明な点はたくさんあるが、何があってもルルーシュとナナリーは変わらない、お互いがお互いを大切にしている綺麗ないきものだ。それが分かっているから彼の傍では呼吸が容易い。誰しも、理解できないものの近くで安寧を得ることは出来ないのだ。そう自分が思っていることを、スザクは知らない。ただ、親しい友人に声を掛けられたがための笑顔を浮かべるだけだった。

「ユーフェミア様の騎士になったんだろう? …おめでとう」

 作り物のように整った彼の唇が、静かに言葉を紡ぐ。微笑みは確かなものだし、声に含みは感じられなかった。しかし、何故か彼に別の思惑があるのではないかと思ってしまったスザクは、勢い込んで口を開く。

「ルルーシュ、僕は…!」

 何をいうかも決めずに飛び出した声を、友人は静かに待っていてくれる。それが分かっているからこそ、スザクは僅かに困惑した。何が言いたいのだ、そう思う。
 名誉ブリタニア人としてブリタニアの組織に入り、内側から是正の途を探すという理念に疑いはなかった。その為にも、副総督の騎士になれたことは大きな一歩だろう。自分を選んでくれたユーフェミアも、顔を合わせたことは少ないが尊敬できる人物だ。しかし何も問題ないとは言えない。ルルーシュ達は皇族としての身分を捨てて、隠れて生きていた。その近くにいる自分が皇族と繋がりを持つことはどれほど危険なことだろうか。心優しい皇女様がスザクの周辺に注意を払わないとしても、ルルーシュ達の感じるプレッシャーは。
 突然胸中に湧きおこったそれらの事情に言葉を失うスザクに、ルルーシュは淡く微笑んだ。

「馬鹿だな、また色々考えてるだろ。
 …いいんだよ、お前はお前の思う方法で進んで。それで傷つく人間がいても、きっと救われる人もいる。それだけのことなんだ」

(それだけ)

 常の彼よりも随分柔らかなその声は、しかしスザクの脳を横殴りにした。それだけのことだ、誰も彼もを救うことはできなくても、それだけ。
 彼の語ったことはスザクの求める正義とは異なっている。だが、その反面ひどく許された様な気分になった。ルルーシュは一度だってスザクを責めたりしないのに、勝手にそんな気分になるのは間違っている。じわりと心中に溢れた濡れた感触が何を意味するのかを理解する前に、ルルーシュは生徒会長に呼ばれて視線を流してしまった。シャーリーがいないから手が足りていない。

「悪いスザク、またあとで」

「うん、」

 半ば呆然と返し、彼の背中を見送ってから漸く祝いの言葉に何も返していないことに気付いた。そうなってしまうと、またホールは居心地の悪い場所になってしまう。誰もが自分の願ってもない出世を喜んでくれているのに失礼なことだ。気安くスザクの肩を叩く生徒たちの何が気に食わないわけでもないのに、スザクが彼らに受け入れられるきっかけを作ったシャーリーを欠いた学園は今ひとつ理解が及ばない。せめてリヴァルがいてくれれば良いが、彼も今日は忙しそうに立ち働いていた。

「枢木君、おめでとう」

 生徒会の誰もが運営で忙しくしているだろうと思っていたから、そう声を掛けられたスザクは少しばかり驚く。決して長い付き合いではないが、僅かにでも他の生徒よりも時間を共有することが多い少女の声を聞き違えはしない自信があった。ゆっくりと視線を巡らせると、思った通りそこにはたおやかに微笑むカレン・シュタットフェルトがスザクに真直ぐな眼差しを向けている。

「カレンさん、は、僕に構ってて大丈夫?」

「ええ。身体の所為で休みがちだから、せっかくの席なのに出来ることなんて殆どないの。だから、お祝いくらい言わせてもらえるかしら」

 やや言葉を詰まらせたスザクに、少女は鮮やかに微笑んだ。その表情に、些か意外な感を覚える。彼女は家柄も人柄も、そして外見も他者に愛されるに相応しいものだった。それが、こうして一人で誰に声を掛けられることもなくスザクに相対している。恐らくそれは本日の主役に対する周囲の気遣いではなかった。病弱な令嬢の麗しい立ち姿には何故だか侵すべからざる威圧感に似たものがあり、それが一般の生徒をして距離を置かせている。敏感にそれを感じ取ったスザクは、慎重に彼女に向き直った。カレンは、小さく微笑む。

「…私ね、本当は貴方の考え方ってちっとも理解できなかった」

 柔らかい表情に反して、瑞々しい唇が零したのは否定的な言葉だった。しかしスザクは、意味もなく納得する。今まで明確に感じていた訳ではない、だが彼女はきっとスザクに隔意を持っていたのだと確信した。ややして吐き出す言葉を、スザクは敢えて選ばない。

「イレブンは珍しい?」

「馬鹿言わないで。あなたがそれを言うのは悪趣味よ」

 声に返された視線は、予想以上に鋭かった。そのせいで、少年准尉は学友の少女が自身を「イレブン」として認識していないことに気付かされる。制度的にいえば、当然のことでもあった。自分は「名誉ブリタニア人」なのだから。しかしそうでなく、彼女は今「スザク」と話をしていた。気を取り直すように、少女の薄い瞼が一瞬瞳を覆い隠す。それは、瞬きというにはあまりにも美しい所作だった。

「貴方のことだけじゃない、理解できないことが多すぎて息がつまりそうだった。でも、今なら少しだけ分かるわ。皆それぞれのやり方で、未来に向かうしかないのよね」

「カレンさん、君は…」

「受け売りよ。私のことを、私の世界ごと受け止めてくれた人の」

 誇らしげに笑う少女が、スザクには少し羨ましかった。それと同時に、彼女の言葉に既視感を覚える。それは遠い時間を隔てたことではない、つい先程のことだ。

(ルルーシュ…?)

 胸の内に友人の姿を思い描いた瞬間、カレンはゆっくりと目を細めた。

「長い話はしたくないわ。始めから、言いたいことは一つだけだもの」

 言って一呼吸置く、彼女の姿勢は見惚れるほどに美しい。

「死なないで」

 腹の底から吐き出された様な声に、ブリタニア軍人は目を見開いた。カレンはお嬢様なのに、病弱ゆえに大切にされている箱入り娘なのに、現実を知っている。軍人は死ぬものだと、他者の命を奪えばいつかは積み重なった呪いに押しつぶされるのだと。そのうえで、儚げな少女は声だけはしっかりとスザクの生存を命じた。それは祈りですらない。

「肝に銘じておくよ」

 その言葉を受けた、やや不満だが許してやろうとそう言いたげな少女の表情はこれまでに生徒会室で目にしたことのないものだった。












「白兜を抑えるのは紅蓮に一任し、他の者は基地の撹乱に回れ。現場の指揮は藤堂に任せる。退却のタイミングだけは私が連絡することになるが、それ以外は皆藤堂に従うように」

 ゼロの指示は常の通り的確だったが、今はそこに現場指揮官として信用できる人物の名が追加されている。それは彼が自らに冷徹であることを課しながら同時に他者を信じたいと思っているようで、やや胸中に不安を覚えずにいられなかった。ゼロの自室に入ることを許可された面々ならばともかく、藤堂や四聖剣はロロにとって今ひとつ信用に値しない。無表情のまま作戦に聞きいるロロをどう思ったのか、ゼロは視線を少年の上で固定させた。即座に気付いたロロは居住まいを正すが、ゼロの態度は変わらない。

(兄さん?)

 もう出撃の時刻は近い。副総督が何者かを出迎えるためトウキョウを離れる、そこを狙っての襲撃が目的の筈だがゼロは皆に指示を出したきり言葉を止めてしまった。作戦準備に入る前の黒の騎士団のメンバーの視線を集めたままの彼は、しかし気を取り直したように小さく頷く。

「あくまで撹乱が目的だ。位置的にもこの基地を落とす戦略的意味は少ない。各自、そのことを忘れるな」

 言い切ったゼロの言葉は、先ほどと異なりそれきりで指示が終了することを匂わせるような口調だった。準備にかかる面々を余所に、ロロとカレンは小さく目を見合わせる。ゼロが藤堂に指揮を任せるのであれば、彼は何をするのだろうかと思わずにはいられなかった。なにしろ、彼は放っておくと危険なことばかり自分でやりたがる。

「あの…ゼロ、」

 躊躇いがちに声をかけながらも、カレンは続く言葉を呑込んだ。貴方は何をなさるのですか、そう聞いてしまえば彼の怠慢を責めるようにも聞こえる。無論カレンがそう思う筈もないが、周囲がそれを耳にするのを避けたかった。彼女の葛藤に気付いてか、ゼロは自らの騎士とも呼ぶべき少女に仮面を向ける。他の誰にもわからないだろうが、そこには確かな親しみが感じられた。

「カレン、今回の作戦の要は基地をいかに混乱させるかだ。既に警戒態勢に入っている敵に襲撃を掛ける以上、こちらの被害も無視はできない。だが、必ず無傷で戻れ」

「はい!」

 問いかけだった筈の声には意図しない言葉が返るが、カレンが狂喜したのは確かだった。その気持ちは、ロロにも痛いほど分かる。作戦の要を任されたのだ、嬉しくない筈がなかった。しかし、特に声を掛けられた彼女と違ってロロにはまだ疑念が残っている。ゼロの赴く場所は最悪分からなくとも良いが、彼が安全なのか否かだけは確認しておかねばならなかった。厳しいまなざしを向ける少年に、黒衣の男はゆっくりと視線を合わせる。それは、普段の彼らしくない態度だった。

「ロロ、お前は…」

 そう言って言葉を濁すものだから、唐突にロロは彼の意図を理解する。いつだって敵の虚を突く優秀な指揮官たる兄が、作戦一つでこうも言葉を選ぶ筈がないのだ。なら、残る可能性は。
 思い当たるそれに、ロロは思わず破顔しそうになった。だが、まだ確証は得られていないのだと自らを戒める。そして、出来るだけ静かな声で問いを発した。

「ゼロ、僕は、貴方と同行できるのですか?」

「…そうだ。お前の力を、借りる」

 一瞬息を呑んだ彼は、ロロの能力を使うことをまるでとても悪いことだと思っているようだった。交わした約束を思い出す。兄は、自身の寿命をも縮めかねないギアスを使うことを極端に忌避していた。だが、ロロにとっては自らの有する全てが兄のためのものでしかない。他者にない力で最愛の人の力になれるのなら、それ以上に嬉しいことなどなかった。喜んで、そう言いたいが言葉すら不要に違いない。
 二人の遣り取りを見つめていたカレンも、ロロが同行するのなら一先ずは安心と言いたげに息を吐いた。柔く握り込んだ拳でロロの額を突きながら、細めた瞳を後輩に向ける。

「ロロ、ゼロのことは頼んだわよ」

「はい、任せてください。カレンさんも、白兜には気をつけて」

 任務に赴く同僚を見送ったことがないわけではないが、こんな言葉を使うようになったのは兄の下に付いてからだ。それを良く理解しているから、ロロには短い言葉の遣り取りすら面映ゆかった。











 副総督は少し困ったような笑顔で、白く細い指に持った繊細な造りのティーカップを置いた。それを眺めながら、スザクはおかわりが必要なのだろうかと考える。そもそも、昔は気を使われる方の立場だったし、それから後は他人に配慮しているようでは生きていけないような境遇だった。それでも他人に向ける親切心を忘れてはいなかったと自負しているが、貴人に対する気遣いとなると話は別だろう。しかも、妙齢の女性だ。どうするべきかと悩むスザクに、彼女は優しく微笑む。

「スザク…勝手に騎士に任命してしまったこと、怒っていますか」

 やや弱々しく零れた声に、スザクは耳を疑った。そのせいで、思わずまじまじと皇女殿下の顔を見つめてしまう。不躾極まりない視線を受けて、高貴な少女は苦く笑んだ。その表情に漸く自らの無礼を認識した彼女の騎士は、勢い良く頭を下げる。

「失礼しました!!」

「いえ、良いのです。そうではなくて…そうではなくて、スザク、わたくしのお願いは貴方を困らせてしまったかしら」

 それが騎士任命のことを指すのであれば「お願い」という表現は不適切だった。彼女の下命に逆らえば、スザクはブリタニア軍という組織で命を繋ぐことは不可能になる。しかし、彼女の意図が自身に対する強制になかったということを知っている少年は、出来るだけ柔らかい言葉を探した。

「いいえ、ユーフェミア様。自分に新しい道を見つけてくださったこと、どれだけ感謝しても足りません。ですから、そんなお顔をなさるのは止めてください」

 言うと、少女の表情が明るくなる。無論心よりの言葉だったが、彼女はどうやら簡単に人を信じすぎるらしかった。懸念材料がなくなったせいか、年頃の少女らしい仄かに甘い曲線を描く頬に薔薇のような色が戻る。折れそうに細い指を唇の前で組み合わせるその姿は、感嘆にすら値するほど麗しかった。

「良かった! ではスザク、わたくしたちきっと仲良しになれますね。お兄様もお出かけになられたのだし、話し相手になって下さる? ね、座って」

 言いながら目線で彼女の座したソファの向かいを示される。いくらなんでもそれはどうかと思うが、ユーフェミアの言葉通りシュナイゼルがいない以上彼女の時間はただ待つことだけに浪費されていた。話し相手の一つくらい欲しくなっても不思議はないが、騎士というものがそれに相応しいのかスザクには分からない。話を逸らすべく、態々本国からこの小さな島に視察にやってきた宰相のことを話題に乗せた。

「あ、あの、シュナイゼル殿下は一体どうしてここにいらしたんでしょうね」

「さあ…? わたくしもお出迎えするようにとの指示は受けましたが、あとはさっぱり。総督は何も仰らなかったし、お兄様も直ぐにお出かけになってしまいましたし…」

 彼女の可愛らしい声が告げる内容なら、スザクも既に知っている。この小さな島について暫し、空飛ぶ戦艦で現れた宰相閣下はロイドを伴って何処へやら消えてしまった。出迎えの任を負っていたユーフェミアは、置き去りにされた形で基地内で兄の帰りを待っている。正直、これならば彼女は必要なかった。恐らく、せっかく遠路はるばる本国からやってきた宰相閣下を放置は出来ないとの判断か。

「わたくしには分からないことばかり。でも、もう一人ではありませんもの」

 嬉しそうに微笑む彼女の真意をスザクは知らない。聞き返そうとした瞬間、慌ただしい足音が部屋の前で止まった。何事か、そう思った瞬間遠くで空気が震えるのをスザクは感じる。それは確かに音だったが、彼には音声というよりもそれを生んだ質量の方が意識に残った。聞きなれた戦場の音であればこそ。扉の前の男が、喘ぎながら言葉を紡ぐ。

「副総督、敵です! 黒の騎士団が、この島に…!」

 報告を聞いた瞬間、少女は表情を引き締めた。声を発しないまま小さく動いた唇が何を言ったのか、スザクには分からない。しかしそれを知りたいと思う間もなく、先程までと別人になったようなユーフェミアが厳しくスザクの名を呼んだ。

「枢木少佐! 直ちにランスロットで出撃し、基地の守りを固めなさい」

「Yes, Your Highness」

 応えながら、スザクは黒ずくめの仮面の男を思い出していた。スザクが守りたいと願う平和を壊す男。彼を放置していたら、いずれエリア11は呑み込まれてしまうような気がしていた。学園も、それを身近に感じさせてくれる美しいばかりの幼馴染たちも、言葉少なに自分の生を願ってくれた友人も。
 枢木スザクにとって、破壊者たるゼロはなんとしても排除せねばならない存在だった。











「兄さん、ここは…」

「大丈夫だ。少し待つぞ」

 言いながら、ルルーシュは眼下の洞窟を視界に納めた。ロロは良く分からないという表情をしているが、その反面不安は感じていないようだった。いっそ盲目的ともいうべき彼の愛情に、ルルーシュは僅かに胸が痛むのを感じる。本当であれば、ロロのギアスは一生使わせたくなかった。だが「以前」の偶然に頼っていてはシュナイゼル有するガウェインを入手することは不可能だろう。そう思えばこそ、タイミングを見計らって黒の騎士団に基地を襲撃させた。ゼロの率いる部隊の主力が紅のKFだということをあの宰相が知らない筈はない。そこに藤堂救出時から参戦した月下まで加われば、誰もが黒の騎士団の目的を基地陥落にあると思うに違いなかった。しかしゼロの目的は様々な機能を有する新型のKFの鹵獲にある。確実に手中にするために彼らの作業が始まってから襲撃したいが、自分だけでは突破力が足りなかった。

「ロロ、俺が合図したらギアスを…頼む」

「任せて、兄さん」

 そうして研究者たちを率いるシュナイゼルが洞窟の奥に消えてから暫しの時を待ち、ゼロは弟に短く頷いて見せた。絶対停止の結界が範囲を広げるのを確認したゼロは、素早く洞窟の中に駆け込む。隣を走るロロのことは気になるが、そうであればこそ気分は急いた。

「大丈夫か、ロロ」

「うん、大丈夫」

 心臓の動きが停止するという、その感覚をルルーシュ自身が知ることは出来ない。だが、応えたロロがひどく嬉しそうに微笑むものだから表情から彼の苦痛を推し量ることすら出来なかった。
 途中で隠れながら息を継いで進み、やがて二人は黒いKFの足もとに辿り着く。そのころにはロロの顔色は一目でそれと分かるほど蒼褪めていた。

「済まない、無理をさせた」

「謝らないで、兄さん。僕は凄く嬉しいんだから」

 せめてとばかりに先にKFに取りついたゼロは無邪気に喜ぶ少年に手を貸す。殆どそれを必要としない身軽さで弟がガウェインに乗り込んだ瞬間、漸く黒の騎士団総帥は胸を撫で下ろした。顔色が悪いとはいっても、直ちに健康を害するような様子はまだない。これが最後だ、そう自らに言い聞かせる。
 そうしながらも、ゼロの的確に動く指先は漆黒のKFの機能を呼び出していた。己が主の帰還を喜ぶかのように従順に従うガウェインを発進させるころには周囲は驚愕に包まれていたが、それに付き合ってやる必要もない。洞窟の出口を超え、空に向けて飛び立ったKFに感嘆の声を上げるロロの声を聞きながら、基地襲撃に当たった団員達に短く撤退の指示を与えた。
 合流地点に向かうまで、どうしても気になって視線を向けた弟はやはり幸福そうに微笑んでいる。それが単純に役に立ったということだけではないように思えたルルーシュは、意図せず柔らかく声を掛けた。

「ロロ、何をそんなに笑っているんだ」

「え、うん。このKF二人乗りだね。誰と乗るの?」

「ああ、これに乗るのはC.C.だ」

 告げた名前は弟のそれではなかったが、構わないとばかりに少年の微笑みは崩れない。彼の性格を思えば少しくらいは複雑な表情をするかと思っていた兄は、愈々首を傾げた。その様子を見て、少年はこれ以上ないという程に笑みを深める。

「じゃあ、これからは兄さんも危なくないね」

「…そうだな?」

 兄が何を思っているか気付いたロロは、誇らしい秘密を打ち明けるような慎重な声を紡ぐ。ギアスのせいで蒼褪めていた頬は、既に暖かな色彩を取り戻していた。

「兄さんは、本当にギアスが効かないんだね。信じてなかったわけじゃないけど、本当に…ずっと、僕と同じ時間にいてくれるんだ」

 幸福そうに微笑む弟に、ルルーシュは告げるべき言葉を失って黙り込んだ。正確に言うなら、魔王と魔女はもう互いしか同じ時間に生きてはいない。これから先、どれほど弟が望んでも同じ歳を重ねることは出来なかった。だが、それを言って何になる。いずれ向き合う真実は、優しい世界を作ってからでも遅くはない筈だ。そう思って、魔王は淡く微笑んだ。

















       















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