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人は嘘を吐く。そうして隠した本心には、いつだって目を背けたくなるような醜い欲望が渦巻いていた。
だが、それを嫌うと同時に諦めを感じていないでもなかった。人間とはそういう生き物なのだ、と。
笑顔の下で他人を呪い、言葉の裏で他者の不幸を願う。
おぞましくも汚らわしいが、しかしこの世界にはたった一人の例外がいる。
彼女だけは嘘を吐かないし、煩い欲望をがなりたてもしなかった。しかも自分を愛してくれている。

「泥棒はいけないんだよ」

悪いことをしたら叱られなければならない。
誰も奴を叱らないのなら、自分が教えてやらないとならないのだ。
そして、適正な罰を。










夢中天 31











日付が変わってもずっと日記帳を眺めていたが、結局何も変わらなかった。まっさらな紙面には何の文字も記されてはいない。
昨日は書くべきことがない日ではなかった。父の葬儀は自身の生涯にとって大きな節目には違いないが、しかし日記帳を開いたままの手はそのことを綴ろうとはしない。
涙と共に虚脱しているのではなく、考えるべきことが脳裡に浮かんでは消えてそれ以上の如何なる所作をも遮っていた。

(ルルは、ゼロ…なんだ)

今でも胸が痛むが、認めなければならない。そうしなければシャーリーは一歩たりとも前に進めそうになかった。
ブリタニアに反旗を翻し、多くの人を殺し、イレブンの…弱者の王であろうとするテロリスト。
どうして、何度も同じ言葉が心中に繰り返される。
どうしてゼロになったのか。どうしてイレブンの味方になったのか。どうして父を殺したのか。
どうして、ルルーシュのままでいてくれなかったのか。

(わからないよ、わたし、これからどうしたら良いの)

葬儀が終了してから、母は頬を乾かすことを厭うかのように涙を流し続けた。
その慟哭が激しくなればなるほど、シャーリーの胸には想い人の言葉が繰り返される。
どれほど否定したくとも、自身の記憶がそれを許さなかった。やがて母が泣き疲れて眠りについても、少女に睡眠という名の安息は訪れない。
気持ちを落ちつけようと、それまでにあったことを整理すべく日記帳を開いた、それがシャーリーが自発的に取った最後の動作だった。
最後の日付には来るコンサートの日を待ちきれないとでも言いたげに、逸る気持ちが記されている。
ほんの数日前の自分が、まるで別人のように感じられた。馬鹿みたい、唇の動きだけでそう呟くが、ならば今の自分が聡明であるかと問われれば頷くことはできない。
冷たく凍りついた指先で日記帳を捲る。
恋愛しか頭にない一昨日、日記帳を触ることすら出来なかった昨日、そして父の葬儀があった今日。
否、日付はもう変わっているのだから正しくは「昨日」だった。
白紙のままの日記帳は、まだ決まらない未来のために用意されているようにも見える。
しかし、本当は文字にも出来ない記憶がべったりと張り付いていた。そのことが酷く恐ろしく感じられて、それからずっと見慣れた筈のそれを見つめている。
時間を忘れるほどの間凍りついた世界にいたシャーリーの耳に、不意に小さく朝鳥の声が届いた。
脅えるように視線を向けるが、窓の外はまだ暗い。夜明けの気配も感じられないが、時計の針は朝が近いことを告げていた。
再度見遣った窓の外は、昨日と変わらず低く雲が広がっている。
結局、一睡も出来なかった。
彫像のように固まっているだけで何もせずに夜を明かした少女は、呼吸を思い出したかのように長い息を吐く。
そして、ふと。視線の端に、白い封筒を捉えてしまった。
皺の寄った、数日前までは希望の象徴であった筈の白い封筒。

「―――!」

思わず上げた悲鳴は声にならなかった。咄嗟に、何かを考える前に右手でそれを掴む。それは握り潰したといっても良いほどの勢いだった。
胸の前でそれを握り締めて、シャーリーは顔色を蒼白にして一つの決意を固める。

(会わなきゃ)

考えても考えても、自分には彼が何を思っているのか分からなかった。だから、彼の口から聞く必要があるのだ。
どうして、と。
そう思って初めて、少女は自らが未だ喪服を身に纏っていることに気がついた。
このままでは行けない。
迷わず制服を手に取ったシャーリーは、それまで時を止めていたことが信じられないほどの焦りを感じていた。母親に何も言わずに抜け出すことは避けたいが、早く言葉を交わさなければ、きっと彼はいなくなってしまう。
着替えが終わって再度白い封筒を手に取るシャーリーには、自身が会いたいと願う相手がルルーシュなのかゼロなのかすら分かっていなかった。ただ、嘗ては宝石のように大切にしていた長方形の紙切れを指先が白くなるほどきつく握り締める。
それは、ただ一本の藁に縋っているようでもあった。




















同時刻、ロロは浅い眠りから覚めていた。
兄を惨めな最期から救ってやらねばならないと決意した日、ルルーシュは登校しなかった。それはナリタの影響かもしれなかったが、どうしようもない運命に後押しされたようにも感じられる。
もしも兄が何かに感づいてロロの手の届く範囲から逃れてしまった場合、彼は救われる道を失ってしまう。
いつもの自主休校ならば問題なかったが、楽観は出来なかった。
否、する必要もない。
ずっと覚悟できずに先延ばしにしていたことを片付ける時が訪れた、それだけのことだった。
処分すべしの命令を受け取る前にゼロを消すことは命令違反と取られる可能性も十分にあったが、ロロにとって既にそれは恐怖の対象ではない。
任務のことしか考えられなかった過去からすれば信じられないが、現在の自身の最優先事項は兄に安息を齎すことだけだった。

「…おはよう、兄さん」

誰もいない室内で呟いた。
挨拶を教えてくれたのは兄ではない。常識的なことは全て嚮団で習ってきたが、それは全て模倣でしかなかった。目を覚ますということ、一日が始まるということ。そして、誰かに挨拶をするということ。
それを自分のものとして感じさせてくれたのが兄だった。
ゆっくりと寝台から身を起こしたロロは、日常の一幕をなぞるように制服を手にとって身につける。

(仕損じはしない)

ロロにはその自信があった。
これまで機械のように、嚮団の道具として培ってきた技術を初めて誇りに思う。
そう、自身は道具でしかなかった。しかしルルーシュは違う。
テロリストでも、ブリタニアの力を演出するための添えものでもなく、彼はロロの兄だった。

「にいさん、今行くから」

彼に最後に見せるために、表情を和らげる。
自身の笑顔を好んだ兄が喜べば良い、そう思ってのことだったが、上手く笑顔が作れたか分からなかった。
今まで生きてきた中で最も…否、唯一といって良い使命感に後押しされながらロロは思う。
きっと本当に嬉しい時に笑うことが出来るのはこの世界でも僅かな、とても恵まれた人だけなのだ、と。


















いつものように女子寮で起居していれば、クラブハウスまでは物の数分もかからない。
しかし、父の葬儀のため実家にいたシャーリーは、それなりの時間を朝の空気の中で過ごさなければならなかった。じりじりと目的地に近付くにつれ、心中に躊躇いのようなものが生まれ始める。
もう父はいない。自分が何をしたところで喪われた命は戻らないのに、この行動に意味があるのか。
そもそも、衝動的に飛び出したものの、自らの望みが分からなかった。何を聞けば満足できるのかも。
自室で感じた焦燥が不安に呑み込まれそうになるが、意志とは別のところで歩みは止まらなかった。
握り締めていたチケットは、制服のポケットの中にしまわれている。
部屋を出るきっかけになった筈のそれは、今では酷く無意味で滑稽なものであるように思えた。
それをくれた父はもういない。一緒に出かけたかったルルーシュも、もう。

「酷いよねぇ、ルルは!」

背後から突然朗らかな声を掛けられ、シャーリーは息を呑んだ。
否、これは声をかけられたとは普段なら言えない。男の声はただ不満を告げたに過ぎなかった。
しかし、それが自身の心中とあまりにも深く関わりすぎていたため、少女は思わず振り向く。
そこには、異様な風体の男が薄い笑みを刷いて立っていた。
ヘッドホンとゴーグルを装着し、白い長衣に身を包んだ姿は、ただそれだけでは「異様」とまで言うことは出来ない。
シャーリーが彼を異質だと判断したのは、偏に彼の浮かべた笑顔のせいだった。
底抜けに朗らかな、楽しくて仕方がないとでも言いたげなその風情は、吐いたばかりの言葉と全く一致していない。

「だ、誰」

「へぇ?今からルルのところに行くんだね!
そこで彼は何を話してくれるのかなぁ、そうだよねぇ、きっと事情がある筈だよね。
君の父親を殺しても良いような事情がさ」

男の声が響き渡った瞬間、シャーリーは彼が何を言ってるのか理解できなかった。
耳からの情報を処理することが出来ずその歪な笑顔を凝視していると、男は更に楽しげな声を上げる。

「ルルの秘密を知っているのは自分だけだと思ってた?
違うよ、全然違う。君は奴に騙されてるんだよ。君なんかどうでもいいのさ。
そうだろ?そうじゃなかったら君の家族を殺したりする筈ないじゃないか」

「やめて…」

掠れた声を吐き出すとともに、シャーリーは漸く眼の前の男の言葉の意味を理解した。
聞き間違いなどではない、確かに彼は「ルルーシュ」について語っている。しかも、今正に自身が捕われている問題について。
聞いてはならない声だと思った。それ故に今すぐにでも逃げ出したいのに、震える足はどうしても動かない。

「ほら、現実を見ないと。
分かってるんだろ、夢なんかじゃないって。そうだよ、奴は君のお父さんだけじゃない、たくさんの罪もない人を殺したとんでもない殺人犯さ!」

(わかってる、ルルがゼロなら、)

「そうさ、ルルはブリタニアの敵じゃないか。気が付いてるんだろ、奴が君の敵なんだって」

男の声はだんだんと高くなってゆくが、シャーリーは既に彼に視線を合わせていることが出来なくなっていた。
嬉しそうに言い募る声は、決して目新しいことを告げはしない。全て、日記帳を睨んで過ごした昨夜に反芻したことばかりだった。
間違いなく、ルルーシュはゼロなのだ。そうである以上彼と笑いあうことなど二度と出来る筈もないのに、分かっているのに誰かの声で聞く現実は酷く重たい。

「酷いよね、ルルーシュは君を騙したんだ。
君は彼が好きだったのに!君の気持を知ってて、踏み躙ったんだよ」

「違うの、」

咄嗟に言い返しながらも、自らの放った言葉の意味すら分からなかった。
違う、その言葉がなにを指しているのか分からない。何かを言いたいはずが、胸の奥に空気が詰まったように想いがちっとも声にならなかった。
せめて紡いだその言葉に意味を見つけたいと思っているのに、男は更に愉快気に畳みかける。

「違わないよ、ルルは人でなしだ。悪魔なんだよ、あいつは。
…でも、君も随分と汚らしい人間だよね。
お友達がお葬式に来てくれたのにさぁ、疑ったんだよね?ルルの正体を知ってたのかって」

(それ、は)

枢木スザク、その名前は思い出すまでもなくシャーリーの脳裡に呼び起こされた。ルルーシュの古くからの友人であり、名誉ブリタニア人。ゼロの、彼の味方としての資格を有する少年。
葬儀の際、そう思わなかったといえば嘘になる。哀しみと困惑に呆けた頭の隅で、スザク君は知らないのだろうかと思わないでもなかった。
しかし、それは微かに浮かびかけた疑問の断片であり、こうして白日の下に晒されるまでシャーリー自身把握していなかった疑問に過ぎない。
いつしか地に膝をついていた少女を見下すように眺める男は、両手を高く掲げて打ち鳴らした。
それは拍手のようでもあり、打ちひしがれるシャーリーに対する嘲笑の様でもあった。

「自分だけが特別だと思っていたのに、秘密を知っているのは自分だけだと思っていたのに、そうじゃなかった。そうだよ、君は悲劇のヒロインになった自分に酔ってたんだよ。
それだけじゃない。折角君を心配してくれた友達を、自分の恋情が裏切られたからって疑った。
テロリストの共犯者なら、殺人犯だよね。そう、君は嫉妬に狂って友達をそんな目で見るような女なんだよ」

「やめて!」

男の言葉はきっと嘘ではなかった。全てが夢であれば良いと願う反面、自分はどこか特別になったように感じていたのだろう。そして、スザクを疑ったのかもしれない。
優しい真直ぐな瞳をした彼を醜い嫉妬で傷付けたのだとすれば、それは何とも身勝手だった。

「酷いよねぇ、君も、ルルも。
でも大丈夫だよ。まだ取り返しはつくさ」

言いながら、眼前の人物はそっとシャーリーの手に冷たい塊を押しつける。
頭を働かせることが出来ないまま、涙の膜を通して見遣ったそれは、何処かで見た覚えがあるものだった。
最近何処かで見た、いつもは見慣れないもの。映画やニュースでしか見る筈がない、誰かを傷つけるための道具。

「君にそれをあげるよ。それで、ルルに教えてあげれば良いんだ。
お父さんがどれだけ痛かったのか、あいつは知らないんだよ。
友達を信じることも出来ない君でも、誰かの役に立てるんだ。ほら、それでルルを退治しちゃえばさ、もう君みたいに泣く子はいなくなる。皆幸せになれるよ」

「私が、ルルを」

茫然と呟いた声は、ひどく掠れている。
何もかもが現実感を欠いていた。

「そう、ルルを殺すんだ。大丈夫、君になら出来るさ」

喜悦を隠さない男の声はシャーリーの胸の奥に届くが、それに上手く反応することが出来ない。
思考を放棄したかのような少女に代わって、その手の中の銃が重く光を反射した。
男が更に畳みかけようとした瞬間、それまで辛うじて水分を呑みこんでいた雨雲が水滴を落とした。
微かな音と共に地に着いた雨粒は始めこそ小さかったが、見る間に勢いを増す。
男は短く空を振り仰ぐと、忌々しさを隠しもせずに表情を歪めた。

「あ〜あ、折角C.C.に会えるのに濡れちゃうじゃないか。
もう分かってるんだろ?ほら立って、ルルを殺そうよ」

男の声にはそれまでの上機嫌を覆すような不満が溢れていたが、その変化に少女は気付くことも出来ない。
次第に激しくなる雨音の隙を縫って聞こえる、殺害を促す言葉の意味だけが心中に渦巻いていた。

「ともかくさ、ぐちゃぐちゃ考えなくても良いんだよ。
考えるのは後でも出来るだろ?早くしないとルルが次の人殺しをしちゃうよ。
ほら、僕は先にルルのところに行ってるからさ、君も早く来て奴を「どうにか」しなくちゃね」

雨に打たれるのに飽いた男は、やや投げやりに言い放つ。
呆けたように動かない少女が正常な思考能力を有していないこと、余程の衝撃がなければそれを取り戻せないことはこれからの経験と自身の能力から分かっていた。
さらばこそ、ここで女に付き合うよりは目的地に辿り着きたかった。
それは雨を避けるためでもあり、それとは比すべくもない大きな目的のためでもある。
十中八九女は奴を殺すために動く、しかしもし狙いが外れても問題はなかった。別にどうでも良いのだから。
薄汚い泥棒猫にはきついお仕置きが必要だが、眼前の女からは情報を得られれば十分で後は余興のようなものだった。
ただ、余興は面白くなくては意味がない。

「先に行って待ってるよ、君がルルを殺すのを、さ」

少女は言葉を返しはしなかった。しかし、銃を握った手が微かに強張るのが見て取れたため、男は低く笑う。
茶番劇が始まる、それは男にとって酷く馬鹿馬鹿しく無意味なことだった。



















       















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