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鹿威しの音も涼やかな室内に、神楽耶は一人座していた。
緩やかな笑みを浮かべる彼女の手には一束の報告書が握られている。
そこには日本解放戦線の生存者の氏名と負傷の状態が大まかに記されていた。本来であれば神楽耶の手に渡るような内容の書類ではないが、今回神楽耶は無理を言って手下の者にそれを用意させていた。

「私の、ほんとうの宝…」

我知らず呟いた神楽耶は報告書を抱きしめんばかりの衝動に襲われたが、あまりにも幼い仕種に感じられてそれを押しとどめる。
この結果が神楽耶の会ったあの声の主の行いの結果なのかどうかは分からない。しかし、変化はあの日の翌日に劇的に訪れ、日本解放戦線への攻撃は神楽耶との約束を守るように終結した。
クロヴィスはこれを機会として反抗勢力を根絶やしにしようとしていた。あのまま看過していれば、神楽耶は親しいわけではないが見知っていた年上の知人を多く失っていただろうことは想像に難くない。
それが、誰もが想像もしない速さで「なんとなく」終結し、爆撃を受けはしたものの多くの命がまだこの世界に息づいているのだ。
もしもそれが本当に彼が起こした変化だとしたら、それは神楽耶にとって嘗ての厳島の奇跡よりも大きな衝撃を持っていた。
厳島の奇跡は確かに当時の日本人を力付けたが、あくまで消えゆく前の最後の抗いの一種でしかなかったと神楽耶は思っている。
しかし、今回は規模は遥かに小さいが、既に失われた尊厳を奪い返す兆しのような印象を受けていた。
もちろん、全てが偶然である可能性の方が高いことは分かっている。たとえ偶然でなくとも、過度の期待は結果として心を草臥れさせるだけだとも。

「いけませんわね、らしくもない」

声に出して自らを諌めながら、神楽耶は声の主の名前すらも知らないことを少し残念に思っていた。










夢中天  10










「カレンさん!身体はもう良いの?」

元気そのものといった明るい少女の声を受けて、紅月カレン改めカレン・シュタットフェルトは小さく肩を跳ねさせた。
意識してゆっくり振り向いて、相手の姿をしっかり瞳に納めたうえで儚げに頷く。

「ええ…。最近、とても調子がいいの。朝も熱が出ない日が続いてるし…」

「そっか、良かった!でも、エリア11って暑かったり寒かったりするから気をつけてね」

日本の四季の美しさを解さない、しかしカレンを案じた優しい声に些か割り切れぬ想いを感じながらカレンは曖昧に頷いた。それは心情を示していたが、病弱な令嬢として違和感のない仕種だったのであまり気にしないことにする。
そのまま活発なクラスメイトと会話を交わしつつ、カレンは隙なく周囲をうかがい続けていた。
カレンの命を救った「誰か」は必ずカレンとの接触を望む。その自信がカレンにはあった。
なぜなら、彼ら…否、あの時カレンを迎えに来た少女はカレンの許にあの紅のKFを残して立ち去ったのだから。









「今何と言った」

「なんだ、まだ耳の機能が修復されていないのか?
紅蓮はカレンに預けてきたと言ったんだ」

C.C.がカレンを自宅まで送り届けて暫し。息を切らせてルルーシュの元に戻った時、彼はなんとか自力で身を隠すことが可能な程度に回復していた。上の会話は一息ついたC.C.が紅蓮をカレンの自宅に隠したことを告げた直後に交わされた。

「正気か!紅蓮の隠し場所は48パターン、その中にカレンの自宅は」

「黙れ」

激したルルーシュが捲し立てるよりも早く、C.C.が短く声を遮る。
律儀に眉根を寄せて押し黙る共犯者に、表情一杯の憂いを浮かべたC.C.は真摯な瞳を向けた。

「お前が動けないほどの傷を受けることは私は想定していなかった」

私は、の部分を強調して言う彼女に、ルルーシュは小さく声を詰まらせる。
実はルルーシュはその可能性を考えていなかったわけではない。だがそれを言うとC.C.が強固に反対することが目に見えていたため敢えて説明は省いていた。
結果、身動きの取れなくなったルルーシュを案じたC.C.は、予定されていた隠し場所のどれよりも簡単な場所に半ば紅蓮を放置してルルーシュのもとに駆け戻ることになった。
予定と異なるC.C.の行動に不満を隠せないルルーシュだが、一方でそれが自らの招いた事態であり、さらにそれでも尚C.C.が当初の目的を遵守したことも含めてひとまず怒りの発露を押さえこむ。

「しかし、カレンを戦場から遠ざけることが肝要だと考えていたが…どうやらそうは問屋が卸さないらしいな」

思案するように低く呟いた声に、C.C.も小さく頷く。
彼女自身、カレンの自宅に紅蓮を隠させることは軽率だったかも知れないと思わなくもなかったが、それを差し引いてもカレンは大人しく成り行きを見守るような女性ではないと確信を持って言えた。実際、現実に戦場に佇んでいたのだから。

「今後のエリア11総督の人選にもよるが、カレンは戦闘に参加させるつもりはなかったが…。計画の変更が必要だな」

「そうしてやれ。あの女もそれを望むだろう」

C.C.の同意にルルーシュは小さく首を傾げる。カレンが以前、眩いばかりの忠誠をゼロに誓っていたことは記憶に新しいが今後もそうなるとは限らず、さらに言うなら今回は「ゼロ」はカレンと接触するどころか誕生してすらいない。
それでありながら断定の響きを隠そうともしないC.C.の言葉が不思議だった。
困惑の表情をした共犯者を緩く見やって、魔女が笑う。

「信じていないだろう?しかし、いつか納得するさ。
賭けてもいい。あの女はまたお前を知り、お前と戦い、お前のために駆けて…そしてお前を愛するようになる」

ルルーシュは反論しようとしたが、魔女の声にはどこかそれを許さない響きがあって、結局言葉を呑みこんだ。
代わりに、彼の知り得ないカレンの様子について想いを馳せる。

「カレンはどんな様子だった」

「どんな?」

「紅蓮に対して、だ。今日の戦闘を見ていればこそ、カレンには強力な兵器は喉から手が出るほどに欲しいはずだ。
特別関心を示した様子は?」

C.C.はルルーシュの身を案じる一心だったが、結果として紅蓮の隠し場所としてシュタットフェルト邸は悪くはない。当主は留守で夫人は「別件」で毎日忙しくしているため、それなりの実権を有するカレンが本気で隠そうと思えば、KFの1つくらいは難なく隠せる。
但しそれにはカレンがルルーシュの指示通りに動くという前提がなければならなかった。起動キーはC.C.が持っているにしても、信念を持った日本人の技術力は侮れない。配線を弄って、起動くらいは出来るようにしないとも限らなかった。
しかし、小さく腕組みをして暫し考えた後にC.C.が発した答えは若干ルルーシュの想像と異なっていた。

「それはないな。
今のカレンは戦闘の勝利…それもなくはないが、それ以上に自分を助けた誰かに関心を寄せている。
はっきり言って、気に病んでいたぞ」

宣言通りはっきりと言い切られて、ルルーシュは絶句する。
カレンの精神的重荷になりたいわけではなく、しかしそうならざるを得ないのも十分に理解できるし、さらにそれでもあの時の選択肢が他にあったとは思われない。
気まずそうに視線を逸らす共犯者を、C.C.は大変嬉しそうに見遣った。もっと悩め、とその瞳は語っている。

「とにかく、だ。今後総督が誰になるかによっては以降の戦闘にカレンを参加させない可能性も十分にある。紅蓮の回収手段は考えておく」

言い切ったルルーシュには、この時までは確かに盤上を支配している自信があった。
















同時刻、神聖ブリタニア帝国。
名宰相の名を恣にし、最も次期皇帝に近いと目されている男は感嘆の声を漏らしていた。

「まさか君が名乗りをあげるとは思わなかったよ」

言葉とは裏腹に、瞳に全く驚きの色を見せない彼は目の前の女性を優しく見つめる。彼女の赤毛は情熱的な紅ではなく、彼女の妹のように華やかな春の色でもない。落ち着いた深みのあるその色は戦場を駆けるときは誰よりも激しく燃えるが、今はただ大人の女性の艶を匂わせるだけだった。
頭髪と同色の紅をさした唇を僅かに綻ばせ、女性は語る。

「ええ。中華との状況も膠着している今、戦術上のの要地ではありませんが…だからこそ、今の内に手懐けておく必要があるかと。それに…」

珍しく僅かに言い淀んだ彼女に目顔で先を促すと、困ったような嬉しいような、何とも表現のしにくい顔で彼女は笑った。

「いえ、ユフィが。あの子はずっと昔のことを気にしていますから…。彼らの眠った場所が騒がしいままなのは嫌だ、と」

先の中華との兼合いも嘘ではなかったろうが、妹を盲愛してやまない彼女にはそちらの理由の方が大きいらしいのは一目瞭然で、宰相ことシュナイゼルは微笑ましいというような表情を作った。おやおや、と呆れたような声を聞く彼女、コーネリアもそれが責められているとは思われず微笑みを深くした。
勿論皇族たるもの私情に左右されるべきではないとは分かっているが、どうせ誰か総督が必要であったのだし、コーネリアには取り急ぎやるべきこともない。理由の一つとして妹の他愛もないお強請りが加味されるくらいは愛嬌だと思えた。

「エリア11は季節の変化が絵画的で良い場所だと聞いています。政治的にも、サクラダイトも豊富で中華と隣接してもいますし、面積に比して重要性は高いでしょう。
小賢しい反乱分子はまだ若干残っているようですが、それも今暫くのこと。あの場所は、私が綺麗にしてユフィに任せるつもりでいます」

彼女の妹、ユーフェミアはまだ学生で政治経験がない。だからこそ、初めの執政は箱庭のような小さな世界で行わせてやりたかった。しかし、後の力関係のためにも全くの僻地では意味がない。それを鑑みるに、エリア11はまさにユーフェミアのために用意されたような天地だった。
言って、コーネリアは微笑みを深くする。不謹慎だがクロヴィスの失脚を喜んでやりたい気分だった。
妹の言葉を、本日見えてからずっと変わらぬ笑顔で聞いていたシュナイゼルだったが、ふと思い出したように声を上げる。

「コーネリア、エリア11に行くなら名前を持たない者に気をつけなさい」

どこかの街角で聞く占いのような、抽象的な言い回しにコーネリアは小さく声をあげて聞き返す。

「誰に、ですか」

名前のない人物。そんな人がいるだろうかと彼女は考える。
ブリタニアでは徴税の関係もあって、比較的正確な戸籍のシステムが整っている。それは植民支配をうける各エリアについても同様であり、途上エリアであるエリア11はまだその限りではないが、衛生エリアともなると本国と比しても遜色ないような緻密な戸籍が作られていた。
しかし、その途上エリアでも大まかな戸籍は整備されているし、戸籍に乗らないような人々…例えばブリタニア支配を受け入れず、闇から闇に渡り歩く反逆者たちも存在はしたが逆に珍しいものでもなく、戦いに慣れたコーネリアに態々忠告するほどのことでもない。
疑問を隠せぬ様子の彼女に、シュナイゼルはいつもと変わらぬ笑みで応えた。

「コード0のことは知っているね」

穏やかなシュナイゼルの声に、しかしコーネリアの肩は小さく跳ねる。
コード0、それは副総督以上の任に就く皇族の間でのみ使用を許された秘匿通信。皇帝を筆頭に必要な者にだけ存在を知らされるそれは、彼女の忠実な騎士であるギルフォードにすら存在を明かすことがためらわれるものだった。
その、確認のためだけに紡がれたシュナイゼルの声にコーネリアは微かに頷いて見せた。存在は知っている。しかし、使用したことはない。
殆どの皇族がそうだろうと彼女は思っていた。

「それが、何か」

「陛下を頂点に1から割り振られるコード0のIDに、ブランクがないことも知っているだろう?」

「ええ」

秘匿通信の干渉を匂わされて落ち着かない面持ちのコーネリアとは異なり、あくまでシュナイゼルは穏やかな雰囲気を崩さない。
不敬に当たると感じながらも、コーネリアの心中に苛立ちにも似たものが生まれた。

「そう、コード0のIDに空白はない。…しかし、実際に空白の通信が寄せられたとしたら?」

「まさか」

胸の裡の苛立ちを押し殺しながらコーネリアは笑って見せる。
事実、ここが妹と過ごす他愛ない茶席であればコーネリアはそれを一笑にふしただろう。堅牢な保護がなされたコード0の未登録IDが存在するのであれば、それは何者かがブリタニアの情報技術の遥か上を飛び越え、易々と機密情報の改竄を行っているということに他ならない。
しかしEUにしろ中華にしろ、それだけの技術を納めた機関があるとは思われなかったし、一介の個人が有するレベルの技術でもなかった。
都市伝説でももう少しマシな設定を考えるべきだ、と告げようとしてコーネリアは小さく息を呑む。
そう、これが妹との与太話であれば、だ。話題選びに難はあるがそれで終わりの話に過ぎない。しかし、それをシュナイゼルが言うということに問題はあった。

「…まさか、兄上」

「そう、そのまさかだよ。IDは1から始まる。0は存在しないはずだね、コーネリア」

IDとして0が存在しないからこその通称、コード0。
その重みをコーネリアが噛みしめる前に、シュナイゼルは突然その整った顔を綻ばせた。

「エリア11はいずれ要地になる…君の考えは正しいと思うよ、コーネリア。
だからこそ、誰か有能なものが治めるべきだ。そう、君のような。
期待しているよ、君にもユフィにも」

先ほどまでの緊張感を払拭したその声に戒めを解かれたように、ブリタニアの魔女とも称される女性は頷いた。
宰相の部屋には、新しい任地の報告に来ただけだった。そう珍しいことでもない、それがひどく現実感を欠いて感じられた。


「…コード、0…」


我知らず茫然と呟くコーネリアを、シュナイゼルの暖かい瞳が見守っていた。



















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