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 扉が開く気配がしたが、リヴァルは振り向かなかった。眺めていたPC画面のニュースがそれなりに面白かったということもあるが、何となく物言いたげな雰囲気の友人が言葉を紡ぐのを待った方が良いような気がした、ということもある。
 最近の生徒会はすっかり様相が変わってしまった。ムードメーカーのシャーリーといつもPCの傍にちょこんと座っていたニーナは休学してしまうし、悪友のルルーシュは元々病気がちのカレンと同じくらい欠席が目立つようになっている。ロロとスザクという新たな仲間を加えもしたが、ロロは兄について回っているらしいし、スザクは軍の方が忙しくてあまり学校に顔は出せなかった。そして、我らが生徒会長様は何があったのか随分とすっきりした表情をして、最近は自分の進路について詳しく資料を集めているらしい。彼女の学年を考えれば無理もないが、唐突な感がして寂しい、というのがまだ誰にも愚痴れない自分の本音だ。
 ともあれ、置き去りにされたような寂寞の中でもリヴァルはルルーシュの良い友人だと自負している。言いたいことがあるなら聞くし、言いたくても言えないなら言葉が出てくるまで待つつもりだった。だが、いくらでも待ってやるという気分とは裏腹に、友人はどこか迷いを残したように声を発する。

「…リヴァル」

「はいよー」

 ルルーシュの声は重いが、一緒に沈んでやるつもりはなかった。彼がそれを望んでいないということも何となくだがわかる。椅子を回して友人に視線を合わせると、彼はその人形のように整った顔を苦笑の形に歪めていた。澄ました顔をしていれば本当に作り物みたいになってしまう彼が、実は多種多様な表情を隠し持っていることをリヴァルは知っている。恐らく生徒会役員は皆知っている筈だった。それを、ルルーシュが許したから。自分が彼の許した「ごく一部」であることを知っているリヴァルは、わざとおどけて首を傾げた。

「何だよルルーシュ、変な顔して」

「変な顔は余計だ」

 揶揄を軽く睨んで嗜めたルルーシュは、小さく息を吐いた。その仕草に、リヴァルは気付かれないように少しだけ身構える。理由は説明できないが、何か大きなことを言われる気がした。

「リヴァル…俺は暫く、この学園を離れる」

 ルルーシュの言葉が自身の覚悟と釣り合うものなのかリヴァルは一瞬計りかねた。暫く、といってしまえば一言だが、範囲が広すぎる。しかも、学園を離れると言われてもピンと来なかった。ただ、今ですら欠席がちな彼が態々宣言するからには本当に来られなくなるのだろう、とだけ見当を付ける。しかし、そう言われても何が何だか分からなかった。

「何で」

「言えない」

 短く問うた声には、それに相応しく短い応えが戻る。しかし、その短さは全く性質を異にするものだった。自分は何も情報を与えられていないから「何故」としか問えない。彼はその逆で、多くを語らないために短い言葉を選んでいた。
 たった一つの問いを封じられただけで何も聞いてほしくないという友人の意図を感じ取ってしまい、リヴァルは言葉に詰まる。学園を離れるとルルーシュが言うのであれば、それは彼の都合だから自分がとやかく言うことはできない、それは分かっていた。だがこうして面と向かって宣言されては見当違いのことでも言いたくなってしまう。零れ落ちそうな言葉を呑み込んだ瞬間、口を噤んでいたルルーシュが低く声を発した。

「だが、必ず帰ってくる。だから…それまで、ここのことは頼んだ」

 言いたいことだけ言ってしまうと、ルルーシュは訪れたとき同様静かに踵を返す。

「ルルーシュ!」

 勢い込んで名を呼べば、友人は振り向かないまま足を止めた。理由は説明できないが、今を逃せばもう彼の言う「暫く」が終わるまでルルーシュには会えない、そう感じたリヴァルは言いたいことと聞きたいことを脳裏に探すが上手く言葉に出来ない。何を言って良いかわからないまま口をついたのは、先ほどと同じ意味の声だった。

「…どうして、」

 言ってしまってから自分の語彙の少なさを悔やむ。何故、という言葉には含まれる意味が多すぎた。上手い言葉を探すあまり無言になるリヴァルに、ルルーシュはやはり短く声を返す。

「友達、だからな」

 言うが早いか、それ以上の質問は受け付けないとでも言いたげなルルーシュはさっさと生徒会室の扉を潜った。一人残されたリヴァルは、相変わらず何も分からないままだが不思議と納得している自分に気付いて苦笑する。
 ルルーシュは普段からどんな些細なことでも人に頼らない人物だった。その彼が、わざわざ名指しで自分の居場所を託してくれている。しかも、敢て「人に言えない理由でここを離れる」と宣言してまで。

「仕方ない奴! 寂しいとか言ってられなくなるじゃんか」

 現金だとは自分でも思うが、そういう性格なのだから仕方ない。それに、寂しさはなくならないかもしれないが帰ってくるのならばそれで良いと、正直にそう思えた。











夢中天 44








「お兄様、今、なんて…?」

「すまないナナリー、俺は暫く中華に行く。そこでやらなければならないことがあるんだ」

 両手を優しく包み込まれて兄の体温を感じているというのに不安を感じるのは生まれて初めてのことで、ナナリーは震える声を律することが出来なかった。どうして、と問うための声が擦れて音にならない。握った手は優しくナナリーを気遣ってくれるのに、彼はこの手を離すというのだ。

「お兄様、私もお兄様といっしょに…!」

「それは出来ない」

 必死さを隠すことも出来ないナナリーに、兄は諭すようにゆっくりと声を紡ぐ。彼を困らせている、そう理解しても不安に騒ぐ胸中をどうすることも出来ずに少女は血の気が失せた顔を左右に振った。柔らかく整えられた長い髪が動きに沿ってふわふわと揺れる。この髪も兄が綺麗だと褒めてくれた、そう思った瞬間ナナリーの頬を涙の滴が滑り落ちた。

「あっ…」

 俯いて表情を隠したナナリーは、自らの意思に反して零れる感情の発露を止めようと意識を集中させた。兄が離れていくのは寂しいし、言いようもない程辛い。その苦痛はいっそこの身を引き裂いて欲しいと願わんばかりのものだが、それでも涙で兄を引き留めるようなまねはしたくなかった。

(だめ、泣いてはだめ…)

 兄を説得するためには冷静に状況を判断しなければならない。そのためには涙は不要だった。それが分かっているからこそどうにか落ち着こうと必死になっているのに、零れる滴はとどまるところを知らず流れ続ける。押し殺した声が無様に響いて、どうしようもなく居た堪れなかった。

「ふ、うう」

「…ナナリー」

 みっともない嗚咽の合間を縫うように、ルルーシュの柔らかな声が自身を呼ぶ。応えたくてもそれが出来ずに頭を振ると、優しく包み込まれた両手を握る力が少し強くなった。いけない、とそう思うがナナリーに出来ることなど何一つない。震えるほどの恐怖の後で耳に届いたのは、固い決意に彩られた真摯な声だった。

「ナナリー…愛している。勝手をするが、許して欲しい」

 決定は動かせないのだと言いたげに告げるその声は、ナナリーにとっては絶望でしかない。新たな涙が生まれそうになったのを感じた少女は、ぐっと拳を握った。

(…違う)

 胸の内に確かに生まれた絶望を必死で打ち消しながら、脳裏に自身が取るべき正しい態度を思い浮かべる。兄は「暫く」と言ったし、「許して欲しい」とも口にした。つまりそれは、彼との絆が切れていないということ、そしてことが終われば戻って来てくれるという意味に他ならない。
 ならば、自身がとるべきはこうして泣き崩れるばかりの愚かな妹を演ずることではなかった。胸の内に吹き荒れる嵐を鎮めて、大好きな兄が誇れる妹であるために声を励ます。

「それが終わったら、帰ってきてくださいますか…?」

「ああ、約束する」

 応えた兄の声から安堵の色を読み取って、ナナリーはそっと息を吐いた。本当なら形振り構わず縋りつきたい。そして、ルルーシュのいない世界に意味はないと訴えたかった。だが、そうやってこの優しい人の自由を奪うのは良くないと分かっていたし、帰って来てくれると約束してくれればその時まできっと耐えられる。
 兄と離れてしまう悲しみを彼と交わした約束の持つ希望で塗りつぶしながら、ナナリーは綻ぶように微笑んだ。







「意外だったな」

 出会ったばかりのときは彼女の辞書に「意外」などという単語は無いのではないかと思っていた。それほどまでに得体の知れなかった女が自室の寝台の上で存分に寛いでいるのに違和感を覚えなくなっているルルーシュは、視線だけで言葉の続きを促す。部屋着の代わりにルルーシュのシャツを羽織ったC.C.は、肩を竦めて皮肉な微笑みを浮かべた。

「そうだろう? まさかお前がこうも真正面から妹に別れを告げるとは思ってなかったぞ」

「ああ、そのことか。…仕方がなかった。俺はナナリーには出来るだけ嘘を吐きたくないし、時間もあまりない」

「時間?」

「そうだ。特区日本が発令された以上、こっちに持ち時間は殆どないと思って良い。
 ユフィが仕掛けてくる前に、準備を全て終わらせておかなければ…」

 魔王の言葉を聞いていたC.C.は、言葉に違和感を覚えて首を傾げる。これまでも先のことまで計画を立てていたルルーシュの言葉を理解できないことはままあったが、今回感じた違和感はそれらとは全く異なっていた。

「仕掛ける? あの皇女様にそんなことが出来るかな」

 思ったままに口に出すと、PC画面に見入っていた共犯者が視線だけを寄越す。真面目腐ったその目の色は、他の誰に相対したときよりも慎重な姿勢を見せていた。

「お前には言ってなかったか…? ユフィは「以前」の俺にとって最大の難敵だった」

 言われて思い出すのは、何度も現実に裏切られながらも最終的には世界を掌中に収めた魔王が唯一あの「慈愛の皇女」には敗北を認めた、という事実だった。












「宰相閣下!」
 
 凛とした声が廊下に響き渡って、自身があまりにも勇んでいたことに気付いたユーフェミアは仄かに頬を染めた。失態に気付いた彼女はほんの少しだけ唇を噛んで己がつま先に視線を落とす。そんな些細な仕草を見ている限りでは、ユーフェミアはただの育ちの良い年頃の少女でしかなかった。事実、本国にいたころの彼女の価値は心優しく見目麗しく、そしてただ単に皇帝の娘に生まれているということだけだったと言って良い。そう思いながら、誰もが感嘆の吐息を吐く微笑を携えたシュナイゼルは眼前の妹を見つめる。視線の先できゅっと小さくこぶしを握り締めたユーフェミアは、ゆっくりと顔を上げた。ごく自然に浮かべられた笑みには気負いは感じられないが、よくよく見ると耳朶がやや赤い。

(緊張しているのは明らかだけれど、少しだけ隠すのが上手くなった)

 それは第2皇子として外交の場に立ち続けたシュナイゼルからしてみれば実にお粗末だが、コーネリアの庇護の下で良く言えば真っ直ぐ育った彼女にしてみれば大した成長だった。取り繕った不安定なポーカーフェイスのまま、妹が花のように微笑む。

「申し上げるのが遅れてしまいましたが…行政特区の承認、本当にありがとうございました」

「ああ、そのことは気にしなくて良いんだよ。君の提案は素晴らしかったからね…きっと上手くいくよ」

 そう言って笑みを深めれば、目に見えて妹の肩の力が抜けた。誰からも愛されて育ち、初の任地となったエリア11では慈愛の皇女と呼ばれる少女は、外見だけを見れば何も変わっていない。だが、交わした言葉や見せる仕草の端々から彼女の変化を如実に感じているシュナイゼルはそっと目を細めた。

(これは…コーネリアではない、か)

 この年頃の若者は少し見ない内に驚くような変貌を遂げることも少なくない。加えて言うなら、エリア11で与えられた皇女としての責任ある立場が、急激な意識の改革を促したとしても不思議はなかった。だが、それにしても瞳に迷いがなさすぎる。
 自身の行く末をじっと見つめて揺らがないその眼差しは、誰か強烈に信じられるような師に道筋を指し示されているせいかと思われた。しかし、コーネリアが指示したと仮定するにはナンバーズへの対応があまりにも違っている。この地に総督として赴任した妹は、ナンバーズへの差別を合理的に必要なものだと受け止めていた。行政特区日本についても彼女より先に相談を受けたシュナイゼルが首を縦に振ったがために、仕方なく受け入れているにすぎない。

(宰相からの梃入れに屈した…そして何より、いずれ総督としてこの地を預かるユフィの好感度を上げておこうとする意図の表れ、といったところかな)

 実際、行政特区日本を打ち出してからというもの、表向きユーフェミアの評価は上がっている。ブリタニアが見せた新しい側面に注目が集まっており、今の彼女は植民エリア全てのナンバーズの期待を背負っていると言っても過言ではなかった。彼女の政策が成功すれば、言葉の通り、世界の明日が変わる。
 そして、シュナイゼルはこの政策が…「行政特区日本」が失敗することを知っていた。
 単純に言って、採算が取れない。
 虐げられる民が可哀想だと胸を痛めるだけならば誰にでもできるし、優しく愛らしいユーフェミアがそれをやれば人気が出るのも当然だった。だが、その先がない。彼女が理想のままに政策を展開するのであれば、今でさえそこここで聞かれる不満の声は、いずれ大きな力となって彼女を呑み込むだろうと思われた。真剣に未来を見据える妹には酷だが、彼女には現在の不満を我慢してでも未来を託したくなるような将来性も、反発心をも抑え込んでしまうような強烈な支配力もない。
 だが、シュナイゼルにとってそれは然したる問題ではなかった。新しい方向性を提示した指導者が時節に望まれず消えてゆくのはありがちなことであり、わざわざ憂う必要はない。それより、このユーフェミアらしい政策が暫くの間でもエリア11を静かにすることにこそ重要な意味があった。
 浮世のことなど忘れたように国政をシュナイゼルに託す皇帝が、進軍の指針にしているらしい怪しい遺跡…それが意識の隅に引っかかっている。皇帝が古代文明の魅力に取りつかれて現世を疎かにするのであれば、第2皇子として人々のために父を廃さねばならなかった。その見極めをしたいところだが、残念なことに解析能力に秀でたKFを失った以上本来の想定以上の時間が必要になる。その調査の時間を稼いでくれさえすれば用済みになるユーフェミアのために胸を痛める必要はなかった。人々が「第2皇子」に望んでいるものは彼女の行く末を案ずるような分かりやすい慣れ合いではない。卓越した政治眼で世界のバランスを取り続けること、父王がその能力を欠いた以上、シュナイゼルは動かねばならなかった。

「ユフィ、きっとエリア11は…イレブンの未来が、他のナンバーズの希望になる。しっかり頑張るんだよ」

「はい! それと…宰相閣下、お願いがあるのです」

 力強く応える副総督にはまだ見る者を安心させるような自信は備わっていないが、意欲に満ちた瞳はなかなか悪くない。真っ直ぐ向けられた視線は、本国にいたころのユーフェミアが見せていた兄に向ける親しみだけが感じられるものとは違った風情になっていた。自らの立ち位置を理解したうえで宰相の目をしっかり見つめる胆力を備えた妹を頼もしく思いながら、シュナイゼルは微かに首を傾げる。目で話の続きを促すと、ユーフェミアは一度頷いて口を開いた。

「この地の…エリア11の民に対する処断について…どうしてもわたくしにお任せいただきたいことがあるんです」

「それはコーネリアに話さなくてはならない話じゃないかな?」

「はい、勿論お姉さま…いえ、総督にもご相談させていただきます。ですが、まずは本国の宰相であらせられるお兄様にお話しさせていただきたかったんです」

 意を決したように言う妹の口ぶりに思い当たる節があるシュナイゼルはゆったりと笑みを深めた。まずシュナイゼルに話を通すという手法は本来褒められたものではないが、成功すればほぼ間違いなく彼女の希望がかなうようになる。植民エリアの自治は基本的に総督に任されているとはいえ、植民政策そのものが本国の打ち出すものである以上、シュナイゼルの判断を無視できる総督はいなかった。
 更に言うなら、ユーフェミアは行政特区の成立についてシュナイゼルに認可を求めているため、その運営については半ばシュナイゼルの管轄と言えなくもない。無論、矢面に立つのはユーフェミアということになるが。
 それを踏まえれば、彼女がこれから口にする言葉を聞くのも必要なことだろう。そう判断した宰相は、副総督の声に耳を傾けた。戸惑いがちながらも手探りに自身の言葉を紡ぐ少女は、シュナイゼルから見れば拙いが面白くもある。夢見がちな彼女の長所を損なうことなくここまで育てたと思われる副総督付きの文官に高評価を下しながら、シュナイゼルはユーフェミアの変化に対する一つの仮説を打ち消した。
 ここまで明確な未来を求める眼差しが出来るようになるには、誰か強烈な指導者があったに違いないと思っていた。そうでなければ、ユーフェミア本人が持つ固い決意の表れか。だが、それは恐らくあり得ない。この世に満ちた不条理を許さず、難局を切り開くことなど誰にも出来ない筈だった。人々もそれを求めてなどいない。甘やかされて育ったユーフェミアに、それを求める意志が生まれるとは思えなかった。
















       















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