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「なんだ、お前がここの当番か。なら話が早い」

 突然掛けられた声に呼吸を止めたカレンは、次の瞬間わが目を疑う。
 順番に披露される舞台の出し物を眺めながら、しかし脳裏は本部に座すルルーシュのことでいっぱいになっていた彼女は、最初は自分の見ているものを理解できなかった。それなりによく練習された演劇を遠く眺める裏方ブースに現れた女は、どこから調達したのかサイズぴったりの制服を着用している。二つに結んだおさげが愛らしい…と言えなくもない。

「は!? 何、アンタいったいどこから…!」

「大きな声を出すなカレンお嬢様。私がどこから入ったかなどどうでも良い。それより、お前にやって貰わなければならないことがある」

 すっかりアッシュフォード学園女生徒になりきっている魔女ことC.C.は、言葉と同時にゆったりと笑みを浮かべた。外見だけならば可憐な少女だが、普段通りの表情が全てを台無しにしている。眉根を寄せたカレンは、しかし数時間後には自身が彼女の共犯者になるということをまだ知らなかった。






夢中天 42






 学園祭は滞りなく進んでいる。予定通りならば、祭りのメインイベントであるピザ作りもそろそろ準備を始めても良いころだった。しかし、残念ながら役者が揃っていない。瞳に神経質な光を宿したルルーシュは、校門の方向を厳しく睨んだ。

「ロロ、スザクは」

「うん、まだ来てないみたい」

 ある程度予測していた答えに、ルルーシュは短く息を吐いた。本日、特派は丸一日休みということになっている。枢木スザクの通う学園の行事に合わせた休日は、普段は良識的なセシルが主張したものだった。そして、その彼女は既に学園に姿を見せている。肝心のスザクがいないことがルルーシュを苛立たせていた。

(把握し切れていない状況があるのか…。現時点でスザクが足止めされる可能性は72通り…そのうち大部分は然したる問題もなく切り抜けられる筈だ。しかし、万が一、)

 目を伏せたまま思考を巡らせていたルルーシュは、己が胸中に浮かんだ「万が一」を思って複雑な心境になった。現在のスザクの立ち位置は「以前」に比べて悪くない。そのスザクが、協調性を何よりも重んじる彼が自らがメインになるイベントに遅れる可能性として一番高いもの…それは、ルルーシュがここまで手を回して実現させた新しい未来への分岐点だった。ルルーシュは読み切れない事態を招くことを危惧して敢て「以前」と同じようなシナリオ展開を選んでいる。無論、要所を押さえつつ、時に手を加えながら。その流れでいけば、スザクがこの場に現れない理由も推測できた。
 悪い状況ではない、それを理解している以上ルルーシュの胸を刺すのはただの感傷でしかない。如何ともしがたい心境を呼気に乗せて吐き出した瞬間、外を眺めていたロロが小さく声を上げた。釣られるようにして視線を上げた瞬間、乱暴とすらいって良い勢いで運営本部の扉が開かれる。

「ごめんルルーシュ! 遅くなった!」

「スザク!」

 校門から本部まで全力疾走したであろうスザクは息を切らせた様子もない。相変わらずの非常識なまでの体力に、彼の幼馴染は思わず苦笑を漏らした。枢木スザクとは決して浅いとは言い難い因縁がある。馬鹿正直なスザクはその性質に反して多種多様な表情を持っているが、ルルーシュは学園で見る少し情けないスザクがとても好きだった。戦争で離ればなれになったスザクが努力して得た表情は、歪に素直でいかにも人間らしい。

「最終確認。まだ時間はあるだろ」

 言いながらガニメデの操作案内を手渡すと、スザクはやや難しい表情をした。何度か瞬きをしてそれを見詰めた後、小さく首を傾げて視線を寄越す。

「リヴァルは? もうスタンバイしてるんじゃないかな」

 人を待たせては心苦しいとでも言いたげな表情だが、付き合いの長いルルーシュには彼の心境など手に取るようにわかった。つまり、今更取説を紐解くのは面倒だと思っている。正確に心情を読み取った生徒会副会長は、己が友人を冷たく見やった。そも、ことを為す前にあらゆる状況を想定して考えられるトラブルの全てを事前に予測したがるルルーシュと、出来ると確信した瞬間から一切の躊躇いを忘れるスザクでは性格が違いすぎる。こちらもルルーシュの視線の意味を十分に理解しているスザクは、満面の笑みを浮かべて見せた。結局押し切れると知っての表情であるあたり、案外性格が悪い。

「…今更確認するべくもないが…分かっているだろうな、生地を作るときの初速は」

「大丈夫だよ。計算上はちゃんと出来るんでしょ?」

「当り前だ! 俺の計算に抜かりはない。後はお前のタイミングだ。良いか、生地を伸ばす際にはかなりの遠心力が生じる」

「だから、大丈夫だって。僕と君が一緒で出来なかったことってないだろ」

「その油断が「万一」を生むんだ!」

「分かってる、大丈夫だよ! じゃあ僕もう行くね。美味しいピザ作って来るから待ってて!」

 そう言い切ってガニメデの下に走ったスザクは、結局友人の言葉を何一つ聞いて行かなかった。小さく舌打ちしたルルーシュには、しかし「何をしに来たんだ」とは思えない。何をしに来たのかはわかりきっていた。自分にとってスザクが大切な友人であるのと同じように、スザクにとっての自分も大切であるとは今更思い知るべくもない。その彼の、明るすぎる表情はルルーシュに言葉よりも余程有益な情報を伝えていた。
 時間が迫っているからか、それともロロが同席していたからか…スザクは何も告げなかったが、明らかに昨日までと今日では彼の瞳の輝きが違う。導き出される答えは一つしかなかった。

(動いたな、ユーフェミア)

 予測された「万が一」が中ったことを知ったルルーシュは、ゆったりと笑みを浮かべた。計算ミスがなくとも物事が失敗することもある、という現実を彼は痛いほど知っている。しかし、有難いことに今のところ全ては問題なく動いていた。

「兄さん? ピザ、食べに行く? それとも、僕が持ってこようか」

「いや、その必要はない。巨大ピザなど所詮はイロモノ。あんなものはどこぞの魔女だけ喜んで食っていればいい」

「そのどこぞの魔女とやらだけど。さっきホールの方に来てたわよ」

 突然割り込んだ声に視線を向けると、スザクと入れ替わりのように現れたのはそれまでホールを預かっていたカレンだった。ピザ作りを数十分後に控え、出し物も恙無く終了したらしい。空いた椅子に腰を下ろした彼女は、組んだ膝の上に頬杖をつくというあまりにもお嬢様らしくない格好でにやりと笑ってみせた。

「C.C.のあの格好、どうやって手に入れたのかは知らないけど、結構楽しんでたみたいよ」

「それは良かったな。ちなみに、入手経路は俺も知らない。知りたくもない。
 …そんなことより、カレンが会ったということはピザには十分間に合うな」

 懸念事項が一つ片付いたことを知ったルルーシュは、小さく息を吐く。世界の行く末や愛する者の未来に比べればいかにも小さな問題だが、今まで二度の不運がある。今度こそ共犯者が無事巨大ピザにありつけるだろう事実は、ほんの少しだけ多忙な副会長の気持ちを軽くした。
 が、しかし。ルルーシュの安寧に必ずしも魔女が協力的ではないということをこの瞬間まで彼は忘れていた。小さく首を傾げたカレンが、不思議そうに言葉を漏らす。

「え? C.C.、ピザはルルーシュに任せるって言ってたわよ。自分はもう帰るって」

「なんだと!? あの魔女め…! 何を考えている!」

 大きく予定と異なるカレンの言葉に、ルルーシュは思わず立ち上がる。無論、C.C.とそのような取り決めはなかった。ルルーシュは巨大ピザになど興味はないが、今回の祭りの目玉である以上一般的な人気は高いと考えて良い。あの大喰らいの魔女が満足するだけのピザを確保するとなれば、今からでは根回しが間に合わなかった。

「くそっ、忌々しい! 大体それならなんであいつは態々カレンの前に顔を出したんだ」

「えっ…と」

 ピザ確保の方策を脳裏に巡らせながらも悪態を吐くルルーシュの声に、カレンは小さく視線を逃がす。その態度に不審な点を感じないでもなかったが、それよりはピザの確保が優先された。三度目の正直という言葉がある。今度こそ、何としてもあの魔女の口の中に巨大ピザを放り込んでやらないと気が済まなかった。

「兄さん!」

「ああ、すまないロロ。お前に頼るしかない」

「任せてよ! 僕がたくさん取ってきてあげる」

 嬉しそうに言うが早いか、ロロはピザ作りの会場目掛けて駆けだした。スザクが向かった時間を考えると完成までは時間があるが、既に人だかりが出来ていると思って良い。アッシュフォード学園の関係者たちは皆楽しむことに貪欲な向きが強いため、彼らの間をかきわけてピザを入手するのはそれなりに至難の技だった。

「頼んだぞ、ロロ…!」

 呟いたルルーシュの声にかぶせるように、会場の方向から大きな歓声が響く。どうやら、ピザ作りは早くも開始されたらしかった。









 狭い車内に響いた遠い歓声に、少女は小さく笑みを浮かべる。どのような学園なのか気になっていたが、思っていた以上に暖かい雰囲気が感じられることが素直に嬉しかった。後ろ姿を見送ったばかりの少年は、生真面目で優しくて、そして若干思いつめすぎる傾向にある。だが、この学園なら彼を優しく受け止めてくれるような気がした。

「良いのですか、このままお戻りになって」

「ええ、構いません。本当は少し覘いてみたいけど…わたくし、副総督ですから」

 はっきりと言い切ったユーフェミアは、窓の外を控えめに眺めた。本来であればスザクの通う学園をちゃんと見てみたいし、彼が今日作るという大きなピザも食べてみたい。しかし、自分にはそれ以上にやらなければならないことがあり、それを為すべき立場があった。否、為すべきという言葉は既に相応しくない。彼女にとって、自身の願いを果たすことはもはや何物にも代えがたい望みになってしまっていた。そのためなら、多少の我慢など気にもならない。

(それを思えば、本当はこんなことろに来てはいけないのでしょうけれど…)

 副総督としての自覚が足りないと眦を釣り上げる周囲の人々の表情を思い出して、ユーフェミアは小さく首を傾げる。しかし、その叱責も最近は随分と少なくなった。無論、周囲に言われるまでもなく彼女自身自らの意識が変わったことに気付いている。そして、そうなるべく促した人物は恐らく副総督が折を見て町の様子を眺めることを諫めはしないだろうと思えた。

(ゼロ、わたくしが守るべき人々は本当はこんなにも優しい…。きっと、上手くいくはずです)

 期待と思いを込めて掌を握りしめた瞬間、学園から再度歓声が上がる。幸福を彩るような響きに勇気づけられたユーフェミアは、小さく頷いて運転手に声をかけた。これ以上の時間は割けない。

「頑張って、スザク」

 大きなピザを作る際は、テレビが取材に来ると言っていた。運が良ければその映像を見られるかもしれないと思った彼女は、しかし次の瞬間にはその期待を捨てる。今日のニュースを騒がせる覚悟が決まった以上、それ以外のものを望むべきではなかった。時間を移すという選択肢もないではないが、周囲との調整もある。そして何より、学園から漏れる歓声に後押しされたような気分になっている、今を逃したくなかった。

「わたくしも、頑張ります」

 車内に落ちた彼女の声は、誰に拾われることもなく決意として胸に残った。








 必ずや役に立って見せると奮起したが、結局ロロの手に残ったのピザは4切れだけだった。否、むしろたった一人で4切れも確保できたことは僥倖といって良い。しかし、かの魔女がどれほど大量のピザを消費しているか知っている以上、手の中のそれはやや心許なかった。

「多分足りないよなぁ」

 がっくりと肩を落とした彼は、ほんの少しだけ後悔する部分があった。ギアス。それを使えばあの壮絶な争奪戦をもっと上手く切り抜けられただろうが、使おうと思った瞬間に兄の言葉を思い出してしまった。ピザを入手することはルルーシュの指示だが、きっとそのためにギアスを使うことは望まれていない。そう分かってしまうほどには、ロロは兄からの愛情を感じ取っていた。手駒としてでも部品としてでもない、ロロとしての自分を認めて貰っている。そして、ルルーシュは態々「ギアスを使うな」と命じなくとも自身が彼の意を汲み取って動けると思ってくれている。その信頼を裏切るようで、たとえばれないだろうとしてもギアスを使うことは躊躇われた。

「でも4切れは、ちょっと」

 ひとりごちながら息を吐いたロロは、しかし次の瞬間に見知った人物を見つけて足を止めた。ピザの分け取りも終わって人が散り始めた会場の方を、少女は穏やかに見つめている。否、見つめることは出来ないが、その方向に顔を向けて行儀よく車椅子に座していた。

「…ナナリー」

「その声は、ロロさん?」

 思わず零れた声を拾った少女は、花が綻ぶように微笑みを浮かべて見せる。それを見るだに、ロロは苦しいような切ないような気分になった。ルルーシュの妹。彼が本当に守るべき家族。そして、突然現れた自分を厭いもせず親しく呼んでくれる少女。彼女が見せる微笑みは、正に純真と称してしかるべきものだった。

「ピザ、貰いに来たの?」

「ええ、そうなんですけど…」

 答えを濁した彼女は、気遣わしげな表情を人ごみへ向けた。人が散り始めたとはいえ、多くの人が行き交うそこはナナリー一人で行ける場所ではない。そして、行ったとしても既に彼女の目的のものは残っていない筈だった。一瞬だけ逡巡したロロは、ナナリーの傍らに歩を進めると彼女の手にピザを入れたパックを一つ手渡す。まだ温かいそれを受け取ったナナリーは、驚いたように顔を上げた。

「ロロさん?」

「その、僕はもうお腹いっぱいだからナナリーにあげるよ」

「良いんですか?」

「うん…じゃあ、また」

 出来るだけ素気なくならないように気をつけながら言葉を切ったロロは、そっと踵を返した。背中に少女の可憐な声が告げる感謝の言葉が届いたため小さく手を振って応える。そうした後にその仕草は伝わらないのだということを思い出すが、しかし敢て声を上げようとは思えなかった。確証はないが、何となく伝わっている気がする。

(ごめんね、兄さん。でも、兄さんにとって大切な人を僕も大切にしたい)

 元より少なかったピザはさらに少なくなってしまった。未練がないといえば嘘になるが、後悔は全くない。ナナリーのためでもあるが、世界を変えるために努力する兄を最近独占してしまっていることに対するお詫びも先程のピザには込められていた。







 一方、ピザを手渡されたナナリーは手の中に残る温度を心地よく感じながら、少し前にその場を離れた女性を待っていた。長い間世話になっている人物なので、彼女の気配は兄のそれの次に分かりやすい。目が見えずとも彼女の戻りを感知したナナリーは、ゆっくりと微笑んで見せた。

「おかえりなさい、咲世子さん」

「ええ、ただ今戻りました。って、あら…ナナリー様、それは」

「さっきロロさんからいただいたんです」

 驚いたように瞬きする咲世子の手には、同じようにパックに入ったピザの切れ端があった。但し、こちらには流麗な文字で「ナナリー」と記された付箋が貼り付けられている。争奪戦になることを予想したルルーシュは、自身の分は必要ないと考えていたが、ナナリーの食べる分についてはきちんとリヴァルに根回しをしていた。そこでスザクに頼まないのは彼の人を見る目が確かである証拠といって良い。ちなみに、ロロについても事前に確認をしていたが彼は興味がなさそうだったので確保するには至っていなかった。更にいうなら、魔女ことC.C.は人ごみに呑まれてしまえと思っていたため無論何も手配していない。結果としてそれが仇となったが。
 ともあれ、咲世子の分とナナリーの分、2切れのピザを受け取りに行っていた咲世子とロロが入れ違いになった結果、二人の手には3切れのピザがあった。然程大きなものではないため持て余すということもないのが救いというべきか。

「あら、そうだったんですね。じゃあ、有難くいただきましょうか」

「はい、いただきます」

 楽しそうに微笑んだナナリーは、小さな口を出来るだけ大きく開けてロロから受け取ったピザに齧りついた。少し行儀が悪いかもしれないと思ったが、気にするほどのことでもない。隣では同じように咲世子がピザを食べてくれるし、何より今日は楽しい学園祭なのだから。






 
「全くあいつは何を考えているんだ」

 忌々しげに呟いたルルーシュは、足早にゼロのアジトへと歩を進めていた。その手には、ロロから受け取ったピザがある。運営本部に戻った弟に十分な数を確保できずに申し訳ないと謝罪され、更にその際会ったナナリーに己が取り分を分けてしまった話を聞いてルルーシュはロロの優しさに実に感動していた。無論、彼女の分は他に取り分けてあったのだなどと言うつもりはない。ただ、優しい子だと褒めてやるだけで十分だった。その時の彼の面映ゆそうな表情はルルーシュの胸をこれ以上ないほどに暖めることに成功している。
 そしてそれだけに、勝手に現れて消えた魔女への怒りが増していた。いつも頼みもしないときにはふらふらで歩く癖に、ここぞというときには勝手にいなくなってしまっている。

(巨大ピザなんてお前以外の誰のためだというんだ!)

 組み立てられた手順どおりに物事が運ばないことに不快感を覚える性質のルルーシュは、己が騎士がアジトに向かうには不釣り合いなまでの大荷物を抱えていることに不覚にも気付いていなかった。足音も荒くアジトに踏み込むと、そこには騎士団の人間は誰もいない。それもその筈、シャーリーが起居するようになってからゼロの最も快適な私室があるアジトは基本的に人員を置かないようにしていた。出入りが出来ないというわけでもないが、可能な限り彼女の私生活を圧迫したくないという心遣いは地味に効果を発揮している。

「おい、C.C.! お前どういう、」

「遅かったなルルーシュ」

 勢い良く踏み込んだ私室で、ルルーシュは思わず言葉を失って我が目を疑った。不敵に微笑むC.C.は普段通りと言えばあまりにもいつもと変わらないが、その服装は全く以て平常とは言い難かった。いつもは無造作に流れるにまかせている長い髪を一つに纏めた彼女は、時代錯誤も甚だしい貴族のような格好をしている。しかも、男性ものの。背中を伝う冷や汗を感じながらシャーリーに目を向けると、彼女は濃紺の男性用の制服に身を包んでいた。恐らく一人称は「本官」だろう。

「まさか、これは」

「あ、ルル! おかえりなさーい。C.C.に聞いたよ! 今日はここで男女逆転祭りするんでしょ? ほらロロ、こっち来て!」

「いや、まてシャーリー! 俺はそんなこと一言も、」

 目の前で展開される見慣れた非日常に言葉を失ううちに傍らに立つ弟が連行され、慌てて声を発したルルーシュに魔女が…否、王子様がそっと忍び寄る。

「冷たいな、ルルーシュ。お前一人だけが学園祭を満喫し、ここで寂しく待つシャーリーは蚊帳の外、か」

 わざとらしく溜息を吐くC.C.を睨むと、彼女は実に嬉しそうに笑みを浮かべた。しかしそれは微笑みと称すべきものではない。勝ち誇ったようなそれは、そんな心温まるものではなかった。

「ごめんね、ルルーシュ」

 実に申し訳なさそうに言葉を漏らしたカレンが、その大きな荷物の中から長髪の鬘を取り出してルルーシュの頭にかぶせる。今更ながらに気付いた彼女の持つ包みの中には、色鮮やかなドレスが一式入っていた。あまりのことに眩暈を感じていると、切羽詰まったような弟の悲鳴が聞こえてくる。

「ほらルルーシュ、いやルル子、可愛い弟を助けてやれ。じゃないと…シャーリーに大改造されるぞ」

 魔女そのものと言った表情のC.C.に促され、ルルーシュは諦めて大きな息を吐いた。イベント好きが行き過ぎた生徒会長の行動にならされているせいか、シャーリーもこの手のお遊びが嫌いではない。否、ロロの悲鳴の合間に聞こえるはしゃいだ声の調子からすると生来のものかもしれないが。ともあれ、こうなってしまえば観念するしかなかった。

「ロロ、諦めろ。ほらシャーリーも。後は自分たちでやるから」

「あ、そう? じゃあ待ってるから着替えてきてね」

 案外あっさり引き下がったシャーリーたちを残して別室に移った兄弟は、互いの顔を見合わせて肩を落とした。互いに無言でカレンに手渡された包みの中を確認すると、サイズの異なる衣装がそれぞれ一式きちんと取り揃えられていた。非常に愛らしいそれを自分が着るのだと思えば残念極まりない。

「わあ…兄さんのそれ、ジュリエットかなぁ。きれいだね」

「ああ、お前のエプロンドレスも良く似合うぞ」

「やだなぁ、アリスって言ってくれなきゃ…多分…」

 黙々と衣装を身につけ、再度視線を合わせて息を吐いた。残念なことに、非常に残念なことに双方とも大変に良く似合っている。学園を離れてまで馬鹿げたことをやっていることにやや気が遠くなるが、しかし先程C.C.が囁いたことも一つの真実だった。シャーリーは勿論、C.C.もこうして馬鹿騒ぎをしたかったのだと思えばそう腹も立たない。巻き込まれた弟は哀れだが、労わるように頭を撫でてやればすぐに嬉しそうにして見せるあたり、本当はそこまで気にしてもいないのかもしれなかった、

「まだ着替えているのかルル子」

「誰がルル子だ!」

 無遠慮な声に急かされるままに扉をあけると、いつの間にやらカレンも応援団長の格好で寛いでいた。彼女の場合、下手に普段の学園生活での様子より似合っているようで空恐ろしい。急かしておきながらルルーシュの姿を見て目を丸くしたC.C.を一瞥して、ルルーシュはわざと淑やかにシャーリーの隣に座した。

「すまないな、いつも一人にして」

「ううん、それは全然平気! それより、ルルもロロも可愛いね!」

「ほんと、ルルーシュって女に生れてたらとんでもない傾国よね」 

 そういうカレンは、珍しくC.C.が用意したらしい軽食をテーブルに広げながら片眉を上げて見せる。それに気付いて甲斐甲斐しく手伝うロロも、その姿も相まって実に愛らしかった。まじまじとその様子を眺めていたC.C.は、ふと何かを思い出したように小さく声を上げる。あ、と母音だけを漏らす彼女に、ルルーシュが眉根を寄せる。

「どうしたC.C.」

「いや、確認していなかったがルルーシュ、お前」

 小首を傾げたC.C.が全ての言葉を終えるよりも早く、何の前触れもなくゼロの私室の扉が開いた。あまりにも平然と開いたそれに驚くことも忘れている間に、朗らかな声が来訪の意を告げる。

「ゼロ様、いらっしゃいます?」

 いつものことながら楽しげに声を上げたのは、つい先日出入りを許した皇神楽耶その人だった。彼女にはゼロの私室に入る資格がある。誰もそのことに反対しなかったため暗証番号も伝えて出入り自由を告げていたが、あまりにも図ったようなタイミングだった。一瞬遅れて空気が凍る。ただ一人平然と、C.C.だけが途切れた言葉を最後まで吐き出した。

「せめて今だけでも暗号を変えておいた方が良いんじゃないのか、と言いたかったんだが…遅かったな」

 凍りついた空気の中で、魔女の声に励まされるように神楽耶が途切れ途切れに言葉を漏らす。嘆くべきは、彼女の頭の回転の早さだった。

「皆さま…C.C.さんもカレンさんもシャーリーさんも、ロロさんまでそのお姿…ということは…。もしかして、ひょっとすると、そちらの女性は…」

 先日から私室に来てはシャーリーと親しく言葉を交わしていた神楽耶は、この部屋に足を踏み入れるものが多くないことを知っている。そして、現在男女の服装が逆転していることも。すなわち、眼前の洋装の美女は彼女の夫たるべき人物、と推測された。それを把握した瞬間、神楽耶の脳裏には厳しく警報が鳴り響く。

(いけない)

 思うが早いか、少女はくるりと踵を返した。わざとらしいと思われようが、その場の全てに聞こえるように声を発する。

「まぁ! ゼロ様ったら、他にも理ない仲の方がいらっしゃったんですわね! いつかご紹介に預かりたいですわ」

 当然ともいえる推測が成り立つ上でわざと明後日の方向のことを言うのは、何も無意味に妬いて見せているわけではない。姿を隠しているゼロの素顔を、望まれていない状況で知ったことは神楽耶にとっても痛恨のミスだった。彼女にとって、互いを支え合う夫婦は過干渉であってはならない。自身は夫となるべきゼロに心を寄せていたが、相手もそうだとは限らない以上、許された場所以上に踏み込むべきではなかった。
 気遣いに満ちた演技をされたルルーシュはと言うと、己のあまりの愚かしさに凍結した思考が漸く戻りつつあった。実に馬鹿馬鹿しい事態だが、然程問題だとも思えない。私室に入れることを決めた以上、神楽耶は自身にとって「身内」と呼んで良かった。素性についてもいずれは明かすつもりでいたので問題ないと言えば全く問題はない。ただ、つくづく愚かしいだけで。

「神楽耶様…その、大丈夫です。貴女の推測通りで問題ありません」

「ですが!」

「大丈夫です。もし良ければ、ご一緒に如何ですか」

「え!? 異性装をですか?」

 違う。一言の下に言ってのけるつもりだったが、食いつきはそれまで固まっていた周囲の方が早かった。敢て詳しく言うなら、シャーリーの反応は実に秀逸だった。

「楽しそう! ね、神楽耶様も一緒にやろ? 服ならあるんだ」

「え、そうなのですか? それならわたくしも是非」

 ルルーシュとしては、このまま神楽耶を帰してしまえばきっと次に会った時の距離の取り方で彼女を苦しめてしまうと思えばこそ、暫く閑談を…と思ったに過ぎない。都合良く軽食や菓子の類が机上に並んでおり、ここでの生活ぶりから神楽耶も年相応の少女らしくそういったものを嫌っていないだろう、と。間違っても馬鹿騒ぎの一員に名を連ねませんかと誘ったわけではない筈だった。

(だが…まぁ良いか)

 意外にも神楽耶は楽しそうにサイズの合う服を見つけてはしゃいでいる。いつの間にそんな物を運び込んだのかと視線でC.C.を問い詰めると、不敵な笑みだけが返った。どうせホールに忍びこんでカレンと会ったときに使用されていないものを運び出したのだろう。恐らくシャーリーの服のサイズが分からず、手当たり次第に。結果として役に立ってはいるが、決して用意周到とは言い難かった。
 小さく息を吐いたルルーシュの隣に、手早く衣装を変えた神楽耶が音もなく座す。所謂バーテン服と呼ばれるものに身を包んだ彼女は、給仕らしくない雅な仕草で微笑んだ。

「お招きいただき光栄ですわ、ゼロ様」

「いえ、神楽耶様にいらしていただくような規模のものではありませんが、お楽しみいただければ何よりです」

 これまで事態を呑み込めていたなかったらしいロロも、神楽耶が腰を落ち着けて言葉を交わしたことで警戒の必要はないと悟ったらしく、彼女にそっと紅茶を差し出した。微笑んで受け取る神楽耶も素直にティーカップに口をつける。それを契機に、その場は一気に始まりが遅れただけの男女逆転パーティーの会場になってしまった。

(馬鹿馬鹿しい…だが、これで良かった)

 本当はシャーリーに寂しい思いをさせているのが心苦しかった。自身について心を砕いている神楽耶に全てを告げる必要があるのではないかと思っていた。それらが何でもないことのように片付いて、正直にいえばルルーシュの心は軽くなっている。まさか全てを見抜いていた魔女が謀ったのではないかとも思えたが、追求することでもなかった。小さく息を吐くと、隣に座した神楽耶が他に聞こえないような声で囁く。

「ゼロ様、大変失礼ですが…わたくしは、昔…まだ幼いころに、貴方に御目に掛ったことがありますわね」

 彼女の質問の意味を理解したルルーシュは、浅く笑んだ。やはり神楽耶は賢い。これまでに自分が散りばめた手がかりを忘れず、ゼロの視点の広さと思想を理解したうえでルルーシュの正体にまで勘付いていた。そして、それを仄めかしても良いのだということまで気付いているあたり、まさしく機を読むに敏と言わざるを得ない。言葉の代わりに頷いて見せると、得心がいったと彼女の瞳が応えた。








 そして、愚かしくも楽しい馬鹿騒ぎのその夜、ブリタニア政庁はユーフェミア副総督提唱の下「行政特区日本」の立ち上げを宣言した。
















       















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