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「どうしたんだ、相談なんて珍しいな」

そう言って微笑んだ兄は、疑問の体をとった言葉とは裏腹にとても嬉しそうだった。
彼はいつもそうだ。一見素気ないのに、いつだってこちらに差し伸べる手を用意している。
声を発することが出来ずに唇を噛むと、兄は小さく首を傾げた。しかし、言葉を促されることはない。
平日の放課後、柔らかな午後の光が差し込む特別教室棟には僅かな人影もなかった。
胸の中で数を数える。自分の力を頻繁に使うようになってからは慣れたことだったが、今回ばかりはじわり
とした緊張を感じずにいられなかった。

(違う、緊張なんて)

必要ない。普段はもっと困難な任務をこなしているのだから。
それに比べて、今回は簡単だった。あと少し、時間が経ちさえすれば。

「 」

見つめる先で、兄が唇を開く。零れおちる言葉が音になる寸前、その全てを掻き消すような破壊音が周囲に
響き渡った。
耳を塞ぎたくなるような、鋭い音。驚いて振り向く兄の視線の先で、廊下に連なる窓ガラスが全て外側から
叩き割られていた。驚きのあまり声もない兄と、きらきらと光を反射して壊れるガラスを見比べる。

(終わった、全て終わってしまった)

これまでであれば、降り注ぐガラスの雨から兄を守ろうと思っていたかもしれない、しかし「ロロ」の任務
はもう完了していた。「ゼロ」を人気のないところまで呼び出し、嚮団に報告を入れる。
その後については何も知らなかった。事はロロの手を離れて、兄はゼロとして処分される。
ガラスの崩落音が落ち着く前に、そこに現れたのは武装した厳つい男たちだった。
彼らは声もなく立ちすくむロロの兄を手荒に押さえつける。

「何だ、お前たちは!ロロ、逃げろ!」

必死で抵抗する兄は、しかし訓練を受けた男たちに叶う筈もない。鋭い破片の散らばる廊下にねじ伏せられ
て、それでも彼はロロの心配をした。その彼の視線の先で、ロロは如何なる表情も浮かべることが出来ずに
いる。
これを望んでいたのか。自分の存在価値は、こうして兄を傷だらけにするだけで…。
ギアスを使っているわけでもないのに心臓が凍りついて、吐き出す息が冷たかった。これ以上見ていたくな
いのに、視線はどうしても兄を追いかける。
武装した男たちのリーダーが、不図ロロに視線を定めて声をかけた。

「任務完了だ。帰投しろ」

素気ない、事務的な声だった。
これが兄だったら何と言っただろうか。良く出来たな、そう言われたことはこの短い期間に数え切れないほ
どあった。些細なことでも褒めてくれた。
しかし、それは既に全て喪われたのだ。ロロ・ランぺルージがいなくなったのと同じように。

「お前たち、何のつもりだ!放せ、ロロ、早く逃げろ!」

兄の悲痛な声が耳に痛い。彼の言葉の通り、この場所から、全てのものから逃げ出したかった。
男たちのリーダーが、ロロに向けたのと同じ無感動な眼をもがき続ける兄に向ける。
その冷たく重い唇がゆっくりと開き、地を這うような言葉を吐き出した。

「テロリストには、死を」

言いながら、ホルスターの銃を酷く緩やかに持ち上げる。照準を合わせる。引鉄を、
ロロが見ていられたのはそこまでだった。
咄嗟に逸らした目を、これでもかというほどに強く瞑る。
聞きなれた銃声。耳に馴染んでいる筈だった。しかし、これほどまでに絶望的な音だったろうか。

「うあああ!」

兄の絶叫が響き渡る。
思わず向けた視線の先で、兄は肩を討ち抜かれていた。死を、と言った言葉に反して、致命傷には程遠い。
疑問に思う暇も有らばこそ、男は次に右足に鉛玉を喰い込ませた。
鮮血が吹き出すその様に、ロロは短く確信する。彼らは兄を楽に死なせるつもりはない。

(兄さん、兄さん)

胸の中で声を大にして叫んでも、誰にも届きはしなかった。そもそも、声をかけて何になるのか。
ロロの任務は成功しているのに。
その間も、兄の絶叫は続いていた。耳を塞ぎたくなるような酷い声だが、これが彼の声を聞く最後の機会に
なる。

(僕がやってあげられたら。僕なら、苦しませたりしない)

気付かないうちに、穏やかな死を彼に届けられた筈なのに、どうして自分は男たちに連絡したのか。
早く殺してやるべきだった。しかし、そのことが恐ろしくて仕方なかった。

(ごめんなさい、にいさん)

彼の絶叫を生んだのはロロの怯懦だった。彼を、早くこの手にかけてさえいれば。
未だ吐く息が冷たいロロをまるで無視して、それまで兄を嬲っていた男が短く声を発する。

「これで最後だ」

弾かれるように視線を向けると、確かに銃口は兄の頭に向いていた。これだけの至近距離なら万に一つも外
れない。
終わる、全てが。男の手にゆっくりと力がこもってゆくのが見えた。




「―――やめろ!」




叫んで、ロロは自分が夢を見ていたことを自覚した。
辺りはまだ薄暗い。時刻は午前四時頃といったところか。本来であれば起床にはまだ早い時間だったが、も
う一度眠りにつくことは出来そうになかった。荒い息を整えて、震える手で膝を抱える。
夢だった。しかし、いつかは夢ではなくなるかもしれない。
脅えるように緩やかに学習机に目をやると、先日取った写真がぽつんと飾られていた。
生徒会室で、皆が笑っている。自分によく似た「ロロ・ランぺルージ」という少年も。
ロロは、その少年が憎くて仕方なかった。何も知らないような顔で、愚かにも目に見えるものだけを信じて
いる少年。彼の望むものなどこの世の中に有りはしなかった。

「にいさん、僕は…」

貴方を殺してあげないといけない。
呟きは、とてもではないが恐ろしくて声に出すことすらできなかった。









夢中天 25










「ざぁ~んねんでした!」

突然投げかけられた声に、スザクは身体を硬直させる。
随分慣れた様に思っていたが、まだ修行が足りていないらしい。その証拠に、特派の面々は驚いた様子など
一切見せなかった。

「ロイドさん、今日は来られないんじゃなかったんですか」

モニターから視線を上げたセシルが穏やかに問う。その瞳に驚きは宿っていないが、不信感はこれでもかと
いうほど滲んでいた。
そもそも、スザクがロイドの言葉に不意を衝かれたのは、本日は主任不在だという彼女の言葉を信じていた
からでもある。
彼女の様子を気にも留めず、ロイドは薄く笑った。この表情は彼との付き合いが浅いスザクにも理解できた
。不愉快なのだ。

「う~ん、それがねぇ。
副総督がさぁ、河口湖で活躍したKFを視察したいってさ。その案内のために呼ばれたみたいなんだよねぇ」

彼の口調はいつもと変わらず飄々としているが、肩を落としたその姿は面倒だと雄弁に語っていた。
それも当然といえるかもしれない。彼は日頃から聞く人が聞けばただでは済まないような皇族軽視の発言を
零していた。実験こそ…否、彼の愛するKFこそ全ての価値観を有する以上、視察など邪魔でしかあるまい。
何処か茫然と考えていたスザクは、戸惑いを含んだ視線をセシルに向けた。

「あの、それでは僕はこの場にいない方が…」

意図せず言葉は濁ってしまったが、スザクにとってそのことは確信に近い。
ブリタニア人は一部のとても優しい人たちを除いて、ナンバーズを差別していた。差別という言葉の範疇に
収まるうちはマシな方で、時に明らかに軽侮し、または汚物を見るような視線を寄越す相手もいる。
それ自体はスザクにとって問題ではない。
敢えて言うなら、他のイレブン以上に蔑まれることを受け入れてすらいた。
しかし視察ということであれば、問題は特派全体のことになる。副総督がどのような人柄かは知らないが、
スザクに感じる嫌悪感を特派全てに向けられることは避けたかった。
指示さえあれば直ぐにこの場を辞する用意が出来ているスザクに対し、セシルは柔らかく微笑む。

「あら、ランスロットのデヴァイサーはスザク君よ。
認めていただいたんだから、胸を張らなきゃ」

朗らかな彼女の声に、ロイドは調子の外れた笑い声を出した。
彼を視界に納めたスザクは、短く息を呑む。今回に限ったことではないが、特派の主任は大仰なまでの喜色
を顕わにする癖に目が笑っていないことが多かった。
別に他人の不透明な顔色に恐れを抱くほど幼い子供ではないが、それにしてもロイドのそういった表情は冷
たすぎる。
声にだけ笑みを含んだ男は、歌うように言った。

「現実はそう甘くないんじゃない?」

「ロイドさん!」

咎めるような副官の声に、ロイドは一瞬肩を竦めた。彼女の声色によってはそのまま頭を保護する作業に入
るため、今回は然程怒っていないと判断したらしい。

「だけど、今回はそういうことになるのかな?
残念でしたぁ、スザク君!きみ、昇進だよ。枢木准尉だってさ!」

先ほどとは打って変わって、ロイドの瞳には喜悦の色があった。とはいえ、額面通りスザクの昇進を祝って
のことではない。彼が自身を観察していることを感じたスザクは意図せず唇を引き結んだ。
視界の端ではセシルが我がことの様に喜んでくれていて、それを何処か申し訳なく思う。

「よかったわね、スザク君。お祝いしなくちゃね」

「ま、ブリタニア軍としてもそうせざるを得なかったのかもね。
はっきり言ってホテルジャックの件でまともに動けたのはランスロットとあのゼロだけでしょ。
テロリストの功績にしないためにも、こっちで釣り合い取らなきゃ」

身も蓋もない発言に再度副官の鋭い視線が飛ぶ。ロイドはそれを目を逸らすことで回避した。
一頻り彼を睨んで、彼が全く意に介していないことを確かめたセシルは小さく息を吐く。

「で、副総督は何時いらっしゃるんですか、ロイドさん」

「あれぇ言わなかったっけ、今扉の外で待ってるから御出迎えに行っ」

言い終わらぬうちに、今度こそロイドは淑やかな副官の拳で地に沈んだ。












「…これが、ランスロット…ですか」

散々待たせた副総督は全く気分を害していなかった。
案内されるままに純白のKFを眺めては目を輝かせている。但し、護衛及び研究者然とした付き添いの男たち
は明らかに表情を歪ませていたが。
慣れない人間との対話に向かないロイドは別室に押し込め、現在はセシルが説明に当たっていた。とは言え
、突然すぎる来訪のため配布できる資料もなく、ただ彼女の解説をだけが続く。
それをスザクも見るともなしに眺めていたのだが。

(何か…さっきから、こう)

視線を感じる。デヴァイサーが名誉ブリタニア人だと説明した時の男たちの不快そうな表情と、それから時
折向けられる嫌悪の念は理解できた。
しかし問題は副総督の方で、スザクが紹介された時もそれから後も、男たち以上に頻繁にスザクに視線を投
げてくる。そこには、気の所為でなければ期待の様なものが込められていた。
名誉ブリタニア人が珍しいのかと思いもしたが、彼女からは好奇心の様なものは感じられない。

「お話はよくわかりました。素晴らしい研究です」

スザクの疑念を払拭するように、副総督の柔らかい声が周囲に響く。
何をするでもなく緊張していた特派の面々は、気付かれない様に小さく息を吐いた。
今回、ユーフェミアは研究者を随行させてはいるが、本格的な視察を望むのであれは彼我共に準備が足りて
いない。お人形の副総督の暇潰しに付き合わされているように感じていた彼らにとって、先の言葉は終了の
合図に他ならなかった。
その為、続く言葉にはその場の全ての人間が耳を疑う。

「参考までに、別室で、詳しく、デヴァイサーの枢木准尉のお話を伺いたいのですが」

強調するように区切って言葉を放つ彼女に、真っ先に反対したのは護衛の男だった。
彼は反応を返すことも出来ないスザクを厳しく一瞥すると、ユーフェミアに小さく声をかける。

「副総督、それは…」

「あら、いけませんか?」

言いながら微笑んだ彼女の瞳は実に無邪気だった。
だからこそ直接的な物言いを躊躇った男は、先ほど以上に小さくこもった声で反対意見を囁く。

「その、彼は名誉ブリタニア人なので」

「ええ、存じています。それが何か?」

「…機体性能を研究することはそれなりに意義もありますが、技術者ではない副総督が彼の話を聞くことは
、然程益のないことかと推察します」

「まあ、貴方はそう思うのですね。では、わたくしだけでお話を伺います。
ね、枢木准尉!よろしいでしょ?」

護衛と言葉を交わしていたユーフェミアは、最後の問いだけをスザクに直接投げかける。
指名されたスザクは、夢なら今すぐ覚めてくれと心の底から願った。しかし、今すぐ断われと念じるかのよ
うな男たちの視線がこれが現実でしかないのだと教えている。
勿論断ろうと思った。しかし彼には、貴人に対する言葉遣いの知識が不足しすぎている。
言葉を選ぼうと口を開閉させていると、無邪気な笑顔を些かも損なわず、副総督は短く命じた。

「別室でわたくしにお話しなさい、枢木准尉」

スザクは言葉を選ぶ苦労からは解放された。
返答は決まり切っているのだから。

「Yes, Your Highness」

言った瞬間、高貴な立場の少女は花の様に微笑む。
睨む男の目は痛いが、そう答える以外に選択肢があったというならそっと教えて欲しかった。

「では、わたくしは彼の話を伺います。
貴方達はランスロットのことを学んでください。報告書も出していただきますから、念入りに、ゆっくり!
お願いしますね」

反論する暇も有らばこそ、矢継ぎ早に言った彼女を止められる者はいない。
更に言うなら、彼女の随行員も表情に呆れを色濃く浮かべており、これが「名誉ブリタニア人」という玩具
で遊ぶための茶番であったかと言わんばかりの雰囲気だった。
唯一気立ての優しいセシルだけがスザクを案じているらしいが、ロイドに説明を担当させることが出来ない
以上、彼女にも役割がある。
結果、気遣わしげな視線を向けられたスザクは弱弱しく微笑むしかなかった。








副総督の言う「別室」は当然用意されてなどいなかったため、取り敢えず手近な会議室が対談の場所として
選ばれた。放っておけばスザクの手を引かんばかりに急いていた彼女は、扉が閉ざされた瞬間、目に見えて
肩の力を抜く。
ゆっくりとスザクに視線を向けた表情からは先ほどの無邪気さは消え失せ、真摯な意志だけが残っていた。

「枢木准尉、突然巻き込んでしまったことをお詫びします」

「いえ、そのような」

ユーフェミアの変貌に驚きを隠せないスザクは、不明瞭な返事を零す。
本来であれば叱責を受けるべき態度だったが、副総督はそうしなかった。ひたすらに、一途な眼差しを投げ
かけ続ける。
それは不快ではないが、何処か不穏な雰囲気を孕んでいた。
探るような、見透かすような…否、スザクの心の底までも見抜いてしまいそうな強すぎる透明な視線。
緊張のあまり唾を呑む、その音が意図せず大きく響いた。

「あ、あの副総督、自分にお話があるとのことですが」

耐えきれずに発した声に、ユーフェミアは我に返ったように瞬きし、まろやかな頬を仄かに染める。
目を逸らして両手を頬に添え恥じらう姿は、彼女の地位とは釣り合わないほどに愛らしかった。

「す、すみませんわたくしったら、不躾ですね」

「いえ、そのようなことは」

彼女の言葉に、先ほどと変わらぬ微妙な声を返す。
今度も特に気に留めなかったらしい副総督は長く息を吐くと、再度スザクに視線を定めた。

「ご迷惑は承知の上です。枢木准尉、わたくしにわたくしの知らないエリア11のことを教えてください。
ここで生まれ育った貴方達が何を思っているのか、何を望んでいるのか…何が、貴方達の幸せなのかを」

「え」

勢い込んだ彼女の言葉は、正直スザクの理解の範疇を超えている。
実のところ、スザクも他の面々と同じように、KFに興味を持った彼女が満足するような武勇伝の一つでも語
ってやらなければならないかと思っていた。勿論、そうなった際には活躍らしい活躍は一切していないこと
を包み隠さず話せば良いと考えて。
しかし彼女は、スザク個人に対してエリア11を、敢えて言うなら名誉ブリタニア人を代表して意見しろと求
めた。当然、自身にそのような能力も、権利もない。

「副総督、お言葉ですがご質問があまりにも抽象的すぎます。
それに、自分には多くの人々の意見を代弁することは…出来ません」

言葉遣いに最低限配慮しながら絞り出した答えは、当然ながら副総督の意に沿うものではない。
返答に対して暫し沈んだ表情を見せた彼女は、しかしめげずに頷いた。

「そう、ですね。
そうです。貴方の仰る通り、エリア11には多くの人が住んでいらっしゃるのですもの。やはりまずは現実の
彼らを知る必要がありますよね」

スザクの渾身の返事はややずれた角度で受け止められた。
個人の回答を一般的なものとして解釈するべきではないという意味では正しいが、全体に宿った否定の意味
合いは無視されている。
しかしそれでも彼女が納得してくれるのであれば、と気を抜きかけたスザクは次の瞬間にはその期待を裏切
られた。

「分かりました。では、これからトウキョウ租界を案内していただけませんか?」















「良いですね、副総督。絶対に、何があっても、ここを動かないでくださいね」

「はい、分かりました。子供じゃないんですから大丈夫です。
それにスザク、わたくしのことはユフィと呼んで欲しいとお願いしましたよね?」

「いえ、ですが」

「ね?」

「…はい」

苦々しく頷いたスザクは、現在東京租界の商店街の一角にいた。更に言うなら廉価が売りの洋服屋の横でも
ある。通りから僅かに人目を避けた、建物と建物の間に副総督を立たせているのが自分だと思うと眩暈を感
じた。
あれから、当然スザクは大いに彼女の言葉に反対した。驚きに任せて正気かと尋ねさえしたかもしれない。
しかし、何を言っても副総督の意志を変えることは出来なかった。終いには自分一人で行くから戻るまでこ
こを動くな、誰とも話すなこれは命令だとまで言われては、スザクに選択肢はない。
一人で彼女を歩かせることを考えれば、例えどのような懲罰を受けようと自分が護衛についた方がマシと言
って良かった。
それに、もしも彼女がこの一見愚行とも見える行動から多くの物を学ぶのだとしたら、その為に生命を賭す
ことが出来るのはスザクにとって望外なことでもある。結局、新米准尉は皇女の望むとおり大学を抜け出し
た。
そして、それから彼の本当の苦難が始まった。
副総督曰く、身分を隠すには変装が最も適している。そして、それは駅の化粧室で服を着替えることで達成
するのだ、と。
いかにも子供だましのお粗末な計画は、学生時代友人に聞いた話を参考にしているらしい。
彼女が有言実行の人であることを痛いほどに理解しているスザクは、人目を避けて衣類を商う店へ急いだ。
勿論代金はスザク持ちになる。彼女は庶民の店で使えるような通貨を持っていなかった。

(副総督って、多分僕とそう変わらない年齢だよな…。
手持ちで買える服っていったらここの特売品くらいだけど、良いのかな。
好みとか多分あると思うけど…どうしよう、全然分からない)

つい先日まで名誉ブリタニア人を道具のように扱う、薄暗く花のない小隊に所属していたため、スザクは流
行には疎い。異性の洋服となれば右も左も分からなかった。
取り敢えず彼女の髪の色に似合うような、温かな色の服を選ぶ。
勘定を済ませて店を出ると、指定した場所から言葉通り一歩も動いた様子のない皇女殿下は、じっと通りを
眺めていた。
一幅の絵のように美しいその姿に声を失っていると、気配に気付いたらしい彼女がスザクに視線を向けて微
笑む。何処か切なさを含んだ笑顔だった。

「…何から何まで、ありがとうございます」

「何をご覧になっていらっしゃったんですか」

これから着替えるために付近の駅に向かわねばならない。しかし、スザクは彼女の表情の意味を知りたかっ
た。問われた少女は、一瞬言葉を探したようだった。

「通りを、そこを行く人々を見ていました。
そうすると、よく分かるんです。誰がブリタニア人で、誰が名誉ブリタニア人なのか。
この国に生まれた方々は、どなたも俯いていますから」

彼女の言葉はある一面では正しくない。そもそもイレブンとブリタニア人では人種が異なるのだから、何処
を向いて歩いていようと区別がつかないものではなかった。また、彼女の表現も正しいとは言えない。気落
ちしたブリタニア人も、穏やかに笑む名誉ブリタニア人も数は少なくともそこにいた。
しかし、ユーフェミアの言葉が額面通りの意味ではないことは明らかで、尋ねた筈のスザクが返す言葉を失
う。それほどに切々とした声だった。














同時刻。
平穏なアッシュフォード学園にて、恋する少女シャーリーもまた自らの脳内から言葉を探す作業に追われて
いた。
彼女の震える手の中には数日後のコンサートのチケットが握られている。
興味のない人にとっては長方形の紙切れにすぎないそれは、彼女にとっては重い意味を持っていた。音楽を
愛するあまり、というのではない。

(どうしよう、誘っちゃおうかな。チケットが手に入ったから…って、不自然じゃないよね?
チャンスだもん、誘わなきゃ)

同じことを何度も念じながら、それでもいつもは気安い筈の生徒会室の扉を開くことが出来ない。
いつもと同じように声をかけて、何でもないことの様に誘えばいいと思うのに。先程から扉の前に立とうと
してはは、断られるイメージを喚起して慌てて引き返すことを繰り返していた。
断られても構わない。それなら友人と行けばいいし、欲しがる人がいれば譲ることだってできる。
大したことじゃないと思えば思うほど、少女の心臓は忙しなく跳びはねた。

「こんなんじゃダメ!よし、」

自らに活を入れ、今度こそ生徒会室に入ろうとしたその時、何の前触れもなく扉が開いた。
驚く暇すらなく瞬きして見つめたそこに自らの想い人が立っていることを確認して、漸く彼女は狼狽する。

「え、ええ」

「なかなか入ってこないが、どうかしたのか?」

どうやら彼は室内にいながら自身の気配に気付いていてくれたらしい。それに思い至った瞬間、シャーリー
は腹を決めた。生徒会室の中には、最近ずっとルルーシュの傍を離れないカレンもいるかもしれない。そう
思いはしたが、彼女に聞かれても構わなかった。

「ルル!」

「は、はい」

勢いよく名を呼ぶと、相手は明らかに勢いに呑まれた。知ったことか、言わなければ絶対に後悔する。
少女らしく柔らかな曲線を描く頬を染めながら、彼女は握りしめすぎて僅かに皺の寄ったチケットを彼に押
しつけた。

「コンサートなの!今度の週末なんだけど、その、おと、お父さんがくれたの。
わたし、ルルと行きたい!」

言いきった。途中舌を噛みかけたが、伝えたいことは言った。
期待を眼差しに乗せて、シャーリーはルルーシュを見つめる。押しあてられたチケットを手にとった彼は、
何故かは知らないが小さく目を見開いたようだった。
演目に興味があったのなら嬉しい。いや、例え何でも良いから彼の興味を引いてくれと願った。

「…お父さんというと、確か、地質学者の…」

彼の言葉はコンサートの是非についてではない。しかし、想い人が自身の家族のことを覚えていてくれたこ
とが嬉しくて、シャーリーの表情は輝いた。

「そうなの!いつも出張ばかりで、今度は帰って来るって言ってたのに、突然学会が開かれることになった
、って。約束を反故にした代わりなんだと思うけど、よくそういうの送って来るの」

「へぇ、学会…。何処でやるんだ?」

「えっと、詳しくは覚えてないけど…ヒダとかって、言ってたかな」

思わぬところに質問されて、暫し戸惑う。
折角聞いてくれるのならちゃんと覚えておけばよかったと思うが、それも今更だった。意外さも手伝って小
さく首を傾げると、何故か満足げに微笑んだ副会長と目があう。
それは冴えたようでいて何処か温かい、正にシャーリーが想いを寄せたルルーシュそのものの様な笑顔だっ
た。

「ありがとう。コンサート、是非行かせて貰う」

「、うん!」

彼の返事が嬉しすぎて、少女は一気に舞いあがった。断られた時のことを考えずにはいられず心に残ってい
た不安が一気に歓喜に代わり、体中に鳥肌が立ちそうになる。叫びだしたくなる気持ちを抑えたくても、ル
ルーシュの傍にいてはどうしようもなかった。
飛び上がりそうになる、じっとしていられないほどの喜びが胸の奥から溢れだして止まらない。

「じゃ、約束ね!楽しみにしてるから!」

言うと、挨拶もそこそこにその場を辞した。恐らく、これ以上その場に留まっていたら心臓が加速して逆上
せてしまう。
長い髪をなびかせて駆け出した彼女の耳に、微かに押し殺したようなルルーシュの声が届いた。

「今度こそ、必ず」

それは誰かに聞かせるための言葉ではなかった。
だから、恋する少女は頭の隅で思うにとどめる。きっと彼は以前、何かのコンサートに行きそびれたのだ。
もしそうなら、その時の彼には…そしていたかもしれない彼の同行者には悪いが、感謝したいとすら思える
。そのことがあったから今回の誘いに乗って貰えたのかもしれないのだから。
そして、勿論自らの父にも感謝せずにいられなかった。

(ありがとう、お父さん)

シャーリーは、これを絶好の機会と思っていた。週末こそ、ずっと胸の奥で温め続けた気持ちをルルーシュ
に告げる。
真直ぐな瞳で彼が好きだと言ったカレンの様に、彼に思いを知って貰いたかった。



















日が傾いていた。
自分たちが町に繰り出してからどれだけの時間が経っているか分からない、とは軍人であるスザクは思わな
い。しかし、正確に計っていた時間が実際の体感時間に比べて長いのか短いのかはよく分からなかった。
随分長い間色々なものを見て歩いたようにも思うし、あっという間のことだったとも言える。
一歩先を歩くユーフェミアもそれは同じようで、彼女は憂うような期待に満ちたような、何とも表現しがた
い瞳を微かに揺らしていた。
このままもう少し歩けば、大学の校舎が見えてくる。そこに辿り着くことが長い一日が終わる合図だった。
言葉を躊躇うように震えたユーフェミアの淡い色の唇が、軽やかな声を発する。

「…スザク、今日は本当にありがとうございました。
わたくしは、今日のことを一生忘れられないのだと思います。
いえ、絶対に忘れません」

「ユフィ、」

何を言って良いのか分からずかけた声に、少女は柔らかな微笑みを返す。
不思議な人だと思った。
彼女が特派に足を踏み入れた時は、ただの貴人でしかないと思っていた。
次に、突拍子もないことを思いついてばかりいるお姫様だと。
しかし、租界を見て回る間も、ゲットーに行きたいと言い出した時も、彼女はそれまでとは全く違う雰囲気
を纏っていた。それは、決意と言い換えても良いかもしれない。
神妙に世界を見つめる彼女は、それまでにスザクが出会った如何なる権力者よりも真摯だった。
そして、人が住める場所ではなくなってしまったシンジュクで彼女が残された血痕を指でなぞった時、スザ
クは初めて心の底から彼女に敬意を抱いた。
乾いた血は彼女の手を汚すことはない。しかし、その瞬間確かにユーフェミアの心が血に塗れたことがスザ
クには痛いほど分かった。
鮮烈なまでに色付いた彼女の心は、ゲットーを後にして帰途についても変わらない。
その色を抱いて租界の景色を眺めるユーフェミアは、それまでと違う色の瞳をしているようにすら見えた。

「わたくしは何も知らないのだと、ある人が言っていました。
貴方がそれを教えてくれる、と。本当でした」

「え」

歩みを止めたユーフェミアが振り向きざまに言った言葉が、スザクの呼吸を止めた。
彼女の無知を責める人がいることは意外だが不思議ではない。しかし、その人物がスザクのことを知ってい
て、彼女にその名を伝えたとなると話は違った。
スザク個人を知っている人となると、現在のブリタニアでは特派の面々しかいない。しかしセシルは皇族に
諫言するような人ではないし、ロイドは他者にそれほどの興味を示さないだろう。
困惑するスザクの耳に、子供の声が届いた。何処か遠い世界の者の様に掠れて聞こえたそれは、実際には彼
の真横を通って過ぎた。否、過ぎようとして足下の石を踏んでバランスを崩す。
危ないと思った時には既に遅く、少年はユーフェミアに小さくぶつかっていた。離れて歩いていたらしい母
親が息を呑む。

「ご、ごめんなさい」

「いいえ、大丈夫ですか」

微笑んで子供に声をかけたユーフェミアは、彼の姿を見て目を細めた。
彼は、名誉ブリタニア人だった。風呂敷の様な布をマントに見立てて「誰か」の真似をしている。

「…ゼロ、ですか」

「うん」

見守っていた母親の顔色が青くなった。自分の子供と話している少女は着ているものこそ粗末だが、何処か
気品がある。たとえそうでなくてもブリタニア人だ。
そんな相手にゼロの姿を模しているところを見られては、唯で済まない可能性も高い。
気を揉む彼女を余所に、少年と視線を合わせて微笑むユーフェミアは何処までも優しく語りかけた。

「貴方はゼロが好きですか」

「うん、だってカッコイイもん!セイギのみかたなんだよ」

少年が答えるのと彼の母親が限界を迎えるのはほぼ同時だった。
すみません、と叫ぶように言って子供の頭を無理やり下げさせると、返事も何も待たずに彼の手を引いて走
り去る。いっそ滑稽といっても良い振る舞いだが、そこにそれを笑える者はいなかった。
スザクにしてみれば、他人事ではない。このまま皇女を連れて帰って、彼を待っているのは恐らく過酷な懲
罰だった。無事だったから良いというものではない。
しかし、それで良いと思えた。
罰を恐れないからという理由からだけではなく、ユーフェミアという副総督の役に立てたことを嬉しいと感
じる。
スザクの心中を知らない彼女は、寂しく微笑んだ。

「スザク、ゼロは正義の味方なのですね」

「いや、彼はテロリストだ。体制に対して武力で訴えるのは犯罪だよ。
変えたければ正しい方法じゃないと意味なんてないのに」

長い一日の間に砕けた口調のまま鋭く断じる軍人に、皇女は左右に頭を振って応える。

「いいえ、それでも彼はあの少年の心の支えになりました。
彼の正義を否定することはできません。そうではなく、わたくしは彼と同じものを見てみたいと思います。
そうすれば、きっと誰もが幸せに暮らせる世界が作れるのだと、そう信じたいのです」

だから、という彼女の唇は珊瑚の様に麗しかった。
唇だけではない。流れるような優しい色の頭髪も、透けるように白い肌も、宝石よりも美しい瞳も。
その全てが言葉に出来ないほどに、堪らなく清らかだった。
その零れおちる言葉すら。

「だからスザク、これからも時々お話を聞かせていただいてもよろしいですか」

スザクは意図して応えなかった。
彼女を拒否してのことではない。ただ、自分にその価値はないのだと言う事実を静かに噛みしめていた。




















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