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薄暗い室内を、PCの明かりが照らしている。
我が物顔でベッドに横たわる魔女が、至極楽しそうに共犯者を見上げた。

「全ては予定通り、か?」

歌うような声は「以前」とそう変わらない。しかし、その根底にある感情があまりにも違うため、時に彼女自身戸惑うことがあった。
ノートパソコンを前に、実に悪人じみた笑みを浮かべる男がこんなにも愛しいなんて!
馬鹿げているとしか思えない狂おしい愛情に、思わず自らも笑みを浮かべた。その表情が誰にどう見えていようと、抱く感情は一つ。慈愛、だ。
C.C.の歓喜に気付かないままの魔王は、キーボードを操る手を止めないまま言葉を返す。

「そう…計画通りにことは運んでいる。ここまでは、だが。
黒の騎士団設立に伴い、地味にではあるが協力者は増えている…参加希望者も。
彼らを鍛え上げるためにも、ブリタニアに対する立場を明らかにするためにも、次の一手が必要な時期だ」

言って、不意に真剣な表情になったルルーシュに、C.C.は彼が何を意図しているのかを悟った。
そもそも、ルルーシュは力を付け始めたとはいえ大いなる敵の前には未だ無力に近い。
彼がアドバンテージを誇る情報とて、嘗ての運命のままにことを運んでは意味がないのに大きすぎるズレは致命傷になる。
綱渡りなのは変わらない事実だった。
その状況のルルーシュが打つ次の手。戸惑いを伴わずにいられないもの。

(ナリタ、か)

室内は暗い。ルルーシュから顔を背け、壁を眺めれば彼からはC.C.の表情は見えなくなる。
だから彼女は大いに心痛と戦うことが出来た。

(言うべきか…いや、)

伝えてどうする。それがルルーシュの選んだ道なら、C.C.に出来るのは精々手助けまでだ。
「もしも、万が一」ルルーシュが現実に耐えられなくなってしまった場合は、彼の意志に反してでもルルーシュを戦場から遠ざける。

(私はひょっとすると、それを望んでいるのかもしれないな)

秘密は女を美しくする。
それが真実であるなら、今この瞬間の彼女の美貌はその心中の影が一助となっていた。















夢中天 24










「ほんとに、怖かったんだから!」

弾けるような少女の声は情感たっぷりだったが、同時に過去の事象について語る際に特有の緊迫感を削ぎ落とした雰囲気を纏っていた。
しかしそれも当然であり、むしろそうでなければ彼女は健全な生活を営むことは出来なかったに違いない。
テロに巻き込まれた記憶など鮮烈である必要はないのだから。
実際に事件が起こった時には真剣に心配していたであろうリヴァルも、危険は去ったとあって興味津津の体を隠そうともしなかった。

「で、どうだったんだよ」

「どうって?」

抽象的な質問に、それまで勢い込んで言葉を紡いでいたシャーリーは小首を傾げる。
感想と言うなら前述の通り「怖かった」がその全てだった。ニーナ共々あわやの危機に陥った時に皇女様に助けていただいたことなど、今にしてみればお伽噺のような展開だったとも思うが。
あの瞬間には安心もしたかもしれないが、とにかく恐怖と戦慄の連続だったため既に皇女様の顔すらあまり印象にない。その点、直に声をかけていただいたニーナとは大違いで、あれからニーナはユーフェミア様の熱心なファンになってしまっている。
リヴァルの真意を掴みかねて質問を返すシャーリーに、彼は勢い込んで言葉を紡いだ。

「ほら、ゼロだよ、ゼロ!なんか凄い演説ぶってたけどさ、助けて貰ったんだろ!?」

それは悪意のない好奇心に満ちた声だった。しかし、先ほどから言葉もなくその場に佇んでいたロロの顔色を無くさせるには十分な威力を孕んでいる。
ゼロ、その単語を耳にした瞬間、ロロは周囲からも分かるほど、はっきりとその身を固くした。

(ゼロ、ブリタニアの…僕の敵。兄さん)

あの日、携帯用の通信機を「過失で」壊してしまったロロは、直ぐにナナリーに暇を告げた。
報告に対して何らかの指示が与えられている可能性を考えたため、自室に戻ってその確認をするために。
涙と一緒に思考能力を全て吐き出し、かわりに胸に重苦しいものを詰め込んでしまったロロには、明確な行動指針が必要だった。誰かに命令されることで「自分」を保たねばならない。
しかし自室でロロを待っていたのは、任務続行を命ずる無味乾燥な一文だけだった。

(ゼロを始末するには確証が足りないということか。
だけど、「今まで」は疑わしきは始末してきた。確証なんてなくても始末してしまえば面倒はないんだ。
今の兄さんはただの学生だし、片付けるなら早い方がいい。
それとも、まだゼロには利用価値があるのか…)

自らの任務に思いを馳せたロロは、そこが穏やかな学園であることも忘れて胸を痛める。
命令があれば従う、それがたとえどのようなものでも。
言い聞かせるように何度も心中で繰り返したロロは、自らが常と異なる精神状態であることに気付いていなかった。対象について思案に耽るということが既に異常なのだということにも。
ただ、今までと同じように生活する必要があるという意識に駆られて登校する。
生徒会に参加し、そして。

「あ、ルル!!」

可愛らしく弾んだシャーリーの声に、ロロは肩を跳ねさせた。
彼女の好意は実に分かりやすく、ルルーシュの名前をまるで宝石のように大切に発音する。

「随分盛り上がっているな」

ルルーシュの声は皮肉な響きだが、根底には泣きたくなるほど優しい色が隠されていた。
昨日までも知っていたそれを見せつけられたように感じて、ロロは短く息を呑む。
兄の視線が生徒会室をゆっくりと…異変を探すかのように、危険を見つけ出すかのように流れて、自身の上で止まった。

(呼ばないで)

咄嗟にそう思ったことが我ながら信じられない。
現状は任務の遂行に適しているのだから、それを苦く思う必要はない筈だった。
意味などない、自分がここにいることに。彼の遠縁だと嘘を吐くことにも。更には、唯の記号でしかなかった自分の名前にも、如何なる感情も不要だと分かっていた。

「ロロ、どうかしたか?顔色が悪いようだが」

「だ、大丈夫だよ兄さん。でも僕、今日は…その、失礼します」

言うが早いか、荷物を掴んで生徒会室を後にする。駆けださない様にするのが精いっぱいで、不自然さを隠すことなど出来なかった。
ロロがルルーシュを「ゼロ」として認識するのは容易い。兄ではない、敵として。
それなのに、ルルーシュの愛情がロロを追い詰める。
自分は部外者だと、愛されていないと思いこむには彼の全ては柔らかすぎた。







「あれ、ロロどうかしたのかな」

突然この場を辞した後輩を気遣うシャーリーのあどけない声を聞きながら、ルルーシュの傍に寄り添っていたカレンはロロが去った後の扉を見つめる。ゆっくりと閉まったそこには異変など見つけられないが、後輩の態度はそうではなかった。普通であれば何処かおかしい、の一言で済ませられる変化も、カレンには大きな意味を持って受け詰められた。
つい先日までの「兄」に対する思慕の念が複雑な混乱の膜に覆われている。
見逃してしまいそうな程微かにではあったが、そこには敵意すらあるように感じられた。
儚げなお嬢様の表情を保ったまま自らの主により身を寄せると、戦士としての鋭い声を発する。

「…何か勘付かれた?」

短い声は事態の確認の様相を保っていたが、真意は更に深い場所にあった。
対処を、その下命を求める声。貴方に危険が迫っているなら容赦しないと言いきるような、明らか過ぎる決意がそこには宿っている。
ロロの現状について粗方理解しているルルーシュにとって彼女の声は脅威だった。カレンの気持ちは実に嬉しいが、守るべき二人が敵対するのは上手くない。

「必要ない」

文脈だけとれば会話の体をなしていない返事だったが、カレンには伝わったらしく、不満げな首肯が返される。ロロの変化がどういった心情によるものか、そう思う間もなくルルーシュの耳に届いたのは我らが生徒会長の上機嫌な声だった。

「いや〜ねぇ、御二人さん!ちょっと密着しすぎじゃない?」

「「は?」」

弾かれるように顔を上げたカレンとルルーシュは、楽しいと顔いっぱいに張り付けた生徒会長の表情をみて言葉を失った。同じく、彼女に好意を抱いている少年もにやにやと童話に語られる猫のような笑みを隠しもしない。
唯一先ほどまでロロを気遣っていたシャーリーだけがルルーシュ達と同じように言葉を失っていた。但し、顔を真っ赤に染めて。
言われていることに気付いた副会長は、戦場での冷静さが嘘のように動揺して言葉を探した。

「いや、これは違」

「わない!!」

しかし、折角紡いだ苦し紛れも、シャーリーに負けないほど頬を染めてお嬢様然とした芝居をかなぐり捨てたカレンに被せるように否定される。
心底ぎょっとして傍らの親衛隊長を見遣るルルーシュには、彼女の真意が全く分からなかった。
言いきった時の苛烈なまでの表情を改めて、いつもの「カレンさん」に戻った少女は、たおやかに微笑みながら言葉を続ける。

「違わないの。ルルーシュ君は、私にとってとても大切な人なの」

噛んで含めるような、一字一字をはっきりと発音するカレンに、ルルーシュは理解の範疇を超えて眩暈を覚えずには居られなかった。
そういえば、諸事に追われて彼女の態度を咎めるのを忘れていた、ような。
思わず過去に意識を飛ばして現実逃避する彼を余所に、少女たちは勢いを増していた。

「た、大切って!!」

「あらぁ、言いきっちゃったわね〜」

「よ、憎いよ色男!」

「大切…」

カレンの爆弾発言には、それまで黙ってPCに向かい合っていたニーナも驚きを隠せないらしく、態々椅子の向きを変えてまで呟きを落とす。
ルルーシュは剥離しかけた思考で、ここにロロがいないのが幸いだったのかどうかを考えていた。
正しくは、他になす術を知らないとも言える。

「まさか、付き合ってるの!?」

恋に生きる少女、シャーリーの声が複雑に尖って震えた。
今まで失恋を題材にした恋愛小説はたくさん読んできた。片思いの切なさも身をもって知っている、しかし。
絶望と呼んでも良い黒い感情に呑みこまれそうになった彼女の耳に届いたのは、しっかりと芯が通った病弱な級友の声だった。

「付き合っては…ないわね。
でも、貴方には分かるでしょ?好きってこと」

はっきりと言い切ったカレンの声は、常の儚げな雰囲気とはかけ離れている。
たおやかな美貌が評判の彼女の気丈な声は、しかし普段の麗しさとは違う意味で大変に美しかった。
混乱と悋気に呑まれかけていたシャーリーは、不意に何かを理解したような気持ちになる。

(好き)

カレンはルルーシュが好き。
そして、自分もその気持ちに決して負けない。好きだと、何度伝えても足りないほどの愛情なら。

(伝えたい)

意識の端にその思いが浮かんだ瞬間、カレンに感じたのは圧倒的なまでの羨望だった。
ルルーシュにこの想いを伝えたい。好きだと、それだけでは足りないくらいに。
愛していると伝えたい。
彼女はそれをルルーシュに伝えているのだ。交際という形の結果が伴うかどうかはともあれ、彼女の想いをルルーシュは知っている。
そのことが、焦がれるほどに羨ましかった。そして、伝えることが出来る彼女に尊敬の念を覚える。

「うん、わかるよ」

それまでの態度から一変、透き通った声で応えるシャーリーを周囲は不思議そうに見つめた。
しかし、それすら気にならないほどに彼女の心中では大きな異変が起こっていた。

(言いたい。今じゃないけど、ルルに)

この場で勢いに紛れて口にするのでは足りないから、ちゃんとタイミングを計って。
彼女がこれまでの人生で感じた最も強い恋情を、ルルーシュに知ってほしかった。


















結局、ルルーシュは本日の生徒会活動をさぼった。逃げ出したといっても良い。
例え後日リヴァルに敵前逃亡と誹りを受けても、その場に留まり続けることはルルーシュには出来なかった。
以前であれば、カレンの暴走を適度に捌きつつ、シャーリーの微笑ましい恋愛を揶揄することも出来たかもしれない。しかし、今となってはそれは不可能だった。
シャーリーの一途過ぎる愛情が誰に捧げられているのか、当然ながら忘れられることなど出来ないのだから。彼女の想いを盗み見たような居心地の悪さは筆舌尽くし難かった。
健気な熱のこもった視線などを向けられれば尚更。
現在のルルーシュにはクラブハウスまで送るというカレンの申し出を謹んで辞退することが限界だった。
それは図らずも先ほどこの場を後にした弟と同じような有様だった。
ともあれ、帰宅して直ぐリビングに向かう。本日の夕食はルルーシュが作る予定だったため、可能な範囲でだがナナリーにリクエストがないか確認するつもりだった。
そこでルルーシュは小さく首を傾げる。
ナナリーはいつものように愛らしく座していたが、その手には何もなかった。
彼女は目が不自由だが、それでも人生の楽しみ方を知っている。美しい音楽を聴いたり、点字で読書を楽しんだり、最近は折り紙に凝ってもいた。
しかし、彼女はそのどれも有しておらず、やや沈んだ表情を自らの膝に向けている。

「ナナリー?」

意識せずとも愛情が滲んだ穏やかな問いかけは、彼女の思案気な表情を溶かす。
声の方向に顔を向けた彼女は、既にいつもの微笑みを纏っていた。

「お兄様」

短く呼び合う。互いに一生で一番多く口にしたであろう単語は、何度使っても瑞々しさを失わなかった。
短いからこそシンプルな愛情が込められる。
それを嬉しく思いながらも、ルルーシュはナナリーの表情を曇らせる何かが気になってならなかった。

「何か、気になることでもあったのか」

言いながら、膝をついて彼女の手を取る。優しい少女の心痛を取り除いてやりたかった。
両手で兄の手を握り返しながら言葉を探す妹を、優しく見つめる。視覚に頼らずともそれを感じているらしいナナリーは、やや迷った後小さく声を発した。

「ロロさんのことなんです。遊びに来ていただいた時、お帰りの際に様子がおかしくて。
…とても、辛いことがあったような雰囲気だったんです。
お尋ねしても何も仰らなかったんですが、気になって」

愛らしい少女の言葉に、ルルーシュは思わず冷たいものを呑みこむ。
ロロが遊びに来ていた日、つまりゼロが大衆に認識された日。
咲世子からその日のことは大まかにではあるが聞いていた。ロロが帰宅した時間帯も。
その時は特に気にしなかったが、関連付けて考えるとすればその時間はゼロの演説が終わった刻限と一致する。

(考えすぎということもある…いや、違うな)

ロロがゼロの正体を知っているか否かは別として、考えて過ぎるということはないだろう。
これまで上手くいきすぎているのだから。

「そう、か。分かった。
ロロのことについては俺も気をつけてみるよ」

めまぐるしく働く脳裡とは別に、出来るだけ穏やかに笑いかけると、ルルーシュの天使は表情を綻ばせた。
そこには、言葉通り盲目の信頼がある。
ルルーシュに出来ないことはないという、一種非現実的な思慕。
場合によっては重責となるそれも、ルルーシュには喜びだった。彼女のその期待に応えるため生きてきたといっても過言ではない。
彼にとって妹はもう以前の様に只守らなくてはならない存在ではない。彼女が自ら考え、生きてゆけることを知っていた。
だからこそ、彼女が自身に何かを望む内は、その全てを叶えてやりたいとそう思っている。
そして同じように、まだ人に甘えることを知らない弟にも、彼の笑顔を喜ぶものがいるのだということを知って欲しかった。














「お帰り、ルルーシュ」

その言葉に出迎えられることにも慣れてきた。言葉を発した魔女は今まで会話していた妹とは好対照に、だらしなく寝具の上に寝そべっている。

「バレたな」

短く確信的な言葉は、指示語も含まないが何について言っているのかは明白だった。
ゆっくりと体を起こし、滑らかな膝を抱えて共犯者の反応を窺う魔女は、無表情の中に喜悦と心配を潜ませるという器用な真似をしている。
事態を楽しんではいるが、それだけではないといったところか。

「どうしてそう思う」

発した言葉は、額面通りの疑問の意味を持っていなかった。会話によって現状を整理しようとしているだけ。ただ、彼女にしか分からない確信があるのなら知りたくもあった。

「何故と言うことはないだろう。先程のナナリーとの会話で分からないほど私も鈍くはない。
問題は、お前が可愛い弟をどう処理するか、だ」

処理。わざと冷たい言い方をしているが、C.C.とて既にルルーシュがロロを切り捨てることが出来ないことを知っている。
しかし、兄がそうであるように、弟もイレギュラーには然程強くない。
ゼロの正体を知ったことで冷徹になれればまだしも、混乱したままの人間の行動の恐ろしさは、魔女も魔王もいやというほど理解していた。

「ロロか…。嚮団が出した指示を想定すると現状維持の筈だが、それにいつまで耐えられるか。
せめて誤魔化しのきく落とし所が必要だな」

重く呟くルルーシュに、思わずC.C.は首を傾げた。
言葉を交わしながら、同居人は事務的な所作で着替えを進める。それを凝視していても文句も言われなくなったのは、慣れたと考えて良いのか女として見られていないのか。
ともあれ、C.C.の質問は端的だった。

「お前、弟をどうするつもりだ」

彼がルルーシュにとって大切な人間になってしまったことは既に知っているが、最終的に彼は何を求めているのか。ロロをゼロの味方として引き込むのが目的なら、行動を開始するのは遅すぎると言っても良い。
問われたルルーシュは、ボタンを外す手を止めて小さく瞬きを返した。
その瞳が、今更何をと言っている。

「ロロには幸せになって貰う。
あいつは認めたがらなかったが、嘗て学園生活を楽しんでいたのは確かだった。
今のロロは自分には何もないと思っている。それを根底から覆し、ロロを愛する人間がいることを分からせたうえで戦場から遠ざける」

それはカレンに望んだことと似ていた。
今はそれと認めにくくても、確かに幸福な日常を与えたいという願い。
更に言うなら、それは以前のルルーシュが枢木スザクに感じていた愛情の形でもあったのかもしれない。
しかしそれらは、今更指折り数える必要もないほど明確に、全てルルーシュの希望に沿わない形になったのだが。
彼らは皆自分の信じるもののため、若しくは守りたいと願った者のために戦場に集った。

(ルルーシュ、お前は時に信じられないほど学習能力が欠如しているな)

彼は弟に平穏を与えるつもりだが、それはルルーシュが思うほど上手くはいかないだろう。
それは数百年を生きてきたものの先見でも、魔女の予知でも女の勘ですらなかった。
相変わらず愛する人に尽くすばかりで、愛情の受け取り方が下手な共犯者が可愛くもありもどかしくもある。
それを表面に押し出した微妙な沈黙をどう思ったのか、ルルーシュはC.C.を一睨みするとノートパソコンの電源を入れた。

「とにかく、ロロのことは適宜対応するが…取り急ぎ必要な処置を済ませてからだ」

言いながら、C.C.にはとてもではないが理解できない画面を呼び起こす。
一介の学生が操作するには相応しくないそこには、著名な学者の名前が列挙されていた。C.C.には知る由もないことだが、彼らはサクラダイト埋蔵量が世界最多と言われるエリア11の地質を研究することを生業としている。
その主だった面々に、ルルーシュは学会開催の連絡を投じていた。
無論主催者はそれらしい適当なところで誤魔化しているが、学会そのものはルルーシュの資金にものを言わせて実際に行う手筈も整える。
場所はナリタから遠ければそれで良かった。なにしろ、エリア11はブリタニアから見て未開発の山には事欠かない。
薄く笑ったルルーシュに、C.C.はひっそりと痛ましげな微笑みを向けた。

「ナリタの準備は順調なようだな」

「まだ七割といったところだ。それまでには済ませておかなければならないこともある」

言いながら、用は済んだとばかりに画面を閉ざした。
そのまま流れるように携帯を取り出し、滑らかな所作でロックを解除する。
それが他者との通信を開始する合図であることを知っている魔女は、目を細めて口を閉ざした。
ルルーシュの持つそれは外見こそ普通の携帯電話と何も変わらないが、PCと連結することで驚くほど緻密な迷彩を伴う通信を可能にしていた。例えば、コード0のような。
ルルーシュにとって情報とは自ら利用し状況を有利にするものだけではなく、誤った…若しくは不安定なそれを敵に与えることで動揺を誘うためのものでもある。
それを知っているからこそ、C.C.は彼が皇族に直接のコンタクトを取れる方法を多用することに疑問を抱いてはいなかった。
回線を開いて暫し、応答はない。
やがて、漏れ聞こえる音が通信越しの空気を感じさせるものになる。
繋がった、それを理解したルルーシュの発した声を聞いて、C.C.は我が耳を疑った。
何故なら、呼ばれた名は戦局を遠く眺めるだけの、力ない姫君のものだったのだから。

「お久しぶりです、ユーフェミア皇女殿下」

そういったルルーシュは、正に魔王の姿で笑みを浮かべていた。

















同時刻、政庁で通信機を前にユーフェミアもその身を固くしていた。
彼女の有する機械は携帯電話の様に小さく気軽なものではない。コード0を受信し、若しくは発信するためだけの無骨な機械。
副総督に就任した際、総督である姉にコード0の存在は聞かされていた。
機密中の機密であり、姉が誰よりも信頼する自らの騎士にさえ存在を明かしていない秘匿通信。副総督以上の皇族にしか存在を明かされていないそれ。
姉はあの時、この通信によって齎された情報は自らの権限で処理するようにとユーフェミアに言って聞かせた。何故なら、それはエリア副総督にではなく、その任につくユーフェミア個人に宛てられた通信なのだから。
それを聞いた時、彼女は自らがこの機械を使うことはないだろうと確信していた。
皇族同士の謀り事が多いことは知っている。しかし、自身はそれを望まないし、誰かに求められる力もない。だから、説明については殆ど聞き流していたと言っても過言ではなかった。
それが、受信を知らせる小さくも鋭い光を点す。
震える指先で回線を開いて、耳に届いたのは自らに対する呼びかけだった。
久しぶり、そう声は告げるが、ユーフェミアに該当する心当たりはない。震える胸を押さえ、出来るだけ落ち着いた声で言葉を返した。

「…どなたです」

相手も皇族であれば、自身より格上の可能性も高い。
慎重に絞り出した言葉に応えたのは、何処か柔らかな声音だった。

「これは失礼いたしました。
河口湖で御世話になったものです…そういえばお気付きいただけますか」

言われた瞬間、彼女が思い出したのはその特徴的な黒装束ではなく、自らの手を取った温もりだった。
思わずあの時彼に差しだした手を握り締める。

(…ゼロ)

秘匿通信の存在を知る者に、皇族以外は含まれない。
ゼロは自らの縁者であったかと確信しそうになった時、電波は彼が小さく笑みを零したことを伝えた。

「残念ですが、私は貴女が思っているような立場の者ではありません。
ただ、貴女にお伝えしたいことがある…その為、使えるものを使わせていただいているだけです」

只の道具を使ったに過ぎないというその声に、ユーフェミアは眩暈を覚えた。
姉がゼロを警戒していた理由の一端を垣間見た様にすら思う。
彼が河口湖のホテルで見せた余裕も相まってか、ゼロの涼しげな声は全てを統べるものの貫禄を伴って副総督の耳に届いた。

「貴方は…何故私に通信を?」

本来であれば、彼の意志を確認する前にその手段を問うべきだったかもしれない。しかし、ゼロがそれに正直に答えたところで、ユーフェミアにはおそらく理解できなかった。
それならば、何故と問いたい。
彼女が常に答えを欲している問いでもあった。
ゼロは何処か穏やかに、優雅に笑う。

「貴女が答えを欲していたからです。
エリア11の本当の姿を。何故、彼らがブリタニアの齎す平和を喜ばないかを」

それは、ユーフェミアにとって如何なる誘惑よりも甘く聞こえた。
愚かだからと友人は言った、しかし彼女はそれを信じてはいない。勿論、エリア11の住民たちもそれを認める筈はないのだ。
それが、ブリタニアに対して宣戦布告としか言いようのない演説をぶったゼロから聞ける。
彼女の望む相互理解に、これ以上の情報はなかった。
姉が言う自らの裁量の範囲に反するかもしれないと思わないでもなかったが、気付けばユーフェミアは小さく頷いていた。

「…はい。私には知りたいことがたくさんあります。
貴方は、その答えを持っているのですか」

「それ故ご連絡差し上げました。
皇女殿下、シンジュク事変での死亡者総数をご存知ですか」

突然投げかけられた言葉に、副総督は息を呑む。
クロヴィスの残した遺恨がそこにあることは知っていた。それを悼む声は政庁では聞こえなかったが、被害がなかったわけではない。
知っているからこそ、ユーフェミアは疎まれながらもその資料を探しては目を通していた。

「正確な数字ではありませんが…約二千人の方が命を落としたと聞いています」

言いながら、皇女はあまりの切なさに眉を寄せた。
約二千。約、と言って括られた彼らにも命があった。愛する人も。
それらがただの数字になってしまったことが遣る瀬ない。何百何十何人と、端数を数えれば気がすむわけではないけれど、失われた彼らが哀れだった。

「そう、約二千人。多いと思われますか?」

それは漠然とした問いだった。
数の多少は比較の問題になる。日常に死者二千人と言われれば多すぎるが、内乱であれば平均的な数字でもあった。
現に、エリア17では七千人の死者と数万の難民が出ている。
微かに答えに窮したユーフェミアは、しかし次の瞬間には確かに頷いていた。

「多いと思います。…とても、哀しいことだと」

言った瞬間、皇女の耳に届いたのは低い嘲笑だった。
それまでの真摯な遣り取りを無下にするようなそれに暫し呆然とし、やがて怒りを覚える。
お飾りの副総督と呼ばれ、表面だけ敬われているユーフェミアだが、自らの任地であるエリアに対する責任感は十分すぎるほどに持っていた。
その意識から出た言葉を笑われることで、副総督としての自らの有様も嘲られたように感じる。

「何がおかしいのです!」

思わず声が厳しくなった。
しかし、そもそも常ならざる方法で皇族に通信を仕掛けた豪胆な人物がその程度で怯む筈もない。
自身の怒気がゼロに何の影響も与えていないのは火を見るより明らかだった。

「ユーフェミア皇女殿下、それが貴女の限界です。
貴女は彼らを憐れんだ。いや、場合によっては申し訳なく思ったかもしれない。
しかし、全ては他人事に過ぎない。
貴女方がイレブンと呼ぶ人々は、二千人の被害と聞いて、まず恐怖する。ブリタニアが戦争が終わってなお無造作に自分たちを殺害することに対して。
そして次に、安堵するのです。自分たちがまだ生きていることに対して。
それが、唯の運でしかないと知っているから」

滔々と語ったゼロは、小さく言葉を切る。
冷水を浴びせられたような心地でそれを聞いていた皇女は、意図せず自らが呼吸を止めていることに気付いたが、息の仕方を思い出せずにいた。
彼女の様相を知ってか知らずか、ぽつりと、囁くようにゼロは言葉を紡ぐ。

「ユーフェミア、貴女は彼らに憐みを降り注いでいるにすぎない。
…彼らの気持ちは分からない」

言いきられて、副総督が感じたのは怒りよりも哀しさの方が大きかった。
分かりあいたいと思っているのに、それが出来ないと断言される。違うと言いたかったがその根拠は何処にもなかった。事実、自身には被害者の気持ちを知ることが出来ないのだから。

「…憐れんではいけませんか」

掠れたような声だった。
情けないと思わないでもないが耳を塞がずにいるのが精いっぱいで、自らの声音まで気にかける余裕がない。姉ならば気丈に言い返していただろうに、それが出来ないことが歯がゆかった。

「いいえ。むしろそれが貴女の美徳と言って良いでしょう。
但し、憐みだけでは足りない。緊迫感が、焦燥が、貴女には足りていない」

ゼロの言葉はユーフェミアに厳しいが、同意できる内容でもあった。
確かに個人としての彼女は無力感に焦れているが、副総督としてはそのようなもの何の意味も持たない。
権限ある立場につくものは、結果を出さなければ何もしていないと同然だった。
一人自室に座す皇女は、時の立つのも忘れて通信機を食い入るように見つめる。ゼロの言葉がそこで終わってしまわないと何故か確信していた。
期待に応えるように、電波に乗った声が低く空気を震わせる。

「例え話をしましょう。
二千人の死者、その意味がわかりますか」

「…ええ。掛け替えのない命がそれだけ失われた。…もう二度と戻らない、そういうことでしょう」

そして彼らを愛する人が、二度と消えない傷を負う。
嘗て初恋の人を異国で喪った自分の様に。あの泣き暮らす日々をたくさんの人が味わうということ。

「そう。しかし教科書通りの回答はここでは必要ない。
皇女殿下、親しくない順からで構いません。顔と名前が一致する知人を数えてごらんなさい。
一度会っただけの人物でも良い。今思い出せるだけの名前を。
…二千に達しますか」

言われて、心臓を鷲掴みにされたように感じた。
ゼロの言葉に従って心中で指を折るが、半数にも達しないうちに親しい人たちを思い浮かべなくてはならなくなる。政庁で毎日挨拶を交わす相手。学校の友人たち。家族、そして。

(お姉さま)

愛する姉の姿を思い浮かべた時ですら、二千という数字は遠かった。
続くゼロの言葉は想像できる。
聞きたくないそれを、しかし通信機の向こうのテロリストははっきりと音にした。

「想像できましたか。二千人がいなくなるということが。
貴女の愛称を口にする者が一人もいない世界に、貴女ただ一人が残される。それがその四桁の数字です」

耐えられない、瞬時にそう思った。ユーフェミアには、もしそうなったときに自分がどのような顔をしているか想像も出来なかった。
追い打ちをかけるようにゼロは言葉を紡ぐ。
それほどまでに辛い思いをしても、残された人は生きなければならないと。今日の食事の心配をしなければならないのだと。
それは、愛する人を失って毎日泣いているだけだった自分を責めているようにも聞こえた。泣くだけで良かった日。あの時自分は、次に自分が殺されることを心配してもいなかったし、明日の食事の不安など抱えてもいなかった。
衝撃に言葉を失うユーフェミアに、ゼロはずっと変化のない、冷めた口調で語りかける。

「では、たった一人しか死者がでなかった場合、貴女はそれを少ないと思えるでしょうか」

「いいえ」

問われた瞬間、答えを口にする。たった一人、二千に比べれば少ない数字だがそれが最も愛する人であった時、少ないなどと口が裂けても言えない。
ゼロは、また小さく笑った。

「そう、皇女殿下。被害者がたった一人の場合、死んだのは貴女です。
…貴女はもう何も思うことは出来ない」

言われた瞬間、ユーフェミアはゼロが自身に他人事に過ぎないと嗤った本当の意味を理解した。
どれ程身近に置き換えて考えても、なお自身の中で「死」は他人事として捉えられている。

(死んだのは、わたくし)

そう言われても、恐怖を感じることはなかった。現実感がないから。
毎日の様に足下に迫った死の気配に脅える人々の気持ちなど、今更ながらに想像も出来なかった。

「…よく、わかりました。わたくしが理解できていないことが。
ですが、諦めるつもりはありません。困難でも、無理に見えても、道はある筈です。
わたくしは、それを探します」

子供の意地だと嗤われることを覚悟で言った言葉に返されたのは、それまでで一番柔らかい声だった。

「そう、皇女殿下、貴女はそれで良い。
それでこそ、貴女とこうして話ししたことが報われる」

そういうゼロの声には偽りが感じられず、副総督は暫し混乱した。
ゼロは自らを笑うため、責めるために通信を寄越したのではないと推察してはいたが、何かを期待されているとも思ってはいなかったのだが。

「貴女が知りたいことに近付ける方法を申し上げましょう。
河口湖で貴女を救いに現れた純白のKF…あれにその術があります」

「え、」

「あのKFに騎乗しているのは名誉ブリタニア人…もとイレブンです」

通信機越しに聞かされる言葉の数々が、ユーフェミアには信じ難かった。
夜空に浮かんだあの美しい機体の中に、自身の望む答えの一端が隠されている。
そして、知らず知らずのうちに自らと縁を結んでいる。

「お会いなさい、枢木スザクに」

ゼロの声は何かが動き出す予感を伴って、魔法の様に胸に響いた。
その魔法がどのようなものか、まだ誰も知らない。













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