inserted by FC2 system --> --> --> --> --> --> --> --> --> -->
















「枢木一等兵、作戦概要を説明します」

冷静に且つ正確に状況を解説しつつ目標を示す女性の声は、普段の柔らかさからはかけ離れている。
しかし、そのことも現在のスザクには心地良い緊張感でしかなかった。
困っている人がいる、自分に出来ることがある。…そしてそれは、困難なことである。
その状況の全てが彼を奮い立たせていた。
割り込むように説明を述べる剽げた男の声は更に明確に、作戦の難易度を数値化する。
適当なところで戻ってね、告げられた言葉に否やはなかった。

(適当なところ、だ)

とても分かりやすい指示だと思った。客観的に聞いた時の基準が曖昧なところがとても良い。
しかも、主観はスザクに委ねられているのだとしたら。

(助けてみせる)

作戦開始までのカウントダウンを始める女性の声は、スザクの意識をより強く、鋭く研ぎ澄ませていった。













夢中天 23












「…気をつけて」

薄暗く沈んだ夜に溶けるように、ささやかな声だったが相手には伝わったらしい。
いつも通りの自信に満ちた視線が、言葉もなく返答した。ついでに寄越された眼差しの意味を斟酌するなら、お前もしくじるな、とでも言ったところか。
あまりにも変わらない彼女の…C.C.の態度に苦笑したところで、にわかに真剣な表情をした緑髪の少女は、声もなく闇に滑り込んで消えた。
以前も思ったことだが、彼女は大変に目立つ容姿をしているにもかかわらず、その存在を隠すことに長けている。気配を感じさせないことは勿論、そこに意思を持つ者がいることを思わせない、無機物にでもなったかのような希薄さを有していた。
そのこともC.C.という不思議な名前も、彼女が纏う一種異様な雰囲気と相まって少女をより一層特異な存在として浮き立たせている。暫しそのことに意識を奪われそうになったカレンは、しかし小さく頭を振ると自らの役割に集中することにした。
紅蓮は一部の者にとってキョウトの象徴になりうる。それ故だろう、ブリタニアに対する警戒に協力するという申し出もあっさり受け入れられた。
ゼロの作戦は、彼が敵の意識を逸らしている隙にC.C.が人質を救出し、ホテルの設備である小型船で彼らを安全な場所に避難させるというものだったため、カレンが船着き場を押さえることが出来なければ作戦に支障を来す…否、破綻する。
見るからに一人乗りの紅蓮に同乗者がいることに気付かなかった日本解放戦線の目を欺いて、C.C.は自らの作戦を開始した。カレンも、それに遅れるわけにはいかなかった。
例え、危険が集中するであろうゼロのことが気にかかっていたとしても。













供を付けることを禁止されたゼロは、前後を挟まれて指揮官の元に案内されていた。
ゼロを警戒しての措置だろうが、彼らの行動をを予想して組んだ作戦に呆れるほど合致したそれを、ルルーシュは心中僅かに嗤った。ゼロを信用しないのであればここに招いたこと自体が誤りであったし、信ずると決めたのであれば不徹底が過ぎる。
移動の際に目を走らせた配置からすると彼らはブリタニア軍の警戒に重きを置いており、ホテル内部には人質の監視位にしか人員を割いていなかった。哨戒すら殆どいないのには驚かされるが、余計な人員を遊ばせておく余裕がないことはよくわかる。
ルルーシュが仮面の下で皮肉な笑みを深くしたのと時を同じくして、案内役の兵士は立ち止った。
軍人特有のよく響く声で室内に入室の許可を求める。
ルルーシュの舞台の幕が上がった。
先導の兵士が扉を開くと、ゼロは促される前に悠々と室内に足を踏み入れる。それはゼロの自信を表すというよりもより悪しく、明らかに傲然とした、日本解放戦線の指揮官を下に見た行為だった。
呆気にとられた面々が制止する暇も有らばこそ、ゼロは上座により近い場所で不敵に周囲を睥睨する。

「き、貴様何をっ!」

漸く正気に返った室内の誰かが声を荒げた。
そも、日本解放戦線は母体が軍隊だけあって階級には煩い。室内の雰囲気が瞬く間に殺気立ったことに薄く笑いながら、ゼロは意識してゆっくりと、しかし厳しく言葉を発した。

「…畏くも」

それだけを音にして口を噤む。
その瞬間、周囲の気配が更に変化した。
短くも他愛ない言葉だが、「日本」ではこの言葉には一種の魔力がある。
「畏くも」の後には神聖な、若しくはそれに準ずる立場の存在に関する言葉が続く。若しくは、彼らから下された言葉が。
この場合ゼロはただ5つの音を発したに過ぎなかったが、その持つ意味は百万言よりも重かった。少なくとも、今この場所では。しかもゼロは紅蓮を携行することでキョウトとの繋がりを匂わせていた。決死の作戦にあって一筋の光明を見た瞬間、多くの人間は判断を急く…或いは、誤る。
途端に居住まいを正した草壁以下の将兵を斜めに見遣りながら、ゼロはこの場では初めて自らの言葉を発した。

「失礼だが、私が賜った仰せをお伝えするには、準備が足りない様にお見受けする」

自ら名乗りもせずに言い放つ言葉は、常であればそこに座す人々の神経に障ることは確実だった。しかし、ゼロの所作や言葉の端々には「畏き方の使者」である気配が漂っており、不気味なほどに相対する者の反抗心を削ぎ落とす。

「準備、とは」

「屋外にて警戒に当たっている者は兎も角、人質の監視にそう頭数は要りますまい。
これからの指針に関わることなれば、一人でも多くの将兵に…とご所望であらせられる」

ゼロの言葉に草壁は明らかに渋面を作ったが、彼も嘗ては中佐という立場であり、上意の不合理さには一種の慣れがあった。
即ち、ゼロの言葉により一層の信憑性を見出してしまう。零せないままの溜息を呑込みながら、出来る限りの人員を招集するよう部下に申し伝えた。幸いというべきか、作戦に参加した者は多くはなく、ブリタニアと睨み合っていない者となれば更に人数は限られる。不快だが手間としては僅かでもある、その境目の危うさがそこにはあった。

(そうでなければ困る、が…。
呆気なさ過ぎる。部下は不幸だな)

伝令の背中を冷たく眺めながら、ゼロは侮蔑とも憐憫ともつかない、その双方でもある感情を抱く。
彼らがゼロを信じることには幾つかの理由があった。紅蓮の存在もその一因ではあったが、そのことだけで何の説明もしない彼の言葉を信ずるには無理がある。
その種明かしが先ほどの短い言葉だった。
ゼロは彼らの前で流暢な日本語を話し、且つ彼らと同じ精神性を披露した。それが、前述の5文字。
ブリタニア人がどれ程見事に日本語を操ろうと、彼らと同じものを信奉することは出来ない。何故なら、彼らには彼らが奉ずべきものがあるのだから。
どれ程頭で理解しようと生まれの異なるものの常識を完全に共有出来ないのと同じように、その精神も偽ることが出来ない。否、自らを偽ることが例え可能でも、理解しない常識に沿った発言は出来ない。
それが、敵対する異民族間であればなおの事。
いがみ合うそのどちらにも属さないルルーシュは、生きてゆくために、それを幼い頃学んだ。

(そして、要因を挙げるとすればもう一つ。
人は、常に自分の信じたいことしか信じない。たとえそれがどんなに滑稽であろうとも)

思いながら、ルルーシュは心中息を吐いた。
実際に空気を震わせることのなかったその吐息には、いざとなれば自分も似たようなものだという諦観の色が込められていた。
















照明がないわけではないのに、室内はやけに暗く感じた。それは、そこがあくまで倉庫でしかないため装飾が一切なされていないという理由だけではなく、息遣いにすら脅える雰囲気にこそ起因している。
監視の男は3人。誰もが武器を持っており、油断なく人質を眺めるその視線には明らかな怒りが込められていて、現状が全くの非日常であることを強調していた。
先ほど無理やり連れて行かれた男性がどうなったのか、正確なことは人質たちは知らなかったが、凡そのところ理解している。つまり、彼はここに戻ってくることはない。
ミレイは腕の中の幼馴染をそっと窺った。顔色は蒼白で、先ほどから浅い息を忙しなく吐いている。身体は小刻みに震え続け、指先は氷のように冷たい。医師でなくともわかる、危険な状態だった。
傍らに座す学友の少女も当然緊張しているし、いつもの溌剌とした雰囲気はなりを潜めていたが、ニーナの様子はそれとはまったく異なる。何も出来ないことを知りつつも、何とかしなければ、そう思った時だった。
それまで何もなかった眼前の床に、厳めしい軍靴が現れる。何ということでもない、ただ監視の男が自分たちの前を通り過ぎた、それだけの筈だった。しかし、常であればそれだけのことも、限界を迎えたニーナにはあまりにも耐えがたく恐ろしい事態でもある。
震えながら、彼女の視線がゆっくりと上に向かって移動する。

(ダメ、我慢して。ニーナ、駄目よ)

ミレイの祈るような言葉は音にならなかった。それ故、彼女が幼馴染を抱きしめる腕にどれ程力が籠ろうとも血を吐くような注意は伝わらない。

(だめ)

尤も、伝わっていたとしても堤の決壊を妨げることは出来なかったかもしれないが。

「イ、イレブン…!」

頼りなく震えるその声は、しかし静寂に沈んだ室内には随分大きく響いた。
武器を持つ男が激昂する。訂正しろ!男の怒号はそれまでの雰囲気を明確に破壊した。
ニーナの失言に逆上した兵士は彼女の腕をとって立ち上がらせようとする、その結果をミレイもシャーリーも知っている。
恐怖に喘いで暴れるニーナに既に前後の認識はないが、この場合は暴れずには居られなかった。
それまで緊張に声もなかったシャーリーも慌てて声を荒げる。

「訂正する、訂正するから!」

しかし焦った彼女の物言いも冷静さを失った男には逆効果であり、彼女自身も敵視の対象となる。
周囲の誰もが救いの手を差し伸べることが出来なかった、その時。

「おやめなさい!」

響いた声は、確かに女神のそれのように凛として高貴だった。














『おやめなさい!』

閉じた扉越しに聞こえた声は、C.C.の神経に触れる女のものだった。
ホテルに人影はないものの一応万全の注意を払って人質の捕えられた場所まで移動し、救出の手立てを知るために耳を澄ませた瞬間、上記の声が響く。
隙間なく閉ざされたドアの向こうを知ることは出来ないが、以前の記憶と並べて考えるに、恐らくルルーシュの学友が危機を免れた瞬間、と言ったところか。

『わたくしはユーフェミア・リ・ブリタニアです。
わたくしを貴方がたの指導者のところへ連れてゆきなさい』

ドア越しにくぐもった声はそこに残るサンピンに処理できるものではない。
場を弁えず楽しくなってきたところで、背後から足音が響いた。経過が気にならなくはないが自らの役割を忘れては共犯者がうるさいため、そっと隣の部屋に姿を隠す。勿論、扉はほんのわずか開いたままにして。
細く開いた扉の向こう、他からやってきた兵士が扉の中に声を掛けた。

「おい」

呼びかけは短い。合言葉もなしかと一瞬思うが、そもそもホテル内を制圧したと思っていれば当然のことだった。呼びかけに応えた室内はゆっくりと扉を開き、若干困惑した体で伝令を迎え入れる。

「どうした」

「いや、例のゼロとやら…何やら重大な仰せを受けているらしい。
可能な限り集合せよと草壁中佐のご命令だ。…あの女は」

伝えるべきことを伝えた伝令は、一人立ち上がったユーフェミアに短く視線を走らせる。
瞬間、まだ少女と呼んで差し支えないまろやかな彼女の頬に緊張が走るが、流石と言うべきか、彼女はそれ以上怯まなかった。よく通る、しかしどこか重い声で要求を繰り返す。

「わたくしを、貴方がたの指導者のもとへ連れてゆきなさい」

命令するのに慣れた声だった。それが事実と反していたとしても、そう聞こえる声。
それを不快に思ってか、兵士が表情を歪めて声高に命令する。来い、そう言われた副総督は、ニーナの傍を通り過ぎるとき、僅かに立ち止って優雅に微笑んで見せた。

「あなた、大丈夫でした?」

ニーナは、言葉を返すことが出来なかった。










彼女たちの、後に世界を揺るがす出会いを余所に、兵士たちは4人で頭を寄せ合ってつまらない打ち合わせをしていた。草壁の命令でより多くの人間を集めなければならないが、人質の監視を怠ることも出来ない。

「わかった、取り敢えずこの場は自分が預かる。奴らは丸腰だ、銃の一つもちらつかせれば何も出来はせん」

自信ありげに言い放つ男に、伝令が重々しく頷いた。
そして、不図思い出したように手を打つ。

「それならば、これを持っていろ」

言いながらC.C.の潜む部屋の扉に手を掛け、そこで傍観者の立場を脅かされたC.C.は慌てて戸棚の影に隠れた。薄暗かった部屋に明かりが点る。男たちの声が異様に近かった。

「これだ」

外にばかり注意を払っていたせいで気付かなかったらしいが、そこには野戦用のサブマシンガンが立てかけられていた。それなりに重量のあるそれを持ち上げた伝令に、居残りの男は短く感謝を告げる。
それは室内での戦闘には向かないが、いかにも殺傷能力が高いことが見て取れるため、威嚇にはこれ以上ないアイテムだった。

(そんなものを無造作に置いておく奴があるか!)

気付かなかった自分を棚に上げて、C.C.は心中彼らを罵倒した。上司がどのような男かは知らないが、物事に細かいゼロであればただではおくまい。
ともあれ、彼らは伝令を先頭に、ユーフェミアを挟んで2名の兵士が警戒に当たるという様式でその場を後にした。残るは、1人。

(ルルーシュめ、こちらの負担を軽くしたいのは分かるが…大丈夫なのだろうな)

カレンは船着き場を押さえて船を摂取し、且つそれが遠目に分からない様に静かに迅速に作戦行動をせねばならない。困難な作戦だが、彼女の能力があれば大丈夫だろうと思えた。
しかし、あのルルーシュがこれほどまでに自分に注意を惹きつけて無事に済むのか…。

(怪我の一つでもしたら、今後の作戦行動は控えさせよう)

ルルーシュが聞けば震えあがるような決意を胸に、C.C.は音もなく扉を開いた。ユーフェミアを伴った男たちは既にその場を離れ、足音も聞こえない。訓練された足運びの出来ない少女のものも含めて。
そのことを確認して、C.C.は人質が押し込められた部屋のドアノブに手を掛けた。そのまま、低く声を発する。

「おい」

短い呼びかけは先ほどの彼らに倣った。室内から重く、金属の揺れる音が響く。
居残りの兵士が扉に近づいて、そして先ほどの一言。

「どうした」

この時、彼は酷く油断していた。ついさっき訪れた伝令が引き返したとでも思ったのかもしれない。
ともあれ、彼が内側から扉を押し開くのと同時に渾身の力でドアノブをひく。
予想外の力にバランスを崩した彼が目を見開く、それと同時に喉笛目掛けて鋭い蹴りを叩きつけた。
ぐっ、と蛙が潰れるような声を出した男が反動でサブマシンガンの引鉄をひいたが、狙いも定めないそれは壁に蜂の巣を演出するだけだった。響く銃声に一瞬肝を冷やすが、ゼロの指示の所為か今も時に響く屋外の交戦の気配の所為か、増援の気配はなかった。
倒れた男の首を再度体重を掛けた重い踵で潰し、C.C.は一つ息を吐く。
人質は脅えているから決して血を見せるなとは注文の多い我らがゼロの言いつけだったが、男の吐いた泡には若干赤いものが混ざっていた。

(バレなければいいか)

開いたままの扉の向こうでは、突然の展開に唖然とする人質が呼吸を忘れてこちらを見つめている。
上にまとめて帽子に仕舞い込んだ髪がほどけていないことを手で撫でて確認し、C.C.は漸く彼らにはっきりと宣言した。

「救助だ。助かりたければ私の指示に従え」












(ユフィか)

伝令が戻ってくるのは随分と分かりやすかった。
明らかに素人の足音が一つ、不安を押し殺して近づいてくる。
ユフィは恐らく数人の見張りを伴っている、そして彼らがゼロが待つべき最後の客人だった。
目を閉じてその瞬間を待つ。草壁たちは明らかに焦れている、その彼らによく伝わるように、伝令はゼロを連れてきた時と同じように張りのある軍人特有の声を上げる、その瞬間。

「草壁中佐、」

(今だ!)

それは嘗て神根島で頂戴したトラップの応用だった。
範囲を決めて、条件に応じて精神を侵す。目覚めたとき、クロヴィスに使った時、それ以降も作戦に応じてつかってきたショックイメージの放出だったが、未だ理論を確立出来ていない。
今はそれで良い。結果さえ、目の前に提示されるのであれば。
ゼロの願いに応えるように、室内の男たちは一斉に狂乱した。目を見開いて呻く者、声もなく昏倒するもの、恐怖に染まった絶叫を奏でる者。扉の向こうからも押し潰したような男の声が聞こえたため、一先ず伝令は巻き添えになったらしい。

「中佐!?」

驚きと焦りに染まった声をした兵士が扉を開き、室内に歩を進めた瞬間「彼ら」の仲間入りを果たす。
彼にとって幸いだったのは、彼が苦痛を感じる前に意識を失ったこと、ただその一事に尽きた。
唖然とするユーフェミアと残る…唯一残る兵士が見たものは、阿鼻叫喚の地獄絵図の中で現実感なく優雅に佇む仮面の男の姿だった。

「き、貴様何を」

それはゼロがこの部屋に通されたときに聞いた言葉だった。
しかし、嘗てその言葉に含まれていた威嚇の色は今はない。兵士が発した言葉は、恐怖を打ち消そうとして助長する、絶望的な声でしかなかった。
彼の戦慄を他人事のように遠く聞きながら、ゼロは緩やかに意識を閉ざす。地に這う男たちにお眠りいただくために開放した精神は、そのままではことに当たるに相応しくない。ゆっくりと普段の状態に移行して、そのまま表情のない仮面を扉の外に向けた。
ゼロにとって必要があってしたその緩やかな所作は、しかし残る兵士の恐怖を煽るのに十分以上の役割を果たす。震える彼をそのままに、ゼロは倒れた兵士の胸許から銃を取り上げ、顔色を無くして脅える彼の腕を撃った。
それは緩慢と言っても良い動作だったが、兵士は反撃に転じない。訝しく思いながらも膝にも一発撃ち込むと、男は瞼で恐怖の色をした瞳を隠した。

「悪魔め…」

小さく呟いた彼は、これを悪夢と思っているのかもしれない。
何にせよ、彼が意識を失いたいと願っているのは明確だった。
扉に縋るようにしゃがみこんだ彼の様子を緊張した面持ちで見つめていたユーフェミアは、密かに深い息を吐くと、艶やかな薄紅色の唇を一瞬噛んでゼロに視線を固定する。
その表情は、理解できないものに対する警戒を前面に押し出したものだった。意を決した彼女が言葉を紡ぐ瞬間、ゼロは被せるように冷徹とも感じられるほど滑らかに声を発する。

「ご無事で何よりです。ユーフェミア皇女殿下」

無事を喜ぶ声に警戒を解きかけた少女は、続く言葉に身を固くした。自らの立場を知る者との会話には十分気を付ける必要がある。それが、宮殿や庁舎で交わされるものでなければなおのこと。

「貴方は…」

「ゼロと申します。以後、お見知り置きを」

ゼロ。唇の形だけで相対する人物の仮の名を表した皇女は、自らの内に生まれる困惑を意識して鎮めた。
相手が自らの姉にして総督であるコーネリアが神経質なまでに動向を気にしていた存在であることを思えば、ユーフェミアがここにいることを掴んでいてもおかしくはない。
周囲からはなお苦痛と恐怖の呻き声が漏れ聞こえており、先日までただの学生だった彼女が神経を集中させるには相応しくない舞台だったが、甘えは許されなかった。
監視の兵士に指導者への面会を求めたその瞬間から、少女は個人ではなく副総督なのだから。
瞼を下して、心中で三つ数える。意を決して見据えた先の仮面の男は、ユーフェミアが自らと同じ目線に立つのを待つように、作り物のように美しい姿勢を保っていた。

「…彼らは」

短い質問ばかりを口にしているが、ゼロには十分伝わっているらしい。
今気付いたという風に小さく首を傾げたその様は、常であれば幼くすら感じられるものだったかもしれない。尤も、不気味な光沢をもつ仮面がそれをしたところで底知れない不気味さを演出するだけだったが。

「見ての通り、既に危険はありません。今の彼らに自律的な行動は出来ない」

機械を通した声は、それだけを理由としない冷えた感触を少女に伝える。
日本解放戦線は現在の彼女からすれば複数の意味で危険な存在だったが、現実的な障害でもあった。
しかし、彼らの苦悶の声の中、何処までも冷静に悠然と佇むゼロにはいわば悪夢のような怖気を感じずにはいられない。

「そうでは…そうではありません。
貴方は、彼らに何をしたのです」

本来であれば、尋ねる必要のない質問だった。現在の彼女が欲しているのは「人質の安全」であり、ゼロの行いの是非は後日思えば良い。
半ば口を衝いて出た言葉に、ゼロは問いを重ねた。

「それは手段をお尋ねですか。それとも人道的な意味で仰っている?」

問われて初めて、ユーフェミアは自らの中に地に這う彼らを気遣う心情が生まれていることを知る。
呻く将兵は気を失っているものはまだ良しとしても、正気を失って震える様は見られたものではなかった。
それまでの高圧的な態度を好んでいた訳では決してないが、人としての尊厳を剥奪されたかのような姿は酷く痛々しい。
返す言葉は意識せずとも厳しくなった。

「そのどちらもです」

「お言葉ですが、ブリタニアの副総督の仰りようとも思えませんね。
いつも、同じようなことをされておいででしょう。…もっと、大きな範囲で」

冷静な判断能力が完全に回復しているとは言えないユーフェミアにも、その言葉が揶揄を含んでいることは容易に理解できた。
返事が、それと意識する前に薄紅色の唇から零れる。

「お黙りなさい!人を人とも思わぬような、このようなことわたくしはいたしません!
ブリタニアは、彼らにも法の裁きを用意しています!」

激しい怒りを伴った彼女の声は、ゼロを揺るがすことは出来なかった。
何一つ変化を見せない忌々しい仮面の光沢が自らの言葉の全てを弾き返したように感じたユーフェミアはきつく眦を上げる。

「皇女殿下」

ゼロの呼びかけは短い。激昂した少女には、そこに宿る感情を読み取ることが出来なかった。

「貴方は、とてもお優しい方だ。しかしあまりにも幼すぎる。
物慣れてないと言っても良い。
貴方が学んだ法は彼らを裁くかもしれないが、机上の空論でしかありません。
ブリタニアが人質を取られた戦場を、貴方は幾つご存知ですか」

言われた瞬間、ユーフェミアの脳裡に浮かんだのは幼いころの別れの記憶だった。
遠い国に行ってしまったルルーシュとナナリー。帰ってこなかったふたり。
彼が問うているのは加害者の経緯であり、自らが思い起こしているのは被害者のそれだとわかってはいたが、重ねずには居られない。そして、ゼロの質問に即した事例を思い浮かべることも出来なかった。

(知らない。わたくしは何も)

副総督に就任して、何度も噛みしめた結論がそこにはあった。
ゼロは間違っているとそう思うのに、自らが掲げるべき正解が手の中にはない。
責任ある職について、自分に出来ることは何でもした。何でもやりたかった。
しかし、そこにはいつも見えない境界線があって、優しくユーフェミアを押し返してしまう。
そのことを憂いているのに、改善するための手段も分からなかった。
誰も教えてくれなかった。教わるのを待つだけでは発展しないと分かっていても、何をどうすればいいのか分からない。
忸怩たる思いに言葉を途切れさせる彼女を、ゼロは静かに見つめていた。
沈黙に促されるように、ユーフェミアは静かに声を漏らす。

「…貴方の、言う通りなのかもしれません。
わたくしは何も知りません。副総督になっても、それは同じ」

我知らず伏せていた視線を、窓の外に向ける。無駄な照明を落としたホテルから見た外の景色は場違いなまでにきらきらと輝いて、少女から現実感を奪った。
湖に浮かぶように立つ建物からは、水際に陣取ったブリタニア軍は遠くも近くも見える。
それはいつものユーフェミア自身と彼らとの立ち位置のようだった。

「ですが、それでもわたくしは副総督です。いつまでも何も知らずにはいません。
方法は分かりませんが…分からなくても、」

言って、言葉に詰まった。
「わからなくとも」真実を得てみせる、なのか、副総督としての務めを果たす、なのか。
方法も着地点も見失った言葉を嗤うかと思ったゼロは、しかしそうはしなかった。

「方法はあります。皇女殿下、貴方が守るべきもの全てを愛しなさい。
全てのものを愛し、変化を決して見逃さずにいれば、彼らは些細なことも大きなことも皆教えてくれます。
その結果、醜いものを見ることもあるでしょう。貴方が厭うものも、憎むものも。
其れから目を逸らさずにいれば、貴方はご自分が思うより多くを知ることが出来る」

それまでとは別人のように柔らかく響いたその声は、恰も全てを知り尽くしたかのように静かな自信に満ちていた。何も目新しいことを告げていないようなその言葉は、しかしユーフェミアの胸に吸いつくようにぴたりと収まる。

(愛する)

当然だ、とどこか茫然と思った。それが副総督たる自身の責務だと。
しかしゼロが告げたのはそういうことではない。もっとわかりやすく簡単な、ユーフェミア個人の感情としての好意。好きになるということ。
周囲にはまだ苦悶の声が満ちているのに、ユーフェミアは夢から覚めたような気分でそこに立っていた。















年相応の、あどけない表情をした義妹を眺めながら、ルルーシュは僅かに息を吐いた。
普段はのんびりと穏やかな性格をしているが、ユーフェミアは案外肝が太い。同時に部屋を訪れた兵士は失血のせいもあるが青い顔をして蹲っているのに、彼女は気概を損なわなかった。
それどころか、正体不明の男に向かって啖呵を切って見せる度胸があるのだから堪らない。
しかし、お喋りの時間はもう終わりだった。以前の通りの展開がホテルの外でも続いているとすれば、やがて。
ゼロは気付かれない程度に窓の方に向直り、夜空を見上げた。
地上の光に照らされた空は漆黒ではないが、暗く沈んでいる。そこにもう一つの影が加わる瞬間を待っていた。
ユーフェミアとの会話も、ある一面に於いては彼女をその時までここに留め置くための仕掛けに過ぎない。

(来い、スザク…)

思った、その瞬間だった。
まるでゼロの思念が呼び寄せたかのように、轟音が響き渡る。

「えっ」

些か間が抜けた声を出したユーフェミアが振り仰いだ夜空には、白く輝くKFが舞っていた。
機体の純白に地上の光が反射して夜空に映えるその様は、いっそ美しくすらある。
しかし彼女が見蕩れていられたのはほんの一瞬で、直ぐに足下を衝撃が襲った。それは強く断続的にホテルを揺らすと、真下に沈み込む動きに変わる。
待っていた瞬間が訪れた以上、ゼロが行うべきは決まっていた。掌に隠した起爆スイッチを作動させるその前に、時を止めたように宙に浮くランスロットを見つめる。
これでスザクは「ユーフェミア救出」の立役者になった。
以前であれば既に学園にやって来ていたスザクは、今回はまだ副総督とのつながりを有してないとルルーシュは思っている。
しかし、これで面識はなくとも、相まみえることがなくとも、二人の間に縁が出来た。

(スザク、お前はお前の理想を貫いて見せろ…今度こそ、最後まで)

嘗てスザクとゼロは分かりあえなかった。そして、彼は望まない形でルルーシュと手を組んだ。
今回はそうはさせないとルルーシュは決めている。
ユーフェミアが、スザクが、彼らの理想を追い求めるのならそうすれば良い。

(しかし、それすらも利用させて貰う。…優しい世界のために!)

握りこんだ起爆スイッチに呼応して、ホテルの各所で爆発が起こる。
今度こそ激しい震動に体勢を崩したユーフェミアに手を差し伸べて、ゼロは短く言葉を発した。

「こちらへ」

声に応えるように仮面を見つめるユーフェミアは確かに逡巡した。
しかし、一拍の間を置くと強く頷き、ゼロの手に自らのそれを重ねる。

「彼らは連れてゆけないのですね」

彼女の声は決して大きくはなかったが、轟音に掻き消されずにゼロの耳に届いた。
この期に及んで日本解放戦線の将兵を案じる彼女を何処か懐かしく感じながら、黒衣の男は頷く。

「そうです。それが貴方の今の力量です」

「…わかりました」

彼女の言葉が終わるのを待つように、ゼロは脱出を急いだ。
打ち合わせ通りに行けば問題なく舞台は整っている。必要以上に自分を心配するきらいのある女性たちに叱られないためにも、今は一刻も早く危険な場所を駆け抜けなければならなかった。





















「ナナリー、皆居る…無事だよ!」

思わず発した声は、これが自分のものかと疑いたくなるほど浮かれた色をしていた。
テレビから視線を外して振り向いた先の少女は、指先が白くなるほど握りしめていた掌からゆっくりと力を抜いて、泣きそうな笑顔を見せる。
車椅子に寄り添っていた咲世子も、漸く緊張を解いて微笑みを見せた。

「会長さんも、シャーリーさんもニーナさんも…皆元気そうだよ」

そう告げた言葉には若干の嘘がある。他の二人はともかく、ニーナの表情にはきつい憔悴の影が見て取れた。
しかし、目立った怪我がない以上、元気と言って差し支えない。
彼らの安全は元より、ナナリーの精神状態を心配していたロロは必要以上に朗らかな声で車椅子の少女に笑いかけた。

「はい…良かった、本当に良かったです」

ナナリーの声には涙が滲んでいる。
ニュースは緊迫の気配を消していないが、ロロは既に警戒を解いていた。
テレビ画面ではゼロとか名乗る黒づくめの男が人質を背後に大層な演説を始めている。
しかし、ロロにとっての重要事項はそこにはなかった。
ゼロについては知っている。任地については当然調べたし、嚮団から寄越された通信装置でエリア11の政府や軍の情報ものぞき見ていた。
感想としては、不気味の一言に尽きる。
ゼロの活動は派手ではなく、それだけに気味が悪かった。
ブリタニア軍の穴を知り尽くしたかのように、いつも目立たず殆ど誰にも気付かれずに結果だけ提示してみせる。また、少し調べれば様々な噂が飛び交っているにも関わらず、いつ誰が「ゼロ」の呼称を始めたのか分からない。ブリタニアと嚮団の情報をある程度ではあるが自由に閲覧できるロロが、これほど出回っている風説の出所を確定できないということは、普通に考えれば有り得なかった。
それまで誰も「ゼロ」のことなど知らなかったのに、気がついた時には常識のようにその名前が囁かれている。しかも、地下を這うように密やかに。
昨日まで普通だった通学路が突然砂漠にでもなったような、座りの悪い現実だった。
そこまで情報を得た…否、得られずに愕然としたロロは、決意を新たにする。
このような不気味な、人智を外れたようなテロリストからランぺルージ兄妹を守れるのは、自分だけだと。

(危険な人物だ。いずれ、奴は火種になる)

それまでの視線と一転、冷めた視線でテレビを見つめる。
人質を背後に従えた仮面の男は、多くの光に照らし出されてなお、質量のない影のように見えた。
しかし、今はそのようなことどうでも良い。
思ってふと、事件の最中に繋がらなかった電話番号が頭を掠めた。

「ごめんナナリー、ちょっと」

一言彼女に断ると、ゼロの声が響く室内を後にする。
ロロはホテルジャックの速報が入ってから幾度か、ルルーシュに連絡を取ろうと試みていた。そして、その全てが失敗に終わったままでいる。
ただでさえ不安に震えるナナリーに余計なことを伝えられず黙っていたが、一先ず生徒会長らが安全ということであれば彼女を咲世子に任せても問題ないだろうと思った。
兄に頼まれた通り、ずっと車椅子の少女についていた。しかし、その兄自身は何をしていることやら。

(情報の速い兄さんがニュースを見てないとは思えない。
それでも連絡を寄越さないということは、おかしなことに巻き込まれてないと良いけど)

思いながらも、深刻な心配はしていなかった。
賭けチェスなどと危険なものに手を出しているようだが、彼は見極めが上手い。これまでずっと、ほんの火遊びで済ませられるような相手、場所しか選んでいなかった。
塵が積もって結構な額を稼いでいるようだったが、所詮学生。お互い、水に流すタイミングを弁えた賭けは然程危険視せずとも良かった。
閉じた扉を背に、登録された番号を呼び出す。直ぐに流れるメッセージは、相も変わらず電源が入っていないことを告げる無機質な声だった。

(兄さんってば、心配性なくせに自分はこういうことするんだもの)

思いながら唇を尖らせる。こちらだって兄のことを心配していたいのに、いつも保護しかくれない。
しかし、今回はそれだけで済ませるつもりはなかった。
絶妙なタイミングと言うべきか、ロロにだって打つ手はあるのだ。
一般的な携帯電話をしまうと同時に、何処か無骨な感のある機械を取りだす。掌に収まる大きさのそれは、全体の半分程のモニターの下に細かいスイッチがいくつか並んだものだった。
電源を入れると、モニター全体に薄く明かりが点るがそれ以上の変化はない。

(あれ?)

思わず故障を疑うが、電源ランプは小さくともはっきりと青い光を放っている。そもそも、モニターに淡い色彩の変化があったことも確認していた。
ルルーシュの側に付けた発信機の問題かと軽く考えながら、試しにレンジを調節する。
それは、彼が兄につけた装置の受信機だった。始めに設定されていた範囲は「トウキョウ租界全域」。
家族思いの彼が何も告げずにあまり遠くへは行かないだろうと考えての設定だった。
じわじわと範囲を広げるが、なかなか電波を拾わない。

(故障だ…こんなの初めて見た)

彼の属する部隊は精密な作戦が求められるため、些細なミスが命取りになることが多い。
不良品を掴まされたのはこれが初の体験だった。
ルルーシュが機械に気付いた可能性もないわけではないが、そうであれば彼の性格上連絡の一つもあるべきだ。
苛立ちともつかない遣りきれない溜息を吐いて適当にレンジを弄る。電源を落とす前の手遊びのつもりだった。

「え」

予想していたよりも距離が遥かに遠くなった瞬間、確かな反応が見つかった。
淡い光の中で強い存在感を放つ赤い点は、ロロに何かを突き付けるように瞬きもしない。

(この距離、この位置…これって、)

ロロの脳裡に河口湖の名が翻る。
それも思えば兄らしい行動だった。何処かでニュースを見て、彼らの身を案じて現地に向かったのかもしれない。ロロ達が心配するだろうことを考えて、何も言わずに。
一般人に出来ることなど皆無だが、解放された少女たちを迎え入れることは出来る。
気持ちは分からなくもないが、危なっかしいと思った。

(兄さんってば…。まさかとは思うけど、危険な場所に近づいてないよね)

肩の力を抜きながら、手の中の機械の側面から細いコードを伸ばした。
ルルーシュの身につけた装置が拾う音を確認すれば、彼の現状が把握できる。離れた距離の音を捕まえるには僅かに時間がかかり、小さなノイズが生まれるがやがて消えた。
ロロは、安堵の溜息を用意していた。
しかし次の瞬間、叩きつけられた強い口調に表情が凍る。

『…は、武器を持たない全ての者の味方である。イレブンだろうと、ブリタニア人であろうと』

呼吸が止まった。
それは確かに、ルルーシュの声だった。籠った、くぐもった声だったが間違う筈がない。
イヤホンからは兄の肉声が機械を通して変化してゆく様まではっきりと聞き取れた。その息遣いすら。

(違う。何かの間違いだ)

震える指先で機械から伸びたコードを掴む。どれほど努力しても強い力が込められない腕は、片方の耳からだけイヤホンを取り除いた。
途端に、扉越しの僅かに遠いテレビの音声がロロの耳を打つ。
不気味な仮面の男の演説は、耳元の兄の言葉と何一つ変わらなかった。
それを理解した瞬間、ロロの視界から全てが消えた。
意味もない咆哮をあげそうになる口を震える手で押さえて、洗面所に駆け込む。テレビの音から逃れたかった。

(違う、違う、違う!
僕は「兄さん」を守りに来たんじゃなかったんだ、彼らの守護者じゃなかった!!)

少し考えれば気付くはずだった。ロロはそれまで殺してばかり、壊してばかりだったのに。
何かを守れる筈などなかった。
自身で感じた通り、ゼロは危険な男だった。ロロはそれを消すための装置に過ぎなかった。
それだけのこと。
嚮団はゼロの尻尾を掴んで、確証を得られずにロロを送り込んだのだ。いつもの通り、無駄な情報を持たせずに。それがロロの任務だった。

(僕の、任務)

手の中の機械は実際よりも酷く重く感じられた。
ロロの仕事を果たすための道具。
感覚が消えた指先をどうにか動かして、受信以外の機能を呼び起こす。
ロロは間違えてはならなかった。それだけが彼の存在意義なのだから。
精密さを売りにした手の中の機械は、滑らかにロロが指示した画面を表示する。有事の際の報告のための画面。アッシュフォードに入学してから、一度も使っていなかった。
短い文章を打ち込むのに、ロロはこれまで経験したことがないほどの時間をかけた。

『ゼロの正体はルルーシュ・ランペルージ』

自らが作成した文面を読み返すことも出来ず、送信ボタンを押す。
無骨な機械は、学生たちの携帯電話のように愛らしい音声を吐き出してはくれなかった。

「違う!だめだ!」

送信実行の画面が現れた瞬間、ロロは鋭く叫んでいた。
同時に、手の中の機械を地面に叩きつける。

(違う、違うんだ!守れると思ったのに、兄さんどうして!!)

混乱に荒い息を吐きながら、叩きつけた機械を何度も足蹴にする。柔らかい靴を通して伝わる感触が痛かった。彼自身気付かぬまま、頬を涙が流れ落ちる。
強い衝撃を受けた機械には亀裂が走っていたが、それは自らの役割を放棄しなかった。
涙に滲んだ視線の先で、画面が静かに切り替わる。「送信完了」。

「う、うう」

嗚咽を零しながら、ロロはその場に蹲る。周囲の無音も、床の感触も、どうしようもなく冷たかった。
務めを果たした機械は、数回瞬いて反応を無くす。
ロロの中に残された冷静な部分が、壊れた、と囁いた。
しかし困らない。自室にはもっと本格的な通信機があるのだから。任務遂行に支障はない。

(違う、僕は…)

大丈夫だと告げる自分をロロは信じられなかった。全然大丈夫じゃない。
信じていたものを無くしてしまったのに。
今まで他人が涙するのを冷めた瞳で見つめていた。馬鹿だと思っていた。
頑是ない子供ではないのだから、目から体液を流したところで何も変わらないと、嘗て自分は彼らを嗤った。
その時のように、ロロは自分を嗤わなくてはならないと思う。
馬鹿めと切り捨てて、任務に戻れ。「自分」がそう命ずるのに、そんなこととてもではないが出来なかった。

(兄さん、僕は貴方の敵なんだ)

ルルーシュはきっとナナリーを守ろうとしている。
生徒会役員だってそうだ。彼は彼女たちを助けようとした。愛しているから。
ならば、自分は。

(にいさん、たすけて)

物言わぬ傍らの機械に責められて、ロロの嗚咽はいつまでもやまなかった。

























戻る  進む















inserted by FC2 system