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少女はいつも微笑んでいた。それを儚げと表現するのが正しいのかロロは知らない。
彼女はどんな時でも穏やかな表情を崩さなかったから、一見した印象よりはとても強い人なのかもしれなかった。
しかし、いつでも彼女に対する慈しみを忘れない「兄」と、その気持ちを一片たりとも逃さず大切に受け止めている少女を眺めるのは決して嫌いではなかった。それは、一種の理想像ともいえる。残念なことに何に対する理想なのかロロには分からないけれど。
ただ、何処までも優しいその光景がロロには堪らなかった。

「ロロさん」

語りかけられて、少し緊張する。
ロロがいつも気にかけているのは兄妹の兄の方で、彼女は殆どノーマークだというのに何処か落ち着かない気分になるのはどうしてなのだろうか。返事を上手に返すことが出来ずに曖昧な視線を向けると、彼女はやはり微笑んでいた。
天使の様な微笑み、と表現することは憚られる。それほどまでに眼の前の少女は自然体だった。
不図「嚮団」のことを思い出す。彼ら、そして自分。必要な技術も限られた範囲での知識も、潤沢に与えられた子どもたちは、きっと生涯彼女と同じ微笑みを浮かべることは出来ないのだろう。
もし万が一、それが出来たなら…彼らもロロも、別の人間として生きていくことが出来るに違いないのに。
そこまで考えて心中自嘲する。今の境遇を嘆いているわけではない。
唯一瞬、夢を見ただけ。

「なに、ナナリー」

仕切り直しとばかりに明瞭な声で返せば、整った表情を綻ばせた少女は楽しそうに口を開く。
その姿が、彼女が受ける、そして彼女が返す愛情が愛おしいなんて。












夢中天 21











室内は静寂に包まれていた。
否、そこには携帯電話で通話する少年の声が存在していたが、硬質な彼の声はその場の静寂を打ち消すどころか助長するような響きを有している。
冷徹というほどではないが一切の無駄を許さない彼の声は正しく事務的で、馴合いのようなものは一切感じさせないにも関わらず、聞く者に一定以上の安心感を与えた。
尤も、それは聞くものが彼の言葉を「彼の言葉」として信じているからとも言えたが。

「…そうだ。早ければ今日中にも働いてもらう可能性がある。
覚悟をしておけ」

相手からの返答を待って通話を終了させる。
思わず肺の底から吐きだした息は無意識に緊張している心中の現れに他ならない。カレンと合流するまでに冷静な思考力を取り戻さねばならない、思いながら意地汚くピザに齧りつく女に冷たい視線を投げた。

「さっさと片付けろ。奴らの計画が「以前」と相違なければ時間的猶予はそうない」

「分かっている。…これで、あと3枚」

チーズで汚れた指を舐めて、空になった箱を放り出す。それを家主であるルルーシュが片付けることに既に違和感はなくなっていた。
満足げな女の表情に呆れの色しか籠っていない溜息を吐いて、外出の用意を整える。

「ナナリーが階下に居るから気付かれない様に。
カレンとの合流地点はポイントg3を予定している、そこまではお前も別行動が望ましい」

「一々言われなくとも分かっている。
引きとめられても揺らぐなよ、お兄様」

言うが早いか、C.C.は立ち上がりざま部屋を出ていく。
彼女の行動に無駄がないのは常のことだったが、その様は懐かない猫のように優雅だった。


















階段を下りる足音が聞こえてきて、ロロは身を固くした。
ルルーシュがどう思うか、そんなことはどうでも良い筈なのに最近はそれを気にしてばかりいる。

「お兄様」

いつも通り柔らかなナナリーの声が兄を呼ぶと、微笑みと共に視線を寄越した彼は、ロロの姿を認めて驚いたように目を丸くした。
叱られることを予想して身構えるような、悪戯が成功して嬉しいような複雑な感情を持て余すロロをどう思ったのか、ルルーシュは小さく笑った。

「来ていたのか」

「はい、皆さんお出かけということでしたので、お願いして来ていただいたんです」

ロロに向けた微笑みに、ナナリーの説明が柔らかく応える。
彼らと同じ雰囲気を纏うことは不可能でも出来るだけ優しく接することを心がけながら、ロロは小さく頭を下げた。

「お邪魔してます」

二人を微笑ましそうに眺めていたルルーシュはロロの声に目を綻ばせて小さく首を傾げる。
そのままゆっくりとナナリーとロロに近づいた彼は、左右の手でそれぞれ少年と少女を撫でた。

「二人が仲良くしてくれると嬉しいよ。
ただ…申し訳ないが、今日は外せない用事があって持成してやれない。すまないな」

「はい、お話はうかがってます」

「今日は二人でたくさんお話しする予定なんです。ね」

ナナリーの声を合図に、二人が視線を合わせて微笑む。
それはルルーシュにとって何物にも代えがたい幸福な光景だった。
そのことは彼の表情からも明らかで、思わずロロは普段であれば言わないようなことを口にする。

「今日はどちらまで?」

聞かれたルルーシュは瞬きを一度した。

「何処ということもない…野暮用だよ」

それは彼が特別答える必要がないと判断した時によく使う回答だった。
ロロはそれを一度ならず聞いたことがある。その答えを使った時のルルーシュは時にはミレイを振ってスーパーの特売に赴き、時にはリヴァルを置いて授業をさぼっていた。
そして、時にはシャーリーにそう言って悪い友人と賭け事に出かける、らしい。
ロロはそれが彼の悪い遊びであるとともに先行き不安な兄妹の資金源であることも知っていたため、何とも言えない気分になる。
どうやらこの浮世離れした少年は気付いていないようだが、賭けチェスも度を越せば決して安全とは言い難いのだが。

「じゃあ出かけるから、留守番頼むぞ。
ロロ、ナナリーをよろしくな」

そう言って微笑む兄の声に、ロロは最早動揺しなかった。
ただ、決意を新たにする。彼を、彼らを守れるものが居るとしたらそれは自分に違いないと。
だから。

「いってらっしゃい、お兄様」

「ああ」

それがいつもなのかは知らないが膝を着いて妹の額に口づけする彼の頭髪に、そっと触れた。
手付きが出来るだけ優しくなればいいと願いながら。

(兄さんが撫でてくれるみたいに、は無理だろうな)

それでも出来る限りの優しさを込めて触れると、彼は気付いて振り返り、ロロにもナナリーと同じ口づけを落とす。え、と慌てた声が零れてナナリーが微笑む、これは一体どういう習慣なのやらロロには理解しかねた。
いつかナナリーと同じ思考をしてしまったことを恥じたが、既にそのことを恥じる意識は薄れて消えてしまいそうになっている。

「いってくる」

「い、ってらっしゃい」

上ずった声が恥ずかしいが、どうにも仕方がない。ルルーシュの背中を見つめながら、ロロは先ほど抱きなおした決意を胸の裡でゆっくり反芻した。
この兄妹は、何れ適当な時期まで自分がきっと守って見せると。

(もっと良い機械、取り寄せないと)

たった今ルルーシュに(一方的に)渡した機械では、大体の位置情報とごく低音質の音声しか拾えない。
それでは万が一の有事の際に彼を守ることが出来ないのだから。
とはいえ、帰りが遅くなったときに探しに行くことは出来る。
危険な習性を有する兄を心配しながら、しかし確かな満足感と共にロロはそっと微笑んだ。















ところ変わって、河口湖に向かう列車内。
切り裂くように走る列車は周囲に鋭い音を響かせていたが、車内は快適そのものだった。
明るい照明の下で、少女たちは朗らかに笑いあう。

「ルルーシュ達も来られれば良かったのにね〜」

言って笑うミレイに、シャーリーが小さく声を漏らす。
租界を離れることを最後まで渋ったニーナも、小さくではあるが微笑んだ。
その瞬間、列車がトンネルに入り、車内に薄暗く影を落とす。空気が抜けるような音を発して膝の上の手をきつく握りしめる彼女に、幼馴染であるミレイが優しく、そして元気づけるようにはっきりと声を掛ける。

「大丈夫。河口湖はブリタニアの観光客も多いし、ゲットーみたいに危険じゃないよ」

「う…うん」

弱弱しい微笑みを返す彼女に、ミレイは意識して明るい表情を向ける。
心配そうな表情のシャーリーに目配せをして、そうだ!と大仰なほどに大きな声を出した。

「ほら、コンベンションセンターホテル、取れなかったって言ったでしょ?
それがね、おじい様のお友達が用事で行けなくなっちゃったらしくて、譲って貰えたのよ!
しかも予定してたのよりも良い部屋!!ね、きっと良い思い出作れるよ」

場を盛り上げるようにはしゃぐミレイに、シャーリーも歓声を上げる。それは意識せずとも明るい雰囲気を纏っており、縮こまっていたニーナも表情を緩めた。

「すごい…!ミレイちゃん、お礼言っておいてね」

「勿論!楽しくなるわよ〜!!」

弥が上にも増す期待を胸に抱えながら笑いあって、不図シャーリーは微笑みを穏やかなものに変える。
視線を外に向けると、見たこともない風景が広がっていてこの小旅行を彩ってくれているというのに、思うのはいつもと同じことというのは芸がないというべきか。

「ほんと、ルルも来られればよかったのに、な」

当然呟きは生徒会長に捉えられ、散々にからかわれることになる。

















結果として、確かに思い出作りは成功した。
彼女たちはこの経験を忘れることはないだろう、しかしそれは後になって感慨に耽るべきことであり、薄暗い部屋に押し込められた現在、とてもではないがそのようなことを考える余裕はなかった。
唯一の出入り口の所では厳めしい顔つきのイレブンが険しい声で何やら喋っている。その意味を理解することもできず、ただ音声として通り過ぎるそれを遮断するようにきつく眼を瞑って、シャーリーは小さく呟いた。

「ルル…」

吐息に紛れそうなほどに微かなそれを、当然ながら笑うものは一人もいなかった。
それもその筈、声を発し続けるイレブンは嘗ては軍人だったかもしれないが、平和な治世の下ではテロリスト…人殺しでしかない。ブリタニアを憎む人殺しが、自分たち全員の命を握っている。
その恐怖がその場を支配しており、誰にも他人を気遣う余裕などなかった。
それでもミレイが腕の中にニーナを抱きしめているのが見えて、シャーリーは何処か場違いに尊敬する。感情が剥離しかかっているのかもしれなかった。

「大丈夫だからね」

言うミレイの言葉に根拠などない。分かっていても、縋りつきたくなるような優しい声音にいつもの生徒会室を思い出す。毎日の現実が絵空事のように感じられた。

(ルルの言う通りだった…!危ないって、止めろってルルは言ってくれたのに)

思考が想い人のことに戻り、眼の奥が熱くなる。
もう一度ルルーシュに会いたい、そう思うことが僅かにシャーリーを支えていた。
















同時刻、東京租界の片隅でテレビ画面を見つめる少年は盛大に表情を歪めていた。
散々に手を回してはいたが、最終的にルルーシュは運命に押し負けている。そのことを、ニュースの映像が残酷なまでにはっきりと見せつけていた。
日本解放戦線のメンバーが寄越したのだろう、内部の映像には不鮮明ながらも彼の望まない人物が映っている。忌々しげに舌打ちすると、カレンが強張った唇をゆっくり動かした。

「ね、ねぇ…これ、まさか」

「間違いない。会長たちだ」

苦い言葉を吐き出しながら、ゼロの姿のルルーシュは手早く携帯電話の電源を落とす。同時にPCを立ち上げてホテルの宿泊履歴を浚うと、ミレイ達の部屋が他人名義で用意されていたものであることが分かり、不愉快な表情に拍車がかかった。

「予約客全ての動向を掴むことは不可能に近い。
ルルーシュ、これも世界の用意した「大筋」だったようだな」

珍しく揶揄の笑みを消したC.C.の言葉の意味がカレンには分からなかったが、ルルーシュは理解している。
テレビ画面を見つめる瞳は凍てついた怒りを滲ませており、その姿は鑑賞に値するほどに美しかった。

(「大筋」だとすれば、この先の会長たちの安全も「以前」同様に守られる…?
いや、リスクが高すぎる)

この事態を全く予定していなかったわけではないのでゼロとしては当然対応出来るが、学生のルルーシュとしては心を痛めずにはいられない。
結果として彼らを大いに巻き込んでしまった「以前」とは違って、今度こそ彼らには十分な幸福を味わって欲しかったのに。直ぐに助けに入りたいところだが、コーネリアの焦燥を煽るためにも即時解決は出来ない。紅蓮を運ぶためのトレーラーは用意しているが、C.C.が運転して河口湖へ向かったとしても、このタイミングでは早すぎる。いや、誤差範囲内か。

(焦るな…冷静になれ。思い通りに運ばないことはむしろ当然。
会長たちの身に危険が迫る前に、この状況を利用して次の一手を打つ、出来る筈だ)

作戦には常に余白がある。揺れ幅を計算せずに汲んだ計画は些細な障害に頓挫と相場は決まっているから。
だとしたら、ここでルルーシュが打つべき一手は。

(…利用、させて貰う)

それがゼロとして動くと決めたルルーシュの答えだった。


















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